旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

八甲田丸

2012年09月15日 | 旅 歴史
 青森県青森市柳川にある八甲田丸です。
 昭和63年(1988)までは函館まで青函連絡船が就航していました。青森発最終便となった青函連絡船八甲田丸をそのまま利用した日本発の鉄道連絡線ミュージアムです。
 正式には青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸という博物館です。最終便が青森駅を出発するとき、「津軽海峡冬景色」の大合唱が乗客たちから自然に沸き起こったそうです。

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青い海公園

2012年09月14日 | 旅 歴史
 青森県青森市安方にある青い海公園です。
 青い海公園はかつて函館へと向かう青函連絡船が出航した青森港の桟橋でした。広い公園で波のしぶきが間近に見えるナイススポットでもあります。
 ベイブリッジの入口からアスパムの裏を通り、歩行者用のラブリッジに続く臨海公園です。夜はライトアップされたウォーターフロントを楽しむことができます。ここから青函連絡船「八甲田丸」が係留されているのが見えます。

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青森ベイブリッジ

2012年09月13日 | 旅 歴史
 青森県青森市安方にある青森ベイブリッジです。
 青森ベイブリッジは、平成4年(1992)に完成され、青森港や旧連絡船埠頭をまたいで架けられています。橋長は1219mあり青森市で最長、青森県では1323.7mの八戸大橋に次いで2番目です。
 美しい純白の斜張橋で、橋脚やケーブルなどいたる箇所に青森の頭文字である「A」の形がかたどられています。夜になるとライトアップされて、一定時間ごとにライトの色が変化するそうです。青森のウォーターフロントのシンボルです。

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アスパム

2012年09月12日 | 旅 歴史
 青森県青森市安方にあるアスパムです。
 アスパムは青森市の観光物産館です。ピラミッドのような三角形の建物で、「青森」の頭文字である「A」をかたどっています。
 青森の自然やねぶた祭を360度のマルチスクリーンで楽しめるパノラマ館や陸奥湾や八甲田山を一望できる展望ラウンジなどの施設があります。

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三内丸山遺跡

2012年09月11日 | 旅 歴史
 青森県青森市大字三内字丸山にある三内丸山遺跡です。
 縄文時代の巨大集落跡地です。それまでの原始的な狩猟採集民族という縄文人のイメージを大幅に変えさせました。
 平成4年(1992)から2年間かけて、県総合運動公園拡張整備計画事業に伴う野球場建設予定地内の発掘調査を行ないました。
 その結果、縄文時代前期から中期(約5500年前~4000年前)の多くの貴重な遺跡群や多数の遺物が相次いで発見され、日本考古学史上例を見ない巨大な縄文時代集落である事が明らかになったのです。
 三内丸山遺跡は最近になって発見されたものではなく、江戸時代から知られている遺跡でした。慶応義塾大学、青森県、青森市教育委員会などによって以前から発掘調査が行なわれていたところなのです。
 大型掘立柱建物、通称「六本柱」は何のための建物なのか考古学者の議論の的になっています。祭礼に使われたものではないかと思われているようですが。

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碇ヶ関御関所

2012年09月10日 | 旅 歴史
 青森県平川市碇ケ関碇石にある碇ヶ関御関所です。
 津軽藩祖、津軽為信が天正14年(1586)秋田比内の浅利氏を攻め大浦城に帰陣するときに関所をこの地に設けました。津軽藩の表玄関として明治4年(1871)の廃止まで威容を誇っていました。


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奥入瀬渓流

2012年09月09日 | 旅 歴史
 青森県十和田市十和田湖畔子ノ口(ねのくち)から焼山に至る奥入瀬渓流です。
 明治の紀行作家、大町桂月が「渓流の幽静、天下無比」と賞賛した奥入瀬渓流は、湖畔から焼山までの14kmを複雑に曲がりくねりながら軽やかに流れています。
 十和田湖の子ノロから流れでる奥入瀬渓流は、苔むした岩を洗い、瀬を速み、淵に淀み、途中多くの滝を通過しながら流れていきます。
 静的な十和田湖の湖水美に対し、深い自然林におおわれた奥入瀬渓流には、千変万化の水の流れが生む躍動感にあふれています。

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乙女の像

2012年09月08日 | 旅 歴史
 青森県十和田市奥瀬十和田にある乙女の像です。
 湖畔西端の桂ケ浜から「乙女の像」のある御前ケ浜までは、快適な遊歩道がつづいています。湖を眺めながら散策することができます。
 十和田湖のシンボル「乙女の像」は高村光太郎が昭和28年(1953)に制作した二人の裸婦像です。光太郎最後の作品でモデルは妻の智恵子だといわれています。

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十和田湖

2012年09月07日 | 旅 歴史
 青森県十和田湖市休屋から秋田県鹿角郡小坂町十和田湖にある十和田湖です。
 神秘の湖・十和田湖は十和田八幡平国立公園にあり、東北では猪苗代湖に次いで第2の大きさをもつ湖です。アイヌ語で「トー・ワタ・ラ」つまり「岩の多い湖」が語源だそうです。
 十和田湖は十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖です。最大深度327mは日本第3位で、日本の湖沼では12番目の面積を有しています。流出河川は奥入瀬川。
十和田湖周辺は、冷温帯林(ブナ林)や亜寒帯林(ダケカンバ林)が広がり、クマタカやイヌワシ、ツキノワグマなどの野生動物が生息しています。これらの生息が重要であることから、国指定十和田鳥獣保護区(大規模生息地)になっています。
 湖畔西端の桂ケ浜から「乙女の像」のある御前ケ浜までは、快適な遊歩道がつづいています。湖を眺めながら散策することができます。

