今回取り上げるのは、九州の温泉ファンにはお馴染み、指宿の外湯の中でも屈指の渋さと貫録を備え持つ「弥次ヶ湯温泉」です。明治期に開業したという歴史あるこちらの浴場は湯治宿も兼ねており、弥次という男が温泉を掘り当てたことからこの名称となっているんだそうです。まるで映画のセットのような外観を一目見たときから、懐古趣味のある私はもうゾッコン、お風呂に入ることを一瞬忘れ、しばしその佇まいに見惚れていました。
訪問時、番台にはどなたもいらっしゃらず無人状態でしたが、カウンター上には胡蝶蘭や小物類が飾られていたり、その上にぶら下がっている照明はデザイン性の高い木工品であったり、その脇の柱にくくりつけられている振り子時計が渋い味を醸し出していたりと、狭い空間ながらレトロとモダンを調和させた実に品のある雰囲気づくりがなされており、怒涛のように押し寄せる老朽化に負けて朽ちることなく、寧ろ年を重ねてこそ光る魅力を存分に活かそうとする老舗ならではの矜持が伝わってきます。
普段から公衆浴場営業に関しては無人なのでしょう、番台にはこのようにいろんな告知が掲示されていました。お釣りがひるような場合はインターホンで呼び出てほしいとのことでしたが、わざわざ出てきていただくのは申し訳ないような気がしたので、私は表の自販機で紙幣を小銭へ崩して、こちらの料金を支払いました。
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玄関の戸を見上げると、こんなものが・・・
広告 本県庁ハ大正三年四月、内務省鉱泉事務嘱託陸軍三等薬剤正薬学博士近藤平三郎氏ヲ招聘シ県下各鉱泉ヲ調査ノ処、本泉ニ左ノ通リラチウムエマナチオン含有セル旨、同年八月七日県公報ヲ以テ発表サレタリ 泉主 東郷静哉
一リツトル中ラチウムエマナチオン含量
-12 10キュリー201.2
マツヘト0.54321(常用字体に変換、原文句読点なし)
マツヘトはマッヘ、ラチウムはラジウム、エマナチオン(独語)はラドンのことを指しているかと思われますが、-12 10って10のマイナス12乗ってことかしら(そんな書き方しないか)?一リツトル中ラチウムエマナチオン含量
-12 10キュリー201.2
マツヘト0.54321(常用字体に変換、原文句読点なし)
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帳場内には昔の料金表も残されていました。年代が書かれていないのでいつのものかはわかりませんが相当古そうです。内容を書き出してみますと、大人1回入浴につき3銭、2回以上は6銭、8歳未満は半額、寄留者の1ヶ月分入浴料は30銭(つまり長期湯治客ということか)、ただし永住者や独身者は半額、付近に永住する農家の1ヶ月分入浴料は15銭、ただし客湯を利用する場合は別料金、親類知人職人のような家族以外の者は別途料金を申し受ける・・・とのこと。昔は細かく料金が設定されていたんですね。
さて「弥次ヶ湯温泉」には名前の通り「弥次ヶ湯」という浴場の他、「大黒湯」という浴場もあって、両方に入ることができます。まずは「弥次ヶ湯」から。
●弥次ヶ湯
母屋の右側に建つ独立した湯屋が「弥次ヶ湯」。屋根の下にちゃんと扁額もかかっていますね。
古い公衆浴場らしく、脱衣所と浴室が一体化しており、浴室にカラン等は無く、四角い浴槽がひとつあるだけの至ってシンプルな構造です。壁にくくりつけてある竹筒に花が活けてある点は、公衆浴場らしくないさりげない品格が感じられます。
脱衣所からは3段ほどステップを下りて洗い場へ。ステップを下りて浴室へ行く温泉は名湯である場合が多いので、この下りステップに足をかけるだけでも期待に胸が膨らみます。モルタルで造られた洗い場の床や浴槽は温泉に含まれる金気(鉄錆)のために赤く染まっており、幾星霜を経てじっくりと重ねられてきたその渋い色合いがこのお風呂の歴史を感じさせてくれます。
