旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

専修寺楼門

2021年09月15日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 専修寺の山門でもある楼門は江戸時代中期の元禄年間(1688-1703)の建築といわれています。如来堂の正面に位置しています。入母屋造り、桟瓦葺きの一間一戸の楼門です。楼上には、江戸時代に天台座主であった公猷親王の筆になる「高田山」の扁額が掲げられています。昭和56年(1981)、国の重要文化財に指定されています。

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専修寺総門

2021年09月14日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 専修寺の総門は江戸時代前期の元和から万治年間(1615-1660)に建てられたと思われます。親鸞聖人によって建立された専修寺の伽藍は嘉禄2年(1226)に整いましたが、その後2回の火災により総門以外のほとんどの建物が失われてしまいました。
 総門は一間薬医門です。切妻造り、茅葺きです。境内の建物の中で最も素朴な建物で、総門は昭和56年(1981)に国の重要文化財に指定されています。

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専修寺如来堂

2021年09月13日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 専修寺の如来堂は一光三尊仏を本尊として安置するお堂です。総門、楼門の軸線上に束面配置されています。江戸時代中期の元禄14年(1701)の建築といわれ、各柱に寄進者の刻名があります。間口5間18.03m、奥行5間10.04mの入母屋造り、一重、銅板葺きです。正面に千鳥破風が付き、1間の向拝がある本堂らしからぬ建築です。
  現在は銅板葺きですが、もとは茅葺きで天保6年(1835)に銅板葺きに改めたと記されています。柱はすべて円柱となっており、その上の木組みは三手先の詰組みという複雑な 構造になっています。中世密教寺院の仕様で昭和56年(1981)に国の重要文化財に指定されています。

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専修寺御影堂

2021年09月12日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 境内のほぼ中央にある専修寺の御影堂(みえいどう)は浄土真宗の開祖である親鸞を祀るお堂です。墨書から江戸時代中期の寛保3年(1743)に建てられています。間口9間23.71m、奥行8間20.07mの大型建築です。単層寄棟造り、銅板葺きで3間の向拝があります。外廻りは派手な装飾を抑えた地味なお堂ですが、中は華麗な装飾が施されています。
 親鸞聖人等身御影 (栃木県指定重要文化財)を正面にし、両脇壇に真仏上人坐像と顕智上人坐像(ともに国指定重要文化財) を安置しています。御影堂の大きさは栃木県下では日光の三仏堂に次ぐ建物です。昭和56年(1981)に国の重要文化財に指定されています。

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専修寺

2021年09月11日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市高田に専修寺(せんじゅじ)があります。
 高田山専修寺は親鸞開創のお寺で、真宗教団連合を構成する浄土真宗10派のうちの一つ,・真宗高田派に属しています。専修寺の創建は嘉禄元年(1225)真岡城主大内氏の懇願により親鸞が信濃善光寺から迎えた秘仏の一光三尊仏を安置し堂宇を建立したのが始まりとされています。
 親鸞の教化活動はそれまでの遊行から専修寺中心になり、建立後約7年間この寺で過ごし、この時期に「教行信証」を書いたそうです。そして北関東の布教の中心として地位を固め、嘉禄2年(1226)には後堀川天皇から「専修阿弥陀寺」という勅願寺の綸旨を受けました。
 親鸞が京都に帰るとき、道場は直弟子真仏上人に譲りました。真仏上人の後は顕智上人が継ぎ、高田教団は初期真宗教団発祥の地として仰がれました。顕智上人の功績は大きく、今日も「念仏高田」いわれ、毎年8月の顕智忌には、宗派を越して数万の人が参詣するそうです。
  寛正6年(1465)に新たに伊勢に専修寺を建立しそちらを本山としました。その時には後柏原天皇より高田専修寺を正統とすべき綸旨を賜っています。さらに正親町天皇から女房奉書を賜り門跡寺院になりました。以後寺運は隆盛し、今日に至っています。
 真宗寺院では親鸞を祀る御影堂と如来堂(阿弥陀堂)を並べて建てますが、専修寺では総門、楼門、如来堂が一列に並び、そこから矩折りに御影堂が配されています。
 昭和42年(1967)国の史跡に指定され、昭和56年(1981)、如来堂・御影堂・楼門・総門の4棟の建造物が重要文化財に指定されました。親鸞縁の寺宝も多数所有しています。境内の奥の林の中には、親鸞聖人のお墓があり、 聖人の遺歯が9粒埋葬されているそうです。

