旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

小坂鉱山

2012年11月15日 | 旅 歴史
 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山にある小坂鉱山です。
 小坂鉱山は文化13年(1816)金、銀の鉱山として開発が始まりました。明治2年(1869)盛岡(南部)藩直営から官営になり、明治17年(1884)には藤田組に払い下げられました。 明治34年(1901)には銀の生産高が日本一の鉱山となりました。製錬技術が向上すると黒鉱から採れる銅や亜鉛、鉛の生産が主体となりました。
 山の中に労働者を集めるために、水と電気はタダにして、住居・配給・医療・衛生・体育・娯楽・文化・宗教の各施設のほか、郵便局・銀行・警察に至るまで近代的なインフラ整備を進めました。 小坂町の人口は3万人、秋田市に次ぐ県内第2の都市であったといわれたそうです。

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旧小坂鉱山事務所

2012年11月14日 | 旅 歴史
 秋田県鹿角郡(かづのぐん)小坂町小坂鉱山字古館にある旧小坂鉱山事務所です。
 旧小坂鉱山事務所は明治38年(1905)に小坂鉱山の事務所として建設され、平成9年(1997)まで現役事務所として利用されていました。平成13年(2001)小坂町の明治百年通り構想により、旧小坂鉱山病院跡地に移転復元されました。
 建設当時から明治のオフィスを代表する建造物として注目を集め、来訪する見学者も多かったそうです。バルコニー付きポーチの上部にある透かし彫りは、「藤の花」と「田」の字をデザインしています。当時「藤田組」がこの鉱山を経営していたことを物語っています。
 移転するに当たって、完成当時の状態を再現するため努力したそうです。ランプなどの室内の小物に関しても当時の設計図を元に作り直したそうです。玄関ホールのらせん階段は1階から3階まで続いていて建築的にも高く評価されています。階段の柱は、秋田杉1本を継ぎ目なしで使用しています。
 旧小坂鉱山事務所は、かつて鉱産額で全国1位にまでのぼりつめた小坂鉱山の全盛時代の生きた文化遺産です。平成14年(2002)には康楽館とともに国の重要文化財に指定されました。

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康楽館

2012年11月13日 | 旅 歴史
 秋田県鹿角郡(かづのぐん)小坂町鉱山松の下にある康楽館です。
 康楽館(こうらくかん)は、明治43年(1910)に小坂鉱山の娯楽施設として建てられた木造芝居小屋です。旧金毘羅大芝居や永楽館とともに、日本最古級の劇場の一つです。
 康楽館は和洋折衷の建物で、犠洋風建築の典型です。下見板張りの白塗り、上げ下げ式窓と鋸歯状の軒飾りが並んでいる洋館風の外観ですが、桟敷、花道、切穴など内部は典型的な和風芝居小屋になっています。
 いまでも常設公演のほかに、歌舞伎などが上演されています。平成14年(2002)に国の重要文化財に指定されています。

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北鹿ハリストス正教会聖堂

2012年11月12日 | 旅 歴史
 秋田県大館市曲田にある北鹿ハリストス正教会聖堂です。
 北鹿ハリストス正教会聖堂は明治25年(1892)地元の信者によって建てられました。ロシア正教のこの教会は、「曲田の聖堂」として知られ、東京のニコライ堂を建てた大工を呼び寄せて建設したそうです。
 荘厳なビザンチン様式の聖堂で、全国的にも珍しい平屋木造りです。建材には良質な秋田杉がふんだんに使われています。建築面積が50.7平方mの小さな教会です。昭和41年(1966)に秋田県有形文化財の指定を受けています。

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大館八幡神社

2012年11月11日 | 旅 歴史
 秋田県大館市字八幡にある大館八幡神社です。
 大館八幡神社は慶長15年(1610)に大館城に鎮座したのが創建だといわれています。大館初代城主の小場義成は、宗家である佐竹義宣の水戸から秋田への転封の際随伴し、大館城に入場しました。そして常陸太田八幡宮の神霊を祀って、大館城の守護神としたのでした。
 佐竹義房の子である4代目大館城主佐竹義武は貞享4年(1687)大館城と大館の鎮守総社として正八幡宮、若宮八幡宮の2社を建立しました。正八幡宮は岩清水八幡宮、若宮八幡宮は鶴岡八幡宮の神霊を勧請したものです。八幡二社といわれ、佐竹家が常陸時代以来の祀り方です。
 2社とも桃山文化を継承しています。彫刻など細部が凝っていて彩色なども煌びやかなもののようです。戊辰戦争や多くの火事にも逃れ、保存状態も良く国の重要文化財に指定されています。現在はコンクリート造の鞘堂内部にあります。

