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旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

赤山禅院

2019年09月14日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区修学院開根坊町に赤山禅院(せきざんぜんいん)があります。
 赤山禅院は修学院離宮の北にあります。延暦寺の塔頭の一つで天台宗のお寺です。京都御所の鬼門にあたるため、方除けの神として、「赤山さん」と呼ばれ古来信仰を集めました。
 慈覚大師円仁の遺命により、天台座主であった安慧が泰山府君(赤山明神)を祀ったのが起こりといわれています。修学院離宮の造営で知られる後水尾天皇(1596-1680)が離宮へ行幸された際、社殿を修築され、「赤山大明神」の勅額を賜っています。
 本殿、拝殿、本地堂などがあり、拝殿の屋根には鬼門除けの猿が置かれています。天台宗随一の荒行、千日回峰行の「赤山苦行」の寺としても有名です。千日回峰行を満行した大阿闍梨により「ぜんそく封じ・へちま加持」「珠数供養」「泰山府君祭」などの加持・祈祷が行われます。

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本圀寺経蔵

2019年09月13日 | 旅 歴史

 京都府京都市山科区御陵大岩に本圀寺(ほんごくじ)があります。
 本圀寺の経蔵は桃山時代の慶長12年(1607)、扇谷上杉家の太田資次によって再建された建物です。天明8年(1788)の大火で唯一焼失を免れた建物です。寛正5年(1464)、9世の日暁の時、8代将軍・足利義政から天下静謐の祈祷の恩賞として、一切経とともに寄進された経蔵でした。天文5年(1536)、天文法難で罹災したのでした。
 昭和51年(1976)に移転再建された経蔵は間口3間、奥行3間の、宝形造りで、単層、本瓦葺きです。正面に1間の庇を葺きおろしています。輪蔵式経蔵で、内部に一切経を納めた582の引き出しがある創建当初の八角形の輪蔵が保存されています。輪蔵を一回転させると一切経をすべて読んだのと同じ功徳があるそうです。本圀寺経蔵は大正14年(1925)に国の重要文化財に指定されています。

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本圀寺大本堂

2019年09月12日 | 旅 歴史

 京都府京都市山科区御陵大岩に本圀寺(ほんごくじ)があります。
 本圀寺の大本堂は本師堂の横に昭和48年(1973)に建てられました。日朗、日印、日静、日伝が祀られています。勝利大黒天像は、室町時代、諸宗との問答対決の際に、日朗の弟子・日印が懐に忍ばせていたものです。幕府は、日蓮門下の敗北と追放を謀りましたが、日印は、これを論破し、勝利を得たことから、勝利大黒像と呼ばれるようになったそうです。

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本圀寺本師堂

2019年09月11日 | 旅 歴史

 京都府京都市山科区御陵大岩に本圀寺(ほんごくじ)があります。
 本圀寺の本師堂は大本堂の横に昭和46年(1971)に建てられました。日蓮上人の持仏であった釈迦尊(閻浮第一立像釈迦牟尼世尊)が祀られています。閻浮第一(えんぶだいいち)」とは世界中に二つとないという意味です。亡くなる前に、2世の日朗授け、末代まで本圀寺でお祀りするよう遺言したそうです。

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本圀寺

2019年09月09日 | 旅 歴史

 京都府京都市山科区御陵大岩に本圀寺(ほんごくじ)があります。
 大光山本圀寺は日蓮宗の大本山の一つで、「東の祖山」久遠寺に対し、「西の祖山」「西の総本」と呼ばれています。建長5年(1253)に日蓮上人(1222-1282)が神奈川県の鎌倉にある松葉ヶ谷で草庵の法華堂を開いたのが始まりです。伊豆法難により、志は2世の日朗、3世の日印に引き継がれました。
 貞和元年(1345)、4世の日静が北朝第2代の光明天皇より寺地を賜り、京都の六条堀川に移転し、本國寺と改称しました。その後、妙顕寺とともに京都の日蓮宗を代表するお寺になりました。しかし天明8年(1788)の大火で妙顕寺は灰燼に帰し、本圀寺も本堂・五重塔をはじめほとんどの堂宇が焼失しました。
 文久3年(1863)には本圀寺事件が起きました。宿泊中の鳥取藩側用人・黒部権之介らが、河田景与ら因幡二十士に襲われ、暗殺された事件です。昭和46年(1971)、本圀寺は旧末寺の離散や多数の訴訟と借財で、堀川の地を売却し、現在地の山科へ移転しています。

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勧修寺型灯篭

2019年09月08日 | 旅 歴史

 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町にがあります。
 京都市の名勝に指定されている勧修寺の庭園の中に大きな傘を持つ変わった形の灯篭があります。勧修寺型灯篭と呼ばれ、水戸光國の寄進と伝えられています。