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桜町陣屋跡

2021年09月10日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市物井に桜町陣屋跡(さくらまちじんやあと)があります。
 桜町陣屋跡は「二宮金次郎」で有名な二宮尊徳が、付近の農村を復興するための仕事をしていた役所の跡です。文政5年(1822)から天保8年(1837)までの間、二宮金次郎はこの陣屋に赴任し農村の復興に尽力しました。
 敷地の中には、役所のほか、役人詰め所、木小屋、板倉などが建てられ、実用的で質素な家屋です。農民に「勤・倹・譲」を教えとする報徳仕法を広めながら、荒れた農村を見事に復興させました。桜町陣屋跡は昭和7年(1932)に国の史跡に指定されています。

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大前神社鳥居

2021年09月09日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市東郷に大前神社(おおさきじんじゃ)があります。
 享和2年(1802)建立の大前神社の鳥居は屋根付きの、高さ中央6.1mの両部鳥居です。両袖部がある両部式鳥居の代表的なものです。大前神社参道の第3の鳥居で、全体の形もよく整っています。木造の鳥居では現在する江戸時代のものとしては県内最大です。天明3年(1783)の銅燈籠とともに栃木県の重要文化財に指定されています。

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大前神社本殿

2021年09月08日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市東郷に大前神社(おおさきじんじゃ)があります。
 大前神社本殿は宝永4年(1707)に再建された建物です。間口3間、奥行2間の権現造りで銅板葺きです。正面には1間の向拝が付いています。組物の龍の彫刻のほか、柱や壁の幾何学意匠の地紋彫など、随所を秀逸かつ先駆的な手法で飾っています。これらは名工藤田孫平治を棟梁として彫られました。孫平治は、成田山新勝寺の三重塔の彫刻も施しています。本殿は平成30年(2018)に国の重要文化財に指定されています。

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大前神社拝殿・幣殿

2021年09月07日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市東郷に大前神社(おおさきじんじゃ)があります。
 大前神社拝殿は江戸時代中期の元禄元年(1688)に再建されています。間口5間、奥行3間、単層入母屋造り、銅板葺き、平入で、千鳥破風が付き、正面には1間の軒唐破風の向拝があります。向拝には龍や獅子の精緻な彫刻が施され極彩色で彩られています。幣殿は17世紀末頃に造営されたもので、間口2間、奥行1間、寄棟造り、銅板葺きです。拝殿と幣殿は平成30年(2018)に国の重要文化財に指定されています。

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大前神社

2021年09月06日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市東郷に大前神社(おおさきじんじゃ)があります。
 大前神社は延喜式神名帳に記載されている古社です。延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳には下野国11社のうちの芳賀2社の1つとして記載され、大内庄33郷の総社として信仰されてきました。歴代領主にも崇敬され平将門や芳賀氏は社領の寄進や社殿の造営を行っています。
 芳賀氏は、大前神社の東に若色城を、次いで南に御前城を築き、22代芳賀十郎清原高定に至るまで大前神社社領守護職を兼ねていました。ところが芳賀氏の主家である宇都宮氏が突然、豊臣秀吉により改易され、芳賀氏も所領没収され離散しました。、
 天正18年(1590)徳川家康が江戸入府の時に再興され、糸魚川藩から真岡藩に入封した稲葉正成は社殿の改修を行っています。寛永9年(1632)に稲葉氏が小田原藩に移封し真岡藩は廃藩になりました。慶安元年(1646)、3代将軍徳川家光から8石の朱印状を受け取っています。
 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治6年(1873)に郷社、明治10年(1877)に県社に列しています。事代主命(恵比寿天)を祀り、境内には台座7m、本体13mという日本一の恵比寿様が鎮座しています。拝殿・幣殿と本殿は国の重要文化財に指定されています。

