※今回の記事に温泉は登場しません。あしからず。
現在の青森県の県庁所在地といえば言わずもがな青森市でありますが、犬猿の仲である津軽と南部をくっつけた上でこの地が妥協の産物のような形で県の中心となったのは明治以降のことであり、それ以前は新興の一港にすぎず、藩政時代の津軽においては当然ながらお城のある弘前が中心でありました。今でこそ青森県の農産物の代表といえばリンゴですが、リンゴ栽培は明治以降にアメリカ人宣教師の手によって始められ、職を失った武士の帰農事業として普及したものであり、それ以前は表高よりはるかに多い実高を誇る米の生産や、ヒバの産出が藩の経済を支えていました。トラックが無い当時は北前船が主要な輸送手段であり、津軽の産品はこの北前船によって現在の関西方面へ運ばれたわけでして、この物流による交流が影響して津軽のみならず東北の日本海側は現在も京など上方の文化の影響が強く残っているのですが、津軽藩が北前船に荷を積んでいた物流基地は、今ではすっかり寂れた漁村に落ちぶれてしまった鰺ヶ沢でありました。
鰺ヶ沢は津軽の第一の津出し港として栄え、かつては奉行所も置かれたほど藩政と経済にとって重要な拠点だったのですが、昔ながらの和船しか入港できない鰺ヶ沢港は近代化以降の蒸気船に対応することができず、その上奥羽本線の開通によって物流の主役が鉄道にとってかわられたため、明治以降はただただ落ちぶれるばかりで、一時的には漁業で再興できそうな時期もありましたが、昭和40年代には「二人町長問題」というみっともない事件を起こし、人口流出にも歯止めがかからず、今では過疎と赤貧の財政に苛まれる典型的な左前の片田舎になってしまいました。こんな鰺ヶ沢ですが、昔とった杵柄と申しましょうか、藩政時代の華やかな様子を今に伝える伝統行事「鰺ヶ沢町白八幡宮大祭」は津軽の京祭りと称されるほど絢爛かつ荘厳なイベントであり、4年に一度開催されるこのお祭りが今年8月14・15・16日の3日間にわたって挙行されましたので、今回はその様子を簡単にお伝えさせていただきます。
「鰺ヶ沢町白八幡宮大祭」は300年以上も続いている、津軽藩の歴史を伝える伝統ある行事であるにもかかわらず、今年になってようやく県の無形文化財に指定されたというのですから、いかに鰺ヶ沢という僻地が近代化された県から見放されてきたかがよくわかりますが、それはともかく、このお祭りで最もインパクトがあるのは1日目と3日目に行われる「御神輿渡御行列」でして、町のHPから文章を引用しますと…
と記されています(出典:鰺ヶ沢町役場HP「白八幡宮大祭について」)。
京都の祇園祭と時代祭をミックスされたようなこの「御神輿渡御行列」については後述しますが、この他にお祭り期間中には毎日運行されるものとして、藩政時代からの鰺ヶ沢の中心部に位置する各町が曳く人形山車があり、町ごとに人形のテーマが異なっています。10台の山車について、町ごとのテーマは以下の通りです。
このように、それぞれ日本の神話や中世あたりまでの歴史を題材としており、題材を造形化した大きな人形にして台車の上に載せ、その下に太鼓や鉦鼓・篠笛・三味線などのお神楽が乗り込んで祇園囃子を奏で、錫杖を持った二人の露払いを先頭にして稚児・女児・そして山車が隊列を組んで、お祭りが開催される3日間、鰺ヶ沢町内(大和田~本町~舞戸)を練り歩きます。各町の山車は、14日の初日と16日の最終日は御神輿とともにフォーメーションを組んで長い一列を形成する「御神輿渡御行列」に内包されますが、中日の15日は各町が自由に練り歩ける自由運行日となっており、各町の山車が最も個性を発揮する日でもありますので、今回はこの自由運行日に撮影しました山車を紹介いたしましょう。
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お祭り期間中は神輿が白八幡宮から下界(町域)へと下り、「御神輿渡御行列」が行われない時間帯は漁港に設けられた「御仮殿」に仮り置かれます。翌日(最終日)の海上渡御に備え、港に舫われている漁船には大量旗や榊が飾り付けられていました。
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(右(下)画像は2009年に撮影したものです)