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鳴海家住宅

2012年11月10日 | 旅 歴史
 青森県黒石市中町にある鳴海家住宅です。
 鳴海家住宅は文化3年(1806)に創業した造り酒屋で、現在の主屋は創業時に建てられたものです。木造2階建て、切妻、妻入り、金属板葺き、桁行18間、梁間43間、正面道路側には「こみせ」が取り付けられています。
 主屋と作業場、土蔵は一体化し、店舗、座敷、居間などが片側配置され、通り土間でつながっています。江戸時代後期の町屋建築を伝える建物として黒石市指定有形文化財に指定されています。
 
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高橋家住宅

2012年11月09日 | 旅 歴史
 青森県黒石市中町にある高橋家住宅です。
 高橋家住宅は中町こみせ通りに立つ江戸中期に建てられた商家の住宅です。高橋家は享保2年(1717)ここに住み着き、屋号「米屋」で黒石藩御用達になった豪商です。米、味噌、醤油、塩などの製造販売を行い、代々「理右衛門」を襲名しています。
 現在の建物は宝暦13年(1763)に建てられました。木造平屋建て(一部2階)、切妻、妻入り、金属板葺き、桁行10.9m、梁間20m、真壁造りです。
 広い土間や吊り上げ式障子窓がある典型的な商家建築です。正面道路側には黒石市の町屋に見られる「こみせ」が取り付けられ、吊上げ大戸、しとみ戸、出格子など伝統的な仕様が見られます。
 高橋家住宅は江戸時代中期に建てられた津軽地方の町屋建築を代表する建物として昭和48年(1973)に国指定重要文化財に指定されています。

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誓願寺

2012年11月08日 | 旅 歴史
 青森県弘前市新町にある誓願寺です。
 誓願寺の創建は慶長元年(1596)、弘前藩初代藩主となった津軽為信が大光寺村に母親の菩提を弔うため、京都の誓願寺から岌貞上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
 元和元年(1615)、弘前城築城により現在地に移され大伽藍が造営されました。その後、元禄元年(1688)、寛延元年(1748)、天保10年(1839)、明治14年(1881)と火災にあい堂宇も縮小しました。
 山門は片扉を失っただけで、当時の姿で今日に伝えられ、国の重要文化財に指定されています。京都の誓願寺山門を模したといわれ、重層、切妻造り、妻入り、こけら葺きの四脚門です。
 建物全体に彩色されていて、上層の四周板壁には十二支の動物の絵が描かれています。懸魚に鶴と亀が彫刻されていることから「鶴亀門」とも呼ばれています。

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日本聖公会 弘前昇天教会

2012年11月07日 | 旅 歴史
 青森県弘前市山道町にある日本聖公会 弘前昇天教会です。
 日本聖公会教会はカンタベリー大主教を精神的指導者とするイギリス国教会として確立された、カトリックとプロテスタントの架け橋となる中道主義の教会です。
 日本聖公会弘前昇天教会堂は、大正10年(1921)に建てられました。設計は立教大学校校長を退任し建築家として日本各地の聖公会教会堂を設計していた米人建築家ジェームズ・ガーディナー、施工は本人もクリスチャンだった林緑といわれています。
 イギリス積みの赤レンガが特徴的な建物で、正面右寄りには鐘塔があります。煉瓦造り平屋建て、切妻、妻入りで、外壁に控え壁を設けたゴシック様式です。
 明治時代にアメリカ婦人宣教師が持ち込んだといわれるアメリカ・ショーニンガー社製のリードオルガンが現役で使用されています。聖堂は煉瓦造教会建築の遺構として青森県重宝に指定されています。

