フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月26日(水) 晴れ

2008-03-27 00:50:28 | Weblog
  7時半、起床。ハムステーキ、トースト、牛乳の朝食。昨夜、謝恩会から帰宅すると、二週間前に受けた健康診断の結果が郵送で届いていた。若い人でもそうであろうが、私くらいの年齢になると、健康診断(人間ドック)の結果を聞くときはドキドキする。自覚症状は何もなくても、深刻な問題が見つかるというのはよくあることである。前回は「胃潰瘍瘢痕の疑い」と「球部十二指腸球部変形の疑い」で精密検査(胃カメラ)を受けることになったし(結果は異常なし)、前々回は「心筋障害」で精密検査(ランニングマシンに乗って心電図をとる)を受けることになった(結果は異常なし)。で、今回の結果だが、再検査や精密検査の指示はなかった。ホッ。ただし、毎回のことながら「胆嚢ポリープ多数」(経過観察)と「脂肪肝」(要減量)の指摘はあった。その他の項目はすべて「A」評価である。肝機能、血中コレステロール、血糖値、まったく問題ない。おそらく酒・煙草をまったくやらない(禁酒・禁煙ではなく最初からやらないのである)ことが大きな理由ではないかと思う。さて、これで気持ちよく新学期の授業に臨むことができる。
  午後、昼食をとりに外に出る。「テラス・ドルチェ」でスパゲティ・ミートソースと珈琲のセット。本当はナポリンタンが食べたかったのだが、メニューには載っているものの、「5時以降の特別メニュー」と但し書きがしてあった。ナポリタンのどこが特別なのかわからなかったが、そういえば、スパゲティ専門店でもナポリタンはメニューにない。素朴すぎるのかもしれない。「テラス・ドルチェ」の珈琲はサイホンでいれる。しかもわざわざ客のテーブルまでサイホンでもってきて、客の見ている前でカップに注ぐ。ちゃんとサイホンでいれてますよというパフォーマンスなのだろうか。珈琲は美味しい。ミートソースも単純に業務用の缶詰のものを温めて使っているのではなく、手間をかけている感じがする。女主人をはじめとする店の人たちに生気があり、昔ながらのインテリアの店だが、寂れた感じはまったくない。常連客も多そうで、彼らと店の人のやりとりを聞いていると、高度成長期の映画のワンシーンを観ているような気がする。

       

  そのままジムへ行く。ウォーキング&ランニングを6.2キロ。私の現在の体重だと、6.2キロでちょうど500キロ・カロリー(牛丼一杯分相当)の消費なのである。ラスト3分を試しに時速10キロで走ってみたが、これはけっこうきつかった。しばらくは時速8.5でいこう。
  「ルノアール」に立ち寄る前に階下のコンビニで今年始めてのガリガリ君(ソーダ)を購入。路上で食べる。ジムに行く日は寒い日が多かったのだが、今日は暖かかったので、ガリガリ君解禁とあいなった。

       
                  ガリガリ君は止まらない

3月25日(火) 晴れのち曇り、夜半に小雨

2008-03-26 09:08:20 | Weblog
  今日は大学の卒業式の日。毎年3月25日と決まっている(したがって曜日は毎年変る)。9時、起床。トースト、ハム、柚子のマーマレード、牛乳、紅茶の朝食。出掛けに学文社から刷り上ったばかりの拙著『日常生活の社会学』が届く。年末年始に書いていたのはこの原稿である。入稿から短期間で刷り上ったのは109頁の小冊子であることと、校正のときに加筆をほどんどしなかった(完成原稿を渡した)からである。どうにか新学期に間に合った。「早稲田社会学ブックレット」の「社会学のポテンシャル」シリーズの最初の巻であるが、嶋崎尚子『ライフコースの社会学』と長田攻一『対人コミュニケーションの社会学』も同時刊行された。書店にはこれから並ぶ。定価は1300円。

       