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勧修寺宸殿

2019年09月07日 | 旅 歴史

 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町にがあります。
 勧修寺の宸殿は元禄10年(1697)に明正天皇より旧御所御対面所を下賜された建物です。入母屋造り、桟瓦葺き、寝殿造り風の建物で、一の間、二の間、三の間があります。一の間には幅2間の床と1間の棚、そして付書院を備えた書院造りです。宸殿は本堂とともに昭和60年(1985)に京都市の有形文化財に指定されています。

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勧修寺

2019年09月06日 | 旅 歴史


 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町にがあります。
 亀甲山(きっこうざん)勧修寺は真言宗山階(やましな)派の大本山です。昌泰3年(900)、醍醐天皇は生母・藤原胤子(いんし)の菩提を弔うため生母の実家である宮道(みやじ)家の邸宅を寺に改め、外祖父・藤原高藤の諡号をとって、勧修寺と名付け、のちに醍醐天皇の勅願寺となりました。
 天皇家、藤原家のもとで繁栄し、鎌倉時代に後伏見天皇の皇子・寛胤(かんいん)法親王(1309 - 1376)が15世となって以来、勧修寺は宮門跡寺院となり、幕末まで法親王、入道親王が相次いで入寺されました。
 応仁の乱や文明2年(1470)の兵火で焼失し、豊臣秀吉によって境内地を削られ(伏見街道を造るため)、次第に衰退していきました。江戸時代には徳川家綱、綱吉の帰依を受け伽藍が整備され、再興されました。
 境内東側には手前から宸殿、書院、五大堂、本堂などが建てられています。境内西側は氷室(ひむろ)池を中心とした庭園になっています。寺宝であった国宝の刺繍釈迦如来説法図は奈良時代の貴重な文化財で奈良国立博物館に移されています。
 勧修寺の書院は江戸中期(17世紀末)に建てられた後西院(ごさいいん)御所の旧殿を貞享3年(1686)に下賜された建物だといわれています。間口正面6間、背面9間、奥行東側5間、西側4間、単層、入母屋造り、こけら葺きです。大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。

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松丸殿五輪塔

2019年09月05日 | 旅 歴史

  京都府京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峰に豊国廟(ほうこくびょう)があります。
 豊国廟には松丸殿の五輪塔が建てられています。松丸殿は浅井長政の姪で、若狭守護・武田元明に嫁ぎました。本能寺の変後、明智光秀に味方した夫は殺害され、京極高次の取り成しで秀吉の側室にされました。出家後、処刑された秀頼の子・国丸松の遺骸を引き取り、帰依した誓願寺(中京区)に埋葬しました。その後、豊国廟に国松丸の墓とともに移されました。

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国松丸五輪塔

2019年09月04日 | 旅 歴史

  京都府京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峰に豊国廟(ほうこくびょう)があります。
 豊国廟にある国松丸の五輪塔は松丸殿の五輪塔の左に建てられています。国松丸は豊臣秀頼の側室の子で、千姫をはばかり、生後すぐに若狭京極家に預けられ、砥石屋弥左衛門の養子となりました。大坂冬の陣で大坂城に入城し、夏の陣で城外で捕らえられ六条河原で斬首されました。享年8歳でした。

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豊国廟

2019年09月03日 | 旅 歴史


  京都府京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峰に豊国廟(ほうこくびょう)があります。
 豊国廟は日枝神社前の参道を東に進んだつきあたり(京都女子学園・大学の奥)、阿弥陀ケ峰(標高196m)の山頂にあります。慶長3年(1598)に63歳で他界した豊臣秀吉の遺体は翌年、遺言で阿弥陀ヶ峰に葬られ、頂上に祠廟が建てられました。
 後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、壮大な社殿では、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が取り行われました。しかし元和元年(1615)に豊臣は滅亡し、廟は徳川により打ち壊されてしまいました。
 明治30年(1897)、秀吉の三百年忌に再建され、墳上に高さ10mの巨大な五輪塔が建てられました。社殿は、明治13年(1880)、旧方広寺大仏殿の地に、豊国神社として再建されています。階段下左手には豊臣秀頼の子・国松丸と秀吉側室・松丸殿の五輪塔があります。

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善能寺

2019年09月02日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区泉涌寺山内町に泉涌寺があります。
 善能寺(ぜんのうじ)は、泉涌寺の塔頭で二階堂とも呼ばれました。本尊の阿弥陀如来像を祀っています。境内にある祥空殿は昭和46年(1971)、北海道で遭難した航空機「ばんだい号」犠牲者遺族・谷本氏が、犠牲者の冥福と航空機事故の絶無を願いを寄進したものです。

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雲龍院

2019年09月01日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区泉涌寺山内町に泉涌寺があります。
 泉涌寺の塔頭である雲龍院は空海(弘法大師)の創建と伝えられています。わが国最古の荒神坐像(国重文)があり、本尊に阿弥陀如来を祀っています。境内の一角に赤穂義士・大石良雄が建てた茶室「含翠軒(がんすいけん)」があります。扁額「含翠」は良雄の筆によるものです。

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