7時半、起床。
トースト(葡萄パン)、サラダ(鶏のササミ、トマト、ベビーリーフ)、紅茶の朝食。
午前中、書斎にいるとききはたいてい東京FMをかけているが、「中西哲生のクロノス」だったか、「住吉美紀のブルーオーシャン」だったかで流れていた奇妙礼太郎トラベルスイング楽団という奇妙な名前のグループが歌っていた「赤いスイトピー」(松田聖子の歌の編曲・カバー)がとても魅力的で、それが収められた彼らのアルバム『東京ブギウギ』をネットで購入して、繰り返し聞いている。映像は→こちら
午後2時を回った頃、昼食を取りに出かける。
玄関を出るとき、野良猫のなつが寄ってきて「ニャン」と言ったが、とくにお腹が減っている様子ではなく、たんにご挨拶という感じだった。暖かくなってきて野良猫たちも気持ちに余裕が出てきたようである。
「グッディ」で本日のランチセットA(ジャンバラヤ)を注文。
カントリー・ソング「ジャンバラヤ」が頭の中で聞こえる。気分はカーボーイ。
サラダとスープもちゃんとしている。
何度も書くが、サイフォンで淹れたブレンドコーヒーが付いて840円は本当にお得だ。
ゼミ生の一人からメールが来て、春学期が始まると就活がますます本格化するのでいまのうちにゼミで読む予定の文献に目を通しておきたいので何を読む予定か教えて下さいと書かれていた。殊勝な心がけだが、どうせ読書をするなら、君が関心のあるテーマ(ゼミ論で取り組みたいテーマ)の本をたくさん読みなさいと返信しておいた。
ゼミではたくさんの本を読むつもりだが、坂口恭平『現実脱出論』(講談社現代新書)は「生活空間の拡張」というポスト・モダンのライフスタイル論の視点から取り上げてみたい一冊である。もしどうしても春休みのうちに何か読みたいのであれば、これを読んでおくとよい。
「まずは現実を観察する。/言葉では簡単に書けるが、これを実践するのはなかなか難しい。たとえば、この現実とはまったく別の世界に飛んでいくことができたら、現実を客観的に捉えることができるかもしれない。しかし、仮に地球の果てまで空間的に移動したとしても、現実から離れることは永遠にできないのだ。それではただの現実逃避になっていまう。/たとえば、お金がない。仕事がない。人から嫌われている。人と気軽に話をすることができない。仕事場で怒られてばかりいる。空気が読めない。引き籠りである。才能がない。孤独である。なんだか知らないがずっと不安を感じている。こんな時、現実逃避したいと誰もが思う。/しかし、現実逃避というのは、「現実」という地面の上で逃げ続ける行為だ。つまり、同一平面上での運動である。これでは逃避すればするほど、本人の意図とは裏腹に、現実の存在感を強化してしまうことになる。/終わりがない現実逃避は、現実という架空の世界地図をどんどん広げていくようなものだ。現実以外にも実は存在している他の複数の世界を、知らぬ間に浸食し、現実という世界で全て覆ってしまう。/僕が考える「現実脱出」とは、現実逃避のことではない。/現実脱出とは、見たくない現実を見ずにすませることではない。僕はこの言葉に、「これまで蓋をしたり、存在を体感しているのに現実的ではないと切り捨ててきたことを直視してみる」という意味を込めている。客観的に見ることが困難な現実を観察するために、現実の中に潜んでいるもう一つの別の空間の可能性を見つけ出す行為といってもよい。/だからこそ本書では、ふだんであれば「勘違い」や「思い込み」などと言って削除してしまいそうなことも、できるだけ皮膚に伝わるように書いてみた。見たまま、聞いたまま、匂ったまま、考えたままを記録するように心がけた。」(28-29頁)
知り合いの画家、増田常徳さんから展覧会(カオス展)の案内が届いたので、紹介しておきます。
「カオス 混沌ー明日への問いかけ」展2016
3月11日(金)~16日(水) 11:00-19:00(最終日は16:00まで)
増田さんを含む13人の画家のグループ展である。一週間と期間が限定されているが、必ずうかがいます。
夕食は回鍋肉。ようやく妻は私のリクエストを受け容れて、ピーマンもネギも入れない、豚肉とキャベツだけのシンプルな回鍋肉を作ってくれた。あれこれい入れると舌触りが悪くなっていけません。
サラダに山芋。
菜の花のおひたし。これが美味しかった。やっぱり旬のものはいいですね。
デザートは苺。
3月の末に一泊二日の松本旅行に出かけることに決め、宿をネットで予約した。春(5月)、夏(8月)、秋(11月)は茅野の友人Kの別荘の訪問とセットだが、今回は松本単独のひとり旅である。卒業生を送り出して、新しい学生を迎える前の気持ちの切り替えが主たる目的である。
3時、就寝。