  午後1時に大学に到着し、教員ロビーで嶋崎先生、人間科学部の池岡先生と「ライフコース・アーカイブ研究所」の立ち上げの件で相談。名誉教授の正岡先生を中心にわれわれがこれまで手がけてきた種々のライフコース調査の資料をデータベース化して管理・活用していくための研究所である。しかし、その相談の時間より、「早稲田社会学ブックレット」の企画委員である嶋崎先生がわれわれに原稿の催促をしていた時間の方が長かった気がする。池岡先生は二冊、私もあと一冊書く約束になっているのである。「大久保先生、GW明けには原稿をいただけますよね」と嶋崎先生。「は、はい」と私。池岡先生も叱咤激励されていた。
  遅めの昼食は「メーヤウ」で。インド風ポークカりーを食べる。辛さを示す★印は3つである。一番よく食べているタイ風レッドカリーが★2つであるから、それよりもワンランク上の辛さである。辛さが美味さを凌駕しない上限ギリギリの辛さではないかと思う。食後もしばらく辛さの感覚が喉に張り付いていた。コンビニで明治のストロベリーチョコレートを購入し、歩きながら口に入れる。
  4時から各専修ごとの卒業証書授与式。社会学専修室はいつもの36号館AV教室。主任の那須先生が一人一人に卒業証書を手渡す。私は今回の学生たちは演習の授業を担当してこなかったので(卒論演習を除く)、顔と名前の一致する学生がごくわずかしかいない。それでも何人かの学生が私のところへやってきて「お世話になりました」と挨拶をしてくれた。2年生か3年生のときに大教室での私の講義を履修したのであろう。「先生のブログを読ませていただいています」という学生もいた。彼らは私の日常について知っているが、私は彼らの名前さえよく知らない。この非対称性はブログならではである。カフェテリアの前の広場で行なわれている二文の卒業パーティーに途中から顔を出す。ほとんど終わりかけていたが、1年生のときの基礎演習の学生だったC君、Kさん、Iさんと言葉を交わすことができた。C君は出版社に就職する。Kさんは芸能プロダクションで活動を続ける。Iさんはロースクールに進学する。三人三様だ。握手をして別れる。
  気になる案件があったので、現代人間論系室に顔を出す。助手のAさんと話をしているところに社会人間系専修助手のYさんがやってきた。Yさんは今月末で助手の任期が終わる。これまでほとんど個人的に話をする機会はなかったが、歌人の穂村弘のファンで(それもかなり熱烈なファンで)、私がブログで彼のことを取り上げたときは嬉しかった(というよりも興奮した)そうだ。そんなこととは少しもしらなかった。話はしてみるものである。
  論系室ですっかり話しこんでしまい、時計を見ると7時15分前。馬場下の交差点でタクシーを拾って、7時から椿山荘で開かれる社会学専修の謝恩会に駆けつける。会の半ばで、教員のスピーチがあった。年齢の若い順に、土屋先生、嶋崎先生、長谷先生、森先生、私、浦野先生、那須先生、坂田先生、和田先生、長田先生の順でスピーチをしたが、順序を当てるクイズを出したら面白かったのでないだろうか。はたして何人正解者が出ただろうか。私は卒業生たちに健康を損なうほど一生懸命に働いてはいけないということを言った。企業というのは利潤追求(金儲け)を目的とした集団である。社会的正義という観点からすれば問題をかかえた集団である。しかし、それがどのような集団であれ、個人は集団の一員として組み込まれれば、その中で認められようと一生懸命になる。しかし、われわれの生活=人生というのは多元的な集団所属によって成り立っており、企業(職場)はあくまでもそのワン・オブ・ゼムであり、しかも交換が可能な要素である。そこに過剰な時間とエネルギーを投下して燃え尽きるようなことがあってはならない。労働の対価として企業(職場)から受け取る報酬以上のものを企業に捧げてはならない。・・・というような趣旨の話をした。それはこの春、目の前にいる卒業生たちと同じく、新社会人となる私の娘に対して父親として言ってやりたい言葉でもあった。