 十和田湖には次のような物語が語り継がれています。
「鹿角に住んでいた八郎太郎は友人の2人を待たずイワナを3匹食べてしまいます。すると猛烈に喉の渇きをおぼえ、谷川の水をひたすら飲み干し気が付くと、大蛇に姿を変えてしまいます。家に帰れなくなった八郎太郎は谷川を堰き止め十和田湖を造り、そこを棲家としました。その頃、紀州熊野にいた南祖坊は夢枕に神様が立ち「鉄の草鞋を履き鼻緒の切れたところを永住の地とするべし」とのお告げがあり、長旅に出ます。鼻緒の切れたところが十和田湖付近でしたが、すでに八郎太郎が大蛇となり主となっていので、覇権をかけ凄まじい争いが繰り広げられます。その争いは七日七晩続いたとされ南祖坊が勝利し、八郎太郎は落ち延びていきます。」ここまでが十和田湖編という感じですが、その後八郎太郎は鹿角や二ツ井などで騒動を起こし、その都度、神様達から疎まれたりし八郎潟まで落ち延びていきます。同じ頃、田沢湖では辰子姫も大蛇となり主となっていましたが、彼女を巡り八郎太郎と南祖坊が再び争う事となります。今度は八郎太郎が勝利し辰子姫と結ばれるという伝説です。

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十和田市十和田湖民族資料館

2012年09月06日 | 旅 歴史
 青森県十和田市大字奥瀬字栃久保にある十和田市十和田湖民族資料館です。
 十和田湖民俗資料館は、昭和53年(1978)にオープンしました。十和田地方で祖先から伝承されてきた生活の移り変わりを知る上で貴重な民俗資料を所蔵、公開しています。
 「旧笠石家」が国の重要文化財に指定され、公開されるのに合わせ修理、復原されました。これに機にこの民俗資料館が建築されました。
 ここでは貴重な生活用具に直接手で触れてみることもできます。

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旧笠石家住宅

2012年09月05日 | 旅 歴史
 青森県十和田市大字奥瀬字栃久保にある旧笠石家住宅です。
 旧笠石家住宅は、十和田湖から流れ出る奥入瀬川右岸の狭い台地の上に建てられています。古くから農業を営んできた笠石家の住宅で江戸時代中期の建築とみられ、国の重要文化財に指定されています。
 建物は、桁行20.8m、梁間10.3m、寄棟造り、茅葺きで、この地域の農家住宅の典型的な構造を残しています。梁などの主要構造部はチョウナ仕上げで、また土台を用いず礎石に直接柱を立てるなど、古い要素を各所にとどめた独特の建築様式です。
 内部は一種の広間型で、大きく三分され、南側から「じょい(居間)」「だいどこ(台所)」「まや」と並んでいます。各部屋とも板敷きで天井は設けず、壁面はすべて板張りになっています。

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新渡戸傅像

2012年09月04日 | 旅 歴史
 青森県十和田市東三番町には新渡戸傅像があります。
新渡戸傳は十和田市の歴史を作った人物として尊敬されています。荒れた台地に水を引く事を考え、苦労の末、十和田湖奥入瀬渓流から三本木原まで山の中を引いたのでした。
また近くに新渡戸十次郎像や新渡戸稲造像も建てられています。傳の子、新渡戸十次郎は、十和田市の町並みの土台を作り上げました。碁盤の目のように街区を計画し、京都に次ぐ日本で2番目の都市計画を実行したのでした。 新渡戸稲造は日本の「武士道」を英訳して世界に広めた人として有名です。農学博士であり、教育者でもあり、そして国際連盟の事務局次長も歴任しました。

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太素塚

2012年09月03日 | 旅 歴史
 青森県十和田市東三番町にある十和田市立新渡戸記念館の横に太素塚があります。
 「太素塚」には、新渡戸傅と十次郎のお墓があります。

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十和田市立新渡戸記念館

2012年09月02日 | 旅 歴史
 青森県十和田市東三番町にある十和田市立新渡戸記念館です。
 現在の十和田市の礎を築いた南部盛岡藩士・新渡戸傳(つとう)の偉業を紹介する記念館です。安政2年(1855)傳は不毛の原野だった三本木原の開拓に着手し、私財を投じて奥入瀬川の水を引き入れ、人が住める大地に変えました
 また、五千円札の肖像にもなった傳の孫の新渡戸稲造に関する資料、人工河川「稲生川」の上水に関わる資料、開拓に使用した道具類、新渡戸家に伝わる鎧、武具や蔵書も所蔵、展示しています。

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円覚寺 薬師堂

2012年09月01日 | 旅 歴史
 青森県西津軽郡深浦町深浦字浜町にある円覚寺薬師堂です。
 深浦町にある円覚寺は、坂上田村麻呂創建のお寺で、青森県最古の建造物です。古くから海上交易従事者の信仰を集め、日本海海運史上の貴重な信仰資料を所蔵していることで知られています。ここには国の重要文化財に指定されている寺宝の薬師堂内厨子があります。
 薬師堂内厨子は平安時代末期に平泉の藤原基衡(もとひら)が寄進したものと伝えられていますが、構造、意匠、技法の点から室町時代前期のものと考えられます。厨子の覆堂の棟札には永正3年(1506)と記されています。
 薬師堂内厨子は白木造りの純唐様一間厨子で、屋根は入母屋造の板葺です。青森県最古の木造建造物で、細部にわたって念入りに仕上げられ、禅宗様で造られています。

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