フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月15日(水) 晴れ

2017-02-16 11:30:17 | Weblog

8時、起床。

カレーライス、サラダ(鶏のササミ)、紅茶の朝食。

昼過ぎに家を出る。

京浜東北線に乗って上野駅公園口で下車。

先月の29日に芸大美術館に修了展(卒業生の櫻井あすみさんが出品)を見に来たが、

今日は東京都立美術館。卒業生で句会仲間の恵美子さんが出品する東京書作展選抜作家展が今日から開催である。

2時に恵美子さんと待ち合わせであるが、彼女はまだ来ていない。

彼女がからメールが来て、「いま不忍の池の畔を歩いているところです」とのこと。とずればあと10分ほどだろうか。ただし「不忍の池の畔の畔を歩いている」というのは「?」である。彼女は上野広小路方面から来るので、上野駅前の階段を上って西郷さんの立像のある高台に出るのが普通のルートで、不忍の池の畔を歩くのは遠回りである。案の定、道に迷ったようで、お巡りさんに聞いているとのメールが届いた。

「上野って伊賀上野のことじゃないよね」とメールを送ろうとしているところに、15分ほど遅れて、恵美子さん到着。

さっそく会場へ。

彼女の作品はタテ3メートルほどの大作である。

奥田民夫の「CUSTOM」という詞を書いたもの。

これまでも彼女は谷川俊太郎の詩やブルーハーツの詞を書にしてきたが、今回は「恥ずかしい」気持ちが強いという。というのは、「CUSTOM」はとても好きな歌だが、ただ好きというだけでなく、彼女自身の内面を開示しているような歌なのだそうだ。たしかに自己開示というのは恥ずかしい。深いほど恥ずかしい。と同時に快感も強いに違いない。 

「CUSTOM」(奥田民夫)

伝えたい事が そりゃ僕にだって あるんだ

Uh ただ笑ってるけれど

伝いたい事は 言葉にしたくは ないんだ

Mm そうしたらどうしたらいいのさ

そこで目を閉じて 黙って 閃いて 気持ち込めて

適当な タイトルで ギターを弾いてみました

頭の中が 見せられるなら 見せるんだ

Uh ただ笑ってるだけで 済むのさ

だから目を閉じて 気取って 間違えて 汗をかいて

あやふやな ハミングで 歌を歌ってみました 叫びました

誰か 誰か 見てて くれないか

誰か 誰か 聞いて くれないか

声が 音が 空に 浮かんで

届け 届け 響け そう響け

雨と 風と 君の 歌だぜ

アメリカ ジャマイカ インドネシア エチオピア

山と 海と 飛び越せ 鳴らせ

彼方へ 飛ばせ

届いてる?

たしかにこの詞は彼女の生き方(ある時期から今日までの)をストレートに示している。

一言でいえば、表現主義的な個人主義だ。表現とは自己の内側から溢れ出てくるものである。同時に、表現とは誰かに対してのものである。

(表現された)私をみてほしい。でも、恥ずかしい。でも、見てほしい。

腹が減った。(井之頭五郎の口調で)

午後3時。私は昼食をまだ食べていない。彼女は(起きるのが遅いからなのだが)朝食さえも食べていない。

店をさがそう。

上野桜木の辺りを歩きながら、店を探すが、混んでいたり、

閉まっていたり、

ちょっと入りづらかったりする。

店頭で店の人がビラを配っている店があった。「骨董喫茶・茶席 瑜伽(ユカ)庵」。食事もできるようである。

「大久保美術」の2階の「ギャラリー大久保」をカフェ&茶席としたもののようである。親戚ではないが、入らないわけにはいかないだろう。

フード類は二種。私はキッシュ。

恵美子さんはキーマカレー。

さすがにお皿には凝っている。

食後のお茶は私はミルクティー。カップ&ソーサーもやはり凝っている。

こちらが茶席。

一輪挿しの椿。

若い人や外国人の客を意識したものだろう、畳には上がらず、椅子席でお茶を飲めるスタイルである。

ご主人の大久保さん。ルーツを確認したが親戚ではないようである。

 時間があれば、千駄木方面に散歩の足を延ばしたいところだが、彼女は5時までに有楽町に行かねばならない。

西日を浴びながら、上野公園の中を駅に戻ることにする。 

国立博物館前の噴水広場でおどけたポーズを「自分から」してくれる。「ポートレートの女王」はサービス精神も旺盛な人である。

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」というタイトル(小説=映画)を彷彿とさせる構図。

「地に足を付けて生きる」

何かのヒーロー(ヒロイン)のポーズ。

国立西洋美術館の前庭で。

ロダン「カレーの市民」

 

ロダン「考える人」

ロダン「弓を引くヘラクレス」

【後記】この日は私がインフルエンザを発症する2日前であったが、彼女からはその後「インフルエンザに感染しました」という報告は来ていない。実は彼女はすでに昨年11月にインフルエンザ(A型)に感染しているのである。それは私同様、彼女にとって初めての体験で、ひどい頭痛と40度近い高熱に4日間さいなまれたそうである。そのときの彼女のブログがこちら→

蒲田に帰ってくる。

西口駅前の広場の周りに柵ができている。

「歩道のバリアフリー化」か。たしかに大きな木の周りは円型に一段高くなっているのであるが、それをフラットにしようということか。素人目には単純な工事のように思えるが、「平成30年3月30日まで」(つまり2年間も)かかるのか?