意見すると単なるお神楽の舞台に見えますが、舞台袖に注目! 塩釜神社と書かれているのがわかりますよね。これは「新町塩釜神社神楽 カシ禰宜」と称するもので、本町・浜町・釣町に挟まれている新町では、他の町と異なり山車を出さないものの、町内に設けた塩釜神社の御仮殿で神楽を行います。津軽の一漁村で宮城県の塩釜を名乗っているのは何とも不思議ですが、これはかつての名主が仙台の塩釜大明神に参拝した際、とても賑わっていた塩釜のカシ禰宜神楽を観賞してすっかり気に入ってしまい、是非鰺ヶ沢でもこの神楽をやるべ、という話になって伝播されたんだそうです。とはいえ、その後本家の塩釜では廃れてしまったため、塩釜のカシ禰宜神楽が見られるのは現在では鰺ヶ沢だけとなっています。
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こちらは昼のお休みを終えて、漁港の前を出発する田中町の山車「神武皇后」。
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田中町の山車は出発してまもなく浜町の町内へと入り、浜町の山車と行き違います。その際拡声器で「こちらは○○町でございます。△△町の皆様、いつも大変お世話になっております」という口上を述べながら、お互いにエールを送り合います。山車の後ろを追う軽トラには大きなクーラーボックスが積んであり、炎天下における長時間の行進でも熱中症にならないよう、たくさんの冷たい飲料が用意されています。
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こちらは鰺ヶ沢警察付近を通る七ツ石町の山車「川中島の合戦」。山車の下では祇園囃子を奏でています。
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本町のNTT交換所前で一時停止して、稚児たちが演舞「チャンチャレンコ」を踊る浜町の山車「素戔嗚尊」。
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続いて町役場の前にやってきた浜町の山車は、正面玄関前で、稚児や女児が演舞を披露しました。踊り終えた後は、披露が疲労に変ったか、炎天下の中、暑さでうなだれたみなさんは冴えない表情で集合写真。子どもの参加に関して、各町の山車では、原則的にその町に属する中学生までの子供が参加することになっています。かつてはもっと多くの参加者がいたのですが、年々その数は減少しています。ちなみに今回浜町の露払いを担当した女の子二人(集合写真の両端に写っている白い服)は姉妹でして、本来は中学2年生の妹のみが参加する予定でしたが、当初は参加予定になかった高3の姉も急遽駆り出されることになり、姉妹揃って露払いを任されることになりました。ま、参加すればお小遣いがもらえますから、子どもたちにとっては決して悪い話じゃないんですけどね。
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浜町の山車が役場前を去った後は、つづいて本町2丁目&米町の山車「加藤清正」がやってきました。こちらも役場の正面玄関前で演舞を披露するのですが、子供の人数は浜町の半分ほどしかいません。ちょっと寂しいですね。
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本町2丁目&米町の行列で注目すべきは、五条大橋における牛若丸(義経)と弁慶を再現した演舞です。白塗りの牛若丸役の人を見たときには気持ち悪いオカマか、あるいは祭りに乗じてふざけた仮装をしているのかと勘違いしたのですが、いざ演技に入ると、牛若丸が俊敏な動作で弁慶の長刀をかわす様を、しっかりと演じており、熱演につい引き込まれてしまいました。
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観光客で賑わう「海の駅」でも各町の山車が演舞を披露します。これは浜町の山車が演舞を終えて、拍手喝さいの中、七つ石町方面への移動を開始したところです。
ここまで紹介した様子を動画にしてYouTubeにアップしました。祇園囃子や掛け声、そして演舞の様子がよくおわかりいただけるかと思いますので、ご興味あれば是非ご覧ください。
本当はもうちょっとお祭りを追跡したかったのですが、あまりの暑さに音を上げ、見学を途中で取りやめて近所の海へ素潜りしに行ってしまったので、今年はこれ以上撮影をしておりません。でも、いくらなんでもこれでは内容が足りないので、これ以降は、前回(2009年)の最終日に撮影した画像をいくつか取り上げて補足説明をさせていただきます。