3月24日(月) 雨のち曇り

2008-03-25 03:05:42 | Weblog
  8時半、起床。ドライカレーと牛乳の朝食。社会学の卒業生で卒論指導を私が担当したMさんという人がいる。いま、ワシントンDCで働いているのだが、私にとってはワシントン特派員のような存在で、彼女のブログはアメリカ社会の動向を知る上で大変参考になる。最近のブログでは、オバマ議員がフィラデルフィアで行なった人種問題をテーマにした演説のことが取り上げられていて、興味深かった。で、ブログからリンクが貼られていたオバマ議員のその演説の映像を観た。40分ほどの長さの演説だったが、引用のためにちょっとメモを読んだ以外は、ずっと聴衆を見ながら語っていた。冷静かつ真摯な演説だった。リチャードソン・ニューメキシコ州知事がこの演説を聞いて「ヒスパニック系アメリカ人とした彼の言葉に感動した」と述べ、オバマ支持を表明したというのもうなづける。
  「日常生活の社会学」の授業で使うパワーポイントのスライドの準備。スライドは凝りだすと時間がかかるが、いまの時期ならパワポの技法の習得をかねて、少々時間がかかってもかまわない。
  昼食は卵かけご飯。3時過ぎにジムへ。ウォーキング&ランニングを6キロ。トレーニング後に計った体重は、3週間前のトレーニング再開初日の同じ時点よりも1.5キロほど減っている。授業開始までの2週間で、あと1キロ減らしたい。
  ルノアールで読書。授業の準備の意味もあって、長谷川公一ほか編著『社会学』(有斐閣、2007年)を読む。去年の暮れに出た本で、600頁近い重厚なテキストだが、文体は軽やかである。著者たちの才気と意気込みを感じる。

  「私たちはみな、異なる道を歩んでいる。異なる夢を抱き、異なる明日に向かって今を生きている。この社会には、気の合う相手もいれば、顔を合わせるのも苦手な相手もいる。しかし私たちは、他の人間から切り離されては生きていけない。家族、学校、クラブ・サークル、会社、地域社会、国、そして世界。これらの場で、いやでも他の人間と関わりながら、生きていくことを迫られている。なぜ、価値観や生きがいの異なる人間同士が、ともに暮らしていけるのか。考えてみると、このことはとても不思議だ。・・・(中略)・・・異なる人間たちが、限られた空間のなかでともに住み合っていくことを可能にする知恵あるいは仕掛けの総体、とりあえず、これを「社会」と呼んでおこう。」(2頁)

  「まだら模様を示しながらも、社会はその厚みと深さと多様性を確実に増している。リアルとヴァーチャル、ナショナルとトランスナショナルといった異なる世界をまたぎながら、人びとは新しいつながりの形を体験しつつある。さらに、システムと環境、生命と非生命のように、かつては絶対的なものとして大きく立ちはだかっていたさまざまな境界をスリリングに越境しながら、社会的なものがあらたに創造されていく現場に、私たちは立ち会っている。/この引き裂かれた状況においてなお、社会をめぐる想像力と構想力の旅を、あくまでも私という現場から始めること。あくまでも、私を社会のなかに投げ出しながら、そこで目に映るもの、耳に届くもの、全身をとおして感じ取られるものこそを、まず社会のはじまりと信じ続けること。そして、さまざまな「つながり」のなかに、たしかに位置を占めている私の姿を確認すること。社会学という知の営みに乗り出すにあたって、社会と対峙する最初の現場とは、まず私=「自分」という場であるしかない。」(3頁)

  「本書がめざすのは、あるパラダイムを他のパラダイムによって取って代えることではない。そうではなくて、対象としての社会のさまざまな変化と共振しながら、内と外に向かって越境的に自らを再編していく社会学の姿を、その変化とともに提示していくことが、本書の到達目標となる。/壊しつつつくり、つくりつつ壊す。そして、またつくる。今日、社会学という知がめざしているのは、このたえざる往復のなかから、変貌する社会を言葉にするための新しい語り方(語り口・文体)を生み出すことである。」(10頁)

