フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月13日(木) 晴れ

2020-02-15 21:43:17 | Weblog

9時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

11時25分に蒲田駅で卒業生のエミさん(論系ゼミ2期生)と待ち合わせる。彼女は妊婦さんで来月末が出産予定である。お腹に赤ちゃんがいる卒業生と会うことはもはや珍しいことではなくなったが、新型コロナウィルスの影響で、今月は予定していた妊婦さんとのカフェが2件中止になった。一人はユカさん(論系ゼミ2期生、神戸在住)で、もう一人はミサキさん(論系ゼミ6期生、埼玉在住)。二人とも4月の出産予定で、安定期でカフェ巡りには支障はないものの(むしろ散歩はした方がよい)、どちらも長時間の電車での移動になるから感染が(小さな確率ではあっても)心配だ。その点、エミさんは蒲田の一つ隣の川崎の在住であるから、先月末まで水道橋の会社まで毎日満員電車で通勤していたことを考えれば、心理的な問題はまったくない。

「まやんち」を11時半に予約しておいた。

もちろん「まやんち」の看板メニュー、アフタヌーンティーを注文(要予約)。

彼女とここでアフタヌーンティーをいただくのは二回目である。写真は二人前。

上段は、フレジエ、金柑のタルト、ウィークエンド(柚子風味)、柚子のマカロン、生チョコタルト、柑橘ゼリー、

下段は、ミニキッシュ、野菜のサンドウィッチ、スコーン(自家製ジャム&クロテッドクリーム)

お茶は、私は「未夜(みや)」という日本の紅茶、彼女はルイボスティーを注文。

お茶はポットで供されるが、私はお菓子が残り3個になったところで、全部飲み干してしまった。

紅茶を追加で注文。今度はダージリンのオータムブレンド(いくつかの茶園の秋摘みの茶葉をブレンドしたもの)。普通、秋摘みは春摘みや夏摘みに比べて色が濃くなるが、摘んだばかりの秋摘みだから色はそれほ濃くはない。しかし味わいは深く、スイーツにはよく合う。

「まやんち」には2時間近く滞在した。アフタヌーンティーとはそういうものである。

この後、彼女を大森の「sanno2198」に連れて行きたい。マダムにもそのことを伝えていて、マダムは「タルトタタンを作ってお待ちしています」と言ってくれている。しかし、いまからすぐに行ったのでは、お腹にタルトタタンの入る余地がない。腹ごなしの散歩を途中に入れる必要がある。どこにしようと考えて、大森駅の近くに大森貝塚の史跡と公園があるので(私はまだ一度も行ったことがない)、そこに行ってみようということになった。

大森貝塚の石碑は京浜東北線の線路際にあるが、そこへはバス通り(池上通り)からビルとビルの間の細い通路を入って行く。

そして線路際まで階段を下りていく。

石碑はビルと線路の間の小さな敷地に建っている。

「大森貝墟」。理学博士佐々木忠次郎の書である。いまでは「大森貝塚」だが当初は「大森貝墟」と呼ばれていたことがわかる。

台の部分に「大森貝塚の跡。1877年にエドワード・S・モース教授によって発見される」と記されている。

モースは東京大学の動物学の教授として来日した。そして横浜から新橋に向かう電車の中から大森貝塚(と後に呼ばれることになった貝塚)を発見したのである。

エドワード・シルヴェスター・モースの肖像。

いま京浜東北線の車窓からわれわれ二人を「発見」している乗客もいるに違いない。

石碑のある場所と公園は別で、いったんバス通りに戻って、もう少し歩くと、再び細い脇道に入る場所がある。ここは大田区と品川区の境で、道の右側が大田区、左側が品川区だ。

少し行くと、左側のマンションの敷地に入る扉がある。

扉の外にこんなパネル表示がある。大森貝塚遺跡庭園にはこんな場所を通って行くのか。

一種の「秘境」といえるのではあるまいか。

マンションの私有地を抜けて、この先の扉の向こうが目指す公園のようである。

彼女も一体どこへ連れて行かれるの不安だったようだが、ようやく公園らしい場所に出て、ホッとした表情になった。けっこう広い公園である。

(名称は後から知ったのだが)貝塚展示ブースというのがあった。貝殻のデザインの壁と屋根(?)。

貝塚の見える地層が再現されている。きっとモースが車窓から見たのはこんな地層だったのだろう。

いまならちょっと物知りな小学生なら「貝塚だ!」とわかるはずだが、当時の日本人には「貝塚」という概念がなかったのだろう。大森貝塚が日本の考古学発祥の地とされる所以である。

貝塚は貝殻の捨て場というのが通説だが、近年、貝の加工場であるという説も浮上しているようである。

この先にさらに開けた場所があるようである。

(これも後から知った名称だが)「縄文の広場」と「地層の回廊」。

「地層の回廊」で記念写真。

これが公園の全貌。われわれが入ってきたのは裏口みたいなものだった。バス通りから直接入れる広い入口があったのだ。

さて、お腹もこなれたところで「sanno2198」へ行きましょう。マダムに電話をして「いまから伺います」と伝える。

公園からは15分ほどで到着。

先客はいなかった。

暖かな日差しの下を散歩して喉が渇いていたわれわれはアイスコーヒーを注文。

マダムが丁寧にコーヒーを淹れるのを見つめるエミさん。

淹れたてのコーヒーは氷で容器を冷やしてアイスコーヒーにする。

氷の入っていないアイスコーヒーとタルトタタン。いただきます。

紅玉を使ったタルトタタン。ほどよい酸味と甘さである。

マダムとおしゃべりをしていると、今日が2回目という男性客がやってきた。実は、私のブログを見てここに来られたそうである。聞くと、「甘味あらい」の記事(閉店のいきさつ)を見たのが私のブログを見るようになったきっかけだそうである。「甘味あらい」のご主人が40代の半ばの若さでくも膜下出血で急逝されたのは2011年10月7日のことである。その日のブログは→こちら。「甘味あらい」が閉店してからどこの店でもあんみつを食べてもものたらないので、あんみつそのものを食べなくなりましたと男性は言った。私も同感である。

私たちが「甘味あらい」の思い出を語り合っているところに、常連のミキさん(「ミキティーと呼んで」のミキさんである)が入ってきて、話の輪がさらに広がった。彼女は美容関連のお仕事をされているが、隣のエミさんを見て、「きれいな方。お肌もきれいね」と言った。エミさんが来月末に出産予定で、それも2人目と知って、「えっ、おいくつですか?」と聞いていた。大学を卒業したばかりと思い込んでいたようである。

彼女はプリンを注文した。

さて、気分がよくなったところで(笑)、われわれはそろそろ失礼しましょうか。5時までにお子さんのお迎えにいかなくてはならないのだ。

彼女は無類のカフェ好きである。今日は私との出産前の最後のカフェの予定であったが、まだまだ行っておきたいカフェもあるようなので、もしかしたらあと1回カフェの機会があるかもしれない。

夕食の主菜は鶏肉とカシューナッツの甘辛野菜炒め。「マーボ屋」レベルで美味しい。

レンコン餅の揚げびたし、サラダ、味噌汁、ご飯。

食事をしながら『プレバト』を観る。

デザートは「カフェ・スリック」に注文し、妻がテイクアウトしてきた、バレンタイン仕様のシフォンケーキ。

半分個して食べる。

今日はケーキ・デーだ。

チョコレートもいただく。「ホワイトデー」を忘れないようにしないとな。

2時、就寝。