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旧弘前偕行社

2012年11月06日 | 旅 歴史
 青森県弘前市御幸町にある旧弘前偕行社です。
 旧弘前偕行社は明治40年(1907)に旧陸軍第8師団の弘前新設に伴う陸軍将校の親睦と研修を目的として、集会所、社交場として建設されました。
 それ以前、藩政時代は「九十九森」と呼ばれ、文化12年(1815)には9代藩主津軽寧親の別邸が建設された景勝の地だったそうです。廃藩後は名園をもつ料亭となっていました。
 構造はルネッサンス様式で、名棟梁・堀江佐吉の手によるものです。木造平屋建て、寄棟屋根瓦葺きで、玄関ポーチには第8師団をもじった「蜂」の鉄製飾りをつけています。平成13年(2001)国の重要文化財に指定されています。
 戦後、偕行社は解散され、昭和20年(1945)より弘前女子厚生学院(現・弘前厚生学院)がここに移転して利用しました。昭和24年(1949)に大蔵省から払い下げられ同学院の所有となりました。昭和55年(1980)から弘前女子厚生学院記念館として保存されています。

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旧制弘前高等学校外人宣教師館

2012年11月05日 | 旅 歴史
 青森県弘前市文京町にある旧制弘前高等学校外人宣教師館です。
 旧制弘前高等学校外人宣教師館は弘前大学の前身、旧制官立弘前高校の外国人教師宿舎として、大正14年(1925)に建てられました。正面屋根に切妻面を見せ、1、2階の仕上げを変えるなど建物を印象的に見せています。
 木造2階建(一部平屋)、切妻、金属板葺きで、1階外壁は下見板張、2階はモルタル塗で仕上げられています。縦長の上げ下げ窓、印象的な棟飾り、煉瓦積の基礎、煉瓦積の煙突など当時の洋風建築です。
 弘前大学職員宿舎になり、国の登録有形文化財に指定後は弘前大学構内に移築保存されています。

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弘前学院外人宣教師館

2012年11月04日 | 旅 歴史
 青森県弘前市稔町にある弘前学院外人宣教師館です。
 弘前学院外人宣教師館は米国から派遣された婦人宣教師の宿舎として、明治39年(1906)にクリスチャン棟梁の櫻庭駒五郎によって建てられました。
 南西隅に配置された八角形の尖塔や、とんがり屋根が特徴的な和洋折衷の建物で、女性を意識したつくりになっています。
 木造2階建て、寄棟、金属板葺きの建物で、縦長の上げ下げ窓、ファンライト風の半円形の欄間、煉瓦積煙突、淡黄色の下見板壁に葡萄色の柱や土台など当時の洋風建築の要素を取り入れています。
 この宣教師館は東北地方の優れた洋館として昭和53年(1978)に国の重要文化財に指定されました。昭和55年(1980)に弘前市中瓦ケ町から現在地に移築保存され一般公開されています。

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津軽為信霊屋

2012年11月03日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字藤代の革秀寺にある津軽為信霊屋です。
 革秀寺本堂左手にある津軽為信霊屋は、江戸時代初期に建立されたものを文化年間(1804~17)に大修理し、現在の華麗な姿にしたものです。建立当初は境内全域を聖域化し、武士の立ち入りまで厳しく制限したそうです。
 桁行1間、梁間1間、柱は総円柱、入母屋造り、妻入り、銅板葺きで正面軒唐破風付きの建物です。全体は極彩色で彩られ、内部には宝篋印塔と元弘前城の館神であった木造太閤秀吉座像が安置されているそうです。国の重要文化財に指定されています。

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革秀寺本堂

2012年11月02日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字藤代にある革秀寺の本堂です。
 本堂は慶長15年(1610)頃、建てられたもので木造平屋建て、入母屋造り、平入り、桁行9間、梁間8間の茅葺きです。内部の扉や欄干などの彫刻、天井の手法などは桃山風の手法を多く残しています。
 外観は簡素ながら内部には様々な彫刻や桃山時代の手法を取り入れた津軽地方における曹洞宗寺院の古い典型を示しています。国の重要文化財に指定されています。

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革秀寺

2012年11月01日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字藤代にある革秀寺です。
 革秀寺は、弘前城の西約1.3km、岩木川の左岸にある曹洞宗のお寺です。創建は慶長3年(1598)、長勝寺の格翁和尚の隠居寺として開かれたのが始まりと伝えられています。 
 革秀寺は藤崎村にありましたが弘前藩初代藩主津軽為信が慶長12年(1607)亡くなると、2代藩主津軽信牧(のぶひら)が、この地に移し、為信の菩提を弔うために伽藍の整備を行いました。
 以来、歴代弘前藩主から庇護され寺領150石与えられ津軽三ヵ寺の1つとして寺運も隆盛しました。維新後は神仏分離令で衰退し、創建当時のものは本堂が残っているくらいです。

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