  社会学の勉強をしっかりやりたいという学生にはぜひ勧めたいテキストである。

  夜、『薔薇のない花屋』の最終回を観る。誰も死んだりしない、幸福な結末で、よかった。

3月23日(日) 晴れ

2008-03-24 02:20:18 | Weblog
  午後、蔵書の整理。書斎の本の一部(スチール本棚一本分ほど)を書庫に移動する。移動するにあたっては、そのスペースを確保するため、日本文学(古典)関連の蔵書をこれまでの場所(一番入り口に近い場所)から一番奥から二列目の未使用の書架に移動する。岩波の日本古典文学体系とか、新潮社の新潮古典集成とか、筑摩書房の日本詩人選とか・・・。こうした本が書庫の一番よい場所に置かれていたのは、大学入学の当初、日本文学専修に進もうと思っていたことの名残である。
  真冬だと書庫には長時間いられないが、春ともなると、ひんやりとはしているものの、作業の合間に目に付いた本を手にとって、そこで読みふけるという至福の時間をもてるようになる。
  たとえば千葉俊二・坪内祐三編『日本近代文学評論選(明治・大正篇)』(岩波文庫)所収の内田魯庵「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」は明治45年に発表された文章である。

  「二十五年前には日清・日露の二大戦争が続いて二十年間に有ろうと想像したものは一人もいなかった。戦争を予期しても日本が大勝利を得て一躍世界の列強に伍するようになると想像したものは一人もいなかった。それを反対にいつかは列強の餌食となって日本全国が焦土となると想像したものは頗る多かった。・・・(中略)・・・二十五年前には東京市内には新橋と上野浅草間に鉄道馬車が通じていただけで、ノロノロした痩馬のガタクリして行く馬車が非常なる危険として見られて「お婆ァさん危ないよ、」という俗謡が流行った。電燈が試験的に点火されても一時間に十度も二十度も消えて実地の役に立つものとは誰も思わなかった。電話というものはただ実験室内にのみ研究されていた。東海道の鉄道さえ尚だ出来上がらないで、鉄道反対の気焔が到る処の地方に盛んであった。」(193-194頁)

  なるほどね。明治末年から振り返る25年間とはそういうものだったわけだ。隔世の感あり、というやつだ。あるタイプの歴史家の書いた本を読むと、社会の変化は必然的なことの連続で、すべてお見通しみたいな書き方をしているが、それがいかに眉唾であるかが、こういう当時の文章を読むとよくわかる。いま(2008年)から25年前というと1983年だが、それはちょうどわれわれ夫婦が結婚した年である。確かに、妻がこんなに強くなるなんて、当時は夢にも思わなかったな。
  書庫の整理(およびつまみ食い的読書)をしていたら、時間の感覚がなくなって、今夜行こうと思っていた早稲田大学交響楽団の定期演奏会(サントリーホール)に行きそびれてしまった。

3月22日(土) 晴れ

2008-03-23 00:03:45 | Weblog
  春らしいお天気の一日だった。午後1時からの早稲田社会学会の理事会に出席するため大学へ向かう。東京駅でJRから地下鉄に乗り換えるあたりで携帯が鳴って、出ると学会事務局のHさんからで、「社会学年誌」の落丁の件で出版社の社長が大学へお見えになっているとの連絡だった。訂正作業の終わった「社会学年誌」が今日の12時に搬入されたのだが、社長が直々にやって来られるとは思っていなかった。あと15分ほどで大学に到着するのでお待ち願いますと伝えてもらう。落丁等のミス自体はもちろんあってはならないことだが、ミスが起こってしまった以上は、いかにして迅速かつ丁寧に事態に対処するかという話になるわけで、この点、出版社の対応は見事であったと思う。危機的状況を一緒に乗り越えたことで学会と出版社の絆はむしろ強まったのではないかとさえ感じる。私がこういうことを書くのは、決して社長から手土産として頂戴した千疋屋のケーキのためではない。「社会学年誌」は予定どおり来週に一般会員と関係機関に発送される。
  理事会が終わり、余ったケーキ(なにしろ出席した理事の人数の3倍の数のケーキを頂戴したのである)を身近の教員や事務の方に配って回る。土曜日でもけっこうみなさん大学に来ていらっしゃるのですね。教員ロビーで安藤先生、小沼先生とケーキを食べながら文学談義をしていたら、側を通る先生方が珍しいものを見るようにわれわれを見ていた。今日、結局、私はケーキを4個食べた。苺のムース、苺のゼリー、プリンアラモード、バナナケーキである。さすがに千疋屋、使われているフルーツが上等でとても美味しかったが、ここ数週間のジムでのカロリー消費が一瞬にして水泡に帰したような気がする。

        
                       春宵の街