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二宮神社

2021年09月05日 | 旅 歴史

 栃木県真岡市物井に二宮神社(にのみやじんじゃ)があります。
 二宮神社は尊徳資料館、桜町陣屋跡に隣接しています。二宮尊徳没後50年の明治38年 (1905)に尊徳の遺徳を偲び霊を祀って隣の桜町陣屋内に創建されました。 昭和11年 (1936)の二宮尊徳没後80年に現在の位置に移り、 社殿も新たになりました。
 毎年、 二宮尊徳の命日である11月17日 (旧暦の10月20日)に祭礼が執り行われます。尊徳資料館には、尊徳直筆の書や尊徳が愛用した陣笠・脚絆、脇指し、茶器、火鉢などを展示しています。二宮神社の南の蓮城院には、二宮尊徳のお墓があります。

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地蔵院観音堂

2021年09月04日 | 旅 歴史

 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に地蔵院(じぞういん)があります。
 地蔵院観音堂は3間4面、寄棟造りで銅板葺きです(以前は茅葺きでした)。間口4.02m、奥行4.02mで高さは5.75mです。簡素な作りで茅負に年代の古さを見ることができます。地蔵院観音堂は益子町の有形文化財に指定されています。

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地蔵院本堂

2021年09月03日 | 旅 歴史

 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に地蔵院(じぞういん)があります。
 地蔵院の本堂は、間口5間(12.18m)、奥行4間(9.74m)、一重の入母屋造りで、屋根はとち葺き形の銅板葺きです。室町時代後期の天文11年(1542)に現在地に移築され、文化7年(1810)頃に地蔵院の火災により、本堂となったようです。須弥壇には鎌倉時代の厨子があり、本尊である延命地蔵菩薩像が安置されています。
 地蔵院の本堂は木割の細い構造で洗練された斗拱や簡単な桟唐戸、内部の波形連子欄間、一木造りの斗拱などの手法は室町期の特徴を良く示しています。本堂は大正5年(1916)国の重要文化財に指定されています。

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地蔵院

2021年09月02日 | 旅 歴史

 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に地蔵院(じぞういん)があります。
 地蔵院は真言宗智山派のお寺で、本尊は延命地蔵菩薩です。建久5年(1194)、宇都宮氏の第3代当主宇都宮朝綱(ともつな)が、長男業綱(なりつな)を亡くし、その菩提を弔うため尾羽寺を創建しました。朝綱は平家の中でも、かなり有力な武将で、平家没落後は源頼朝に仕え、根拠地を宇都宮に移しました。
 朝綱は、仏道に入って尾羽入道寂心と名乗り尾羽寺を宇都宮氏の菩提寺としました。宇都宮氏は戦国大名にまでなり、尾羽寺も庇護され繁栄しました。天正12年(1584)、宇都宮国綱に背いた七井城の城主益子勝忠がこの尾羽寺で毒殺されています。しかし慶長2年(1597)に国綱が豊臣家から改易を言い渡され、尾羽寺は衰退します。跡を継いだ宇都宮義綱は水戸藩に仕えました。
 江戸時代の中期頃までは尾羽寺でしたが、文化年間(1804-1818)に火災で地蔵院が火災で焼失と記され、江戸時代の後期には真言宗の地蔵院になっています。地蔵院の本堂は旧国宝で、現在は国指定重要文化財です。境内には推定樹齢が600年といわれる糸桧葉(いとひば)があります。ひのき科ヒノキ属で、樹高5~6m、サワラの変種です。昭和60年(1985)に益子町の天然記念物に指定されています。

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綱神社摂社大倉神社本殿

2021年09月01日 | 旅 歴史

 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町上大羽に綱神社(つなじんじゃ)があります。
 綱神社の摂社・大倉神社の本殿は大倉林(現大羽小学校)に古くから鎮座していました。大同2年(807)の創建と伝わる古い神社で、綱神社の摂社となり、綱神社本殿の隣に遷座されています。大倉神社の本殿は室町時代後期の大永7年(1527)に建てられたと思われます。大正12年(1923)に国の重要文化財に指定されています。
 本殿は1間4面、前面に1間の向拝を設けています。向拝柱は面取角柱を使用し、本殿は円柱で内部を8角作りにのままにしています。斗拱は三斗組で向拝中央に蟇股を備えています。綱神社と同様に規模は小さめですが室町時代の特徴をよく表しています。

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