●2009年の最終日(海上御輿および渡御行列の)様子
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最終日はお神輿を船に載せて、大量祈願の海上御輿を行います。
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大漁旗で彩られた漁船に、無事神輿が据えられました。
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御神輿を載せた船は沖合へ出港し、その他の漁船も後に続きます。
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沖合に出た神輿を見守る山車たち。
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沖合をグルッと一周した後は、漁港に戻ってきます。
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海から戻ってきたお神輿は、漁港内に設けられた御旅所(御仮殿)で儀式を挙げた後、町内を練り歩く「御神輿渡御行列」の中心に加わって、行列が出発します。
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露払いを先頭にした行列が、NTT交換所前にやってきました。
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白装束に身を固めたグループがお神輿を担いでいます。穢れを忌むため、白装束を纏った人たちは、口に「口覆い」(マスク)を装着しています。
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御神馬もいますよ。
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続いて各町の山車が続きます。
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今年(2013年)と比べると、参加者、とりわけ子供の数は明らかにこの画像(2009年)の方が多いですね。わずか4年しか違わないのに、それだけ人口が減っているのでしょう。
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次々と山車がやってきます。総延長が相当な距離に及ぶため、この行列が行われる初日と最終日は、町内に通行規制が敷かれ、一部区間が通行止めになります。
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どんどん来ますね。なかなか途切れません。鰺ヶ沢にはこんな多くの人がいたのか、と驚くほど、町内の人が総出で参加するのです。立派でしょ。にもかかわらず、この時点では県の無形文化財には指定されていなかったのですから、何とも不可解です。
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「御神輿渡御行列」が通過する沿道の各戸では、門々に小さな机を置き、神酒・初穂・灯明を供えて、正座&拝礼で行列をお迎えします。お年寄りは行列に参加しないかわりに、このような古式ゆかしきスタイルで4年に一度のお祭りを迎えるわけです。そして各戸で集められたご祝儀が、行列に参加した子供たちへ分配されてゆくのです。
田舎の祭りと侮るなかれ、当地が北前船で栄えた往時の歴史を今に伝える、京風の雅やかな神事なのであります。次回は4年後の2017年です。その頃には鰺ヶ沢の子供の人口が現在以上に減っているものと思われ、各町の山車がちゃんと運行できるのか不安ではありますが、是非地元の皆様には頑張っていただいて、歴史あるお祭りを後世に残していってほしいものです。
●(おまけ)今年の嶽きみ、順調に収穫・出荷中。箆棒に甘いぜ!
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嶽きみの収穫・出荷が始まっています。さっそく我が家に届きましたので、茹でていただきました。まだ甘さのピークには時期的に早いのですが、それでもメチャクチャ甘いですよ。そんじょそこらのスーパーで売っているトウモロコシが食えなくなりますよ。今年は当たり年かも!