浴槽はおよそ6人サイズで、底には羽目板が敷かれており、足元湧出を期待させるような構造ですが、実際には足元湧出ではなく、布の袋が被せられた槽内の湯口から熱々の源泉が供給されていました。浴槽は女湯の方とつながっているようにも見えましたが、底も奥行きも深いので真相のほどは不明です。蛇口などからの加水はなされておらず、熱いまんまの源泉が張られている湯船は当然ながらかなり熱めの湯加減です。浴槽の縁からはしっかりオーバーフローしていました。もちろん完全掛け流し。
男女両浴室の仕切りに沿ってこのような源泉溜りと冷水の枡があり、湯船の湯加減を調整したい場合はこの枡のお湯や水を出したり止めたりするみたいです。
お湯の特徴としては、やや赤みを帯びた白色系の貝汁濁りで、濁り方はやや強く底が霞んで見えにくいほどです。浴場内を赤く染めるほど鉄錆の知覚がはっきりとしており、肌にピリっと滲みるほど塩分も強く、更には赤錆に結びついているタマゴ臭のような匂いも感じ取れました。
浴室から脱衣所を見たところ。脱衣所と浴室が一体化していますが、他の一体型の浴場と違ってこちらは仕切りがあり、フクロウが描かれた暖簾がさがっていました。他の公衆浴場とは一線を画す、お上品なお風呂でした。
●大黒湯
弥次ヶ湯の左隣で、母屋と棟続きになっているお風呂です。一応入口は弥次ヶ湯と別ですが、男湯でしたら相互の脱衣室がつながっているので裸のままで移動できます。一方、残念ながら女湯ですと二つの浴室は思いっきり離れていますから、一旦着替えて移動しなければなりません。こうした構造は厳然たる男尊女卑社会だった昔の日本の名残なのかもしれませんね。ま、現代は女性優位なものが多かったりしますから、こうした造りが残っていてもいいんじゃないかしら(あはは)。
こちらも脱衣所と浴室が一体化した昔ながらのスタイルですが、弥次ヶ湯と違って仕切りなどは無く、至って庶民的です。脱衣エリアの棚には常連さんのお風呂道具がズラリと並んでいました。
弥次ヶ湯同様、こちらも数段のステップを経て洗い場へと下りてゆきます。浴室の中央には角がとれた長方形の浴槽がひとつ。水道の蛇口や源泉枡以外は余計なものが無い、シンプル・イズ・ベストな造りです。壁には入浴マナーを注意喚起するプレートが貼られており、その下辺に山形屋の広告が入っている点はいかにも鹿児島県らしいところ。
浴槽の大きさはけだし弥次ヶ湯とほぼ同じかと思われますが、縁が細い分、こちらの方がいくらか小さく見えました。また浴槽の底も同様に板敷ですが、お湯の濁り方が弱いためにこちらは底の様子がはっきり目視できました。匂い・味ともに弥次ヶ湯よりもマイルドであり、特に金気はかなり大人しくなっているように感じられました。またこの時は加水されていたのか、非常に入りやすい絶妙な湯加減となっており、マイルドな浴感と最適な温度のおかげで心地良く湯あみすることができました。
大黒湯にも弥次ヶ湯のような源泉溜りと冷水枡があり、ここの栓を抜いたり挿したりすることで湯加減を調整するみたいです。この源泉溜りから床下に潜り込んで槽内の湯口へとつながっています。
ちょっとお上品な弥次ヶ湯と庶民派の大黒湯、どちらも甲乙つけがたい素晴らしいお風呂でした。男性でしたら裸のまま双方を行き来できるので、両者を入り比べてみると面白いかもしれません。
弥次ヶ湯12号
ナトリウム-塩化物温泉 50.4℃ pH6.5 溶存物質3307mg/kg 成分総計3348mg/kg
Na+:936.9mg(77.50mval%), Ca++:159.8mg(15.16mval%),
Cl-:1740mg(94.04mval%),
H2SiO3:162.2mg,
弥次ヶ湯13号(使用施設名:大黒湯)
ナトリウム-塩化物温泉 51.8℃ pH6.5 溶存物質3276mg/kg 成分総計3318mg/kg
Na+:892.3mg(77.73mval%), Ca++:147.8mg(14.78mval%),
Cl-:1694mg(92.65mval%),
H2SiO3:199.1mg,
JR指宿枕崎線・指宿駅もしくは二月田駅より徒歩15分(約1.4km)
鹿児島県指宿市十町弥次ヶ湯1068 地図
0993-22-3030
7:00~21:00 第2・4木曜定休
270円
備品類なし
私の好み:★★★