夕食は豚シャブ。

肝心の鍋の写真を撮るのを忘れる。

なつの「甘え」が度を増している。家に入れた直後に「かまって」と鳴いてくるのはこれまでもあったが、いったん膝に乗せてなででやれば、それで納得して、定位置(椅子の下のホットシートの上)でおとなしく寝たのであるが、最近は、少しすると「かまって」とまた鳴いてくる。まるで何度も夜泣きをする赤ん坊の世話をしているみたいである。これではこっちが眠れないので、今夜はそれほど寒くないことでもあるし、午前2時頃、外に出す。


2月14日(火)晴れのち曇り

2017-02-16 11:15:10 | Weblog

8時、起床。

トースト、カレー、サラダ(炒り卵)、紅茶の朝食。

今日も晴天。冬晴れの日々が続く。

遅い昼食を「マーボ屋」に食べに行く。ランチタイム終了(14:00)の15分前に入店。先日、ランチタイムど真ん中に来た時はほぼ満席だったが、今日は私だけ。

酢豚セットを注文。

酢豚はトマトと黒酢の2パターンがあるが、いつも黒酢をチョイス。

呑川沿いの道を食後の散歩。映画「シン・ゴジラ」で芋虫のような形態のゴジラが東京湾から登ってきた川である。

呑川は住宅街の中を流れる川なので(「なので」といういい方が妥当かどうかわからないが)、短い間隔でたくさんの橋が架かっている。

川沿いには「イイネ」と思う建物がいくつかある。

この「理化電機」もその一つ。

かつて日本の高度成長を下支えしていた町工場という趣が感じられる。

若宮橋のたもとに建つ堤方住宅。

高度成長期の家族の住宅という趣が感じられる。

日蓮橋には歩道橋が併設されている。 

橋の上に立ち止まって満開の桜を見物する人たちが多いからだろう(あるいは橋のたもとに小学校があるからかもしれない)。

マンボウのような形の雲が浮かんでいる。

堤方橋の上は池上通りである。このまま川沿いの道を行けば本門寺だが、

川を離れて、池上通りを池上駅の方へ。

「はりねずみベーカリー」がある。

「phono kafe」の大原さんから評判を聞いて来てみたのだが、本日は定休日のようである。

ここも「phono kafe」の常連客から評判を聞いているネパール料理の「ヒマラヤ」。一度は食べに来ねばなるまい。

池上のとんかつの名店「燕楽」(えんらく)。ここには何度か来たことがある。「カキフライ」もやっているようだ。

池上駅前の交差点。

ここから梅園の方へ行ってみる。

「肉のスズキ」の二階は「鈴木書道教室」だ。こういう取り合わせは珍しいのではないだろうか。初心者には「肉」という字をまず教えるそうだ(もちろん嘘です)。

「寿食堂」。素敵なネーミングだ。

でも、たぶんもうやっていない。残念だ。

古民家カフェ「蓮月」。今日は立ち寄らない。

本門寺の正面の階段横にある「理境院」。

寺町なのでたくさんの小さな寺があり、境内のは梅の花が見頃である。

紅梅。

白梅。

白梅に明くる夜ばかりとなりにけり  蕪村

巖定院。

 

赤と白と緑、そして本堂の瓦屋根の黒のコントラストは美しい。

もうすぐ梅園だ。

本日は梅園全体としては「六分咲」とのこと(一週間前は「四分咲き」だった)。ただし、一本一本の梅の木は満開のものやすでにピークを過ぎたものもある。

枝垂れ梅の上にメジロが来ていた。

姉と妹(弟?)。

平日だがほどほどのにぎわいである。

閉園時間(4時半)まであと1時間。

遊歩道の辺りの梅は先週はほとんど咲いていなかったが、今日はだいぶ咲いている。

紅梅。

白梅。

この大きな木は桃の木。

斜面を登る。高低があるのがこの梅園の持ち味である。

見晴台。

紅梅。

白梅。

梅園全体としての一番の見頃は来週あたりらしい。

陽が傾いてきた。

梅園をあとにする。

池上通りの交差点。

駅前の商店街の外れにある「バターリリー」に寄って行く。

叔母さんと姪御さんでやっているお店だが、今日は姪御さんは不在だった。

クリームブリュレと紅茶を注文。

閉店(午後5時)間際で客は私一人だったので、マダムとあれこれおしゃべりをする。

帰りは電車(池上線)に乗って行く。

夕食は青椒肉絲(わが家では豚肉)、

エビ焼売。

サラダ、大根の味噌汁、ご飯。

デザートは苺。

今夜は『カルテット』のある日。風呂を浴びてから録画で視る。魔性の女が本性をあらわにし始めた。すずめちゃん負けるな、と応援に力が入る。

今回(第5話)の印象に残った台詞。「仕事だよ」(それまで丁寧な言葉で対応していたコンサート会場の女性スタッフが、仕事の内容に不満げな主人公たち4人に言い放った言葉)。

仕事至上主義社会。「仕事だから」といえば大抵の理不尽がまかり通る社会にわれわれは生きている。たぶんオレオレ詐欺の電話をかけている男たちもそう思って頑張っているに違いない。

「仕事だから」は他人をねじ伏せ、自分に言い訳をするために便利な言葉である。