現在の青森県の県庁所在地といえば言わずもがな青森市でありますが、犬猿の仲である津軽と南部をくっつけた上でこの地が妥協の産物のような形で県の中心となったのは明治以降のことであり、それ以前は新興の一港にすぎず、藩政時代の津軽においては当然ながらお城のある弘前が中心でありました。今でこそ青森県の農産物の代表といえばリンゴですが、リンゴ栽培は明治以降にアメリカ人宣教師の手によって始められ、職を失った武士の帰農事業として普及したものであり、それ以前は表高よりはるかに多い実高を誇る米の生産や、ヒバの産出が藩の経済を支えていました。トラックが無い当時は北前船が主要な輸送手段であり、津軽の産品はこの北前船によって現在の関西方面へ運ばれたわけでして、この物流による交流が影響して津軽のみならず東北の日本海側は現在も京など上方の文化の影響が強く残っているのですが、津軽藩が北前船に荷を積んでいた物流基地は、今ではすっかり寂れた漁村に落ちぶれてしまった鰺ヶ沢でありました。
鰺ヶ沢は津軽の第一の津出し港として栄え、かつては奉行所も置かれたほど藩政と経済にとって重要な拠点だったのですが、昔ながらの和船しか入港できない鰺ヶ沢港は近代化以降の蒸気船に対応することができず、その上奥羽本線の開通によって物流の主役が鉄道にとってかわられたため、明治以降はただただ落ちぶれるばかりで、一時的には漁業で再興できそうな時期もありましたが、昭和40年代には「二人町長問題」というみっともない事件を起こし、人口流出にも歯止めがかからず、今では過疎と赤貧の財政に苛まれる典型的な左前の片田舎になってしまいました。こんな鰺ヶ沢ですが、昔とった杵柄と申しましょうか、藩政時代の華やかな様子を今に伝える伝統行事「鰺ヶ沢町白八幡宮大祭」は津軽の京祭りと称されるほど絢爛かつ荘厳なイベントであり、4年に一度開催されるこのお祭りが今年8月14・15・16日の3日間にわたって挙行されましたので、今回はその様子を簡単にお伝えさせていただきます。
「鰺ヶ沢町白八幡宮大祭」は300年以上も続いている、津軽藩の歴史を伝える伝統ある行事であるにもかかわらず、今年になってようやく県の無形文化財に指定されたというのですから、いかに鰺ヶ沢という僻地が近代化された県から見放されてきたかがよくわかりますが、それはともかく、このお祭りで最もインパクトがあるのは1日目と3日目に行われる「御神輿渡御行列」でして、町のHPから文章を引用しますと…
2基の神輿を中心に乗馬の神職、御神馬、裃姿の奉行役のほか、古式ゆかしい装束に身をまとった鉄砲、槍、弓などの御神器や御神宝を捧持する人々は200名余におよび、およそ1kmにも達する行列となって「行導」の音を奏でながら静かに進み、さらに、これに各町内の山車がつづく、一大絵巻となっています。また、行列に参加する人々が「口覆い」(マスク状の布)を着けるのは穢れを忌むという古来のしきたりを今に伝えるものです。
と記されています(出典:鰺ヶ沢町役場HP「白八幡宮大祭について」)。
京都の祇園祭と時代祭をミックスされたようなこの「御神輿渡御行列」については後述しますが、この他にお祭り期間中には毎日運行されるものとして、藩政時代からの鰺ヶ沢の中心部に位置する各町が曳く人形山車があり、町ごとに人形のテーマが異なっています。10台の山車について、町ごとのテーマは以下の通りです。
本町1丁目:楠公桜井ノ駅
本町2丁目&米町:加藤清正
七ツ石町:川中島の合戦
田中町:神武皇后
浜町:素戔嗚尊
釣町:恵比寿
新地町:羅生門
漁師町:八幡太郎義家
富根町:神武天皇
淀町:日本武尊
本町2丁目&米町:加藤清正
七ツ石町:川中島の合戦
田中町:神武皇后
浜町:素戔嗚尊
釣町:恵比寿
新地町:羅生門
漁師町:八幡太郎義家
富根町:神武天皇
淀町:日本武尊
このように、それぞれ日本の神話や中世あたりまでの歴史を題材としており、題材を造形化した大きな人形にして台車の上に載せ、その下に太鼓や鉦鼓・篠笛・三味線などのお神楽が乗り込んで祇園囃子を奏で、錫杖を持った二人の露払いを先頭にして稚児・女児・そして山車が隊列を組んで、お祭りが開催される3日間、鰺ヶ沢町内(大和田~本町~舞戸)を練り歩きます。各町の山車は、14日の初日と16日の最終日は御神輿とともにフォーメーションを組んで長い一列を形成する「御神輿渡御行列」に内包されますが、中日の15日は各町が自由に練り歩ける自由運行日となっており、各町の山車が最も個性を発揮する日でもありますので、今回はこの自由運行日に撮影しました山車を紹介いたしましょう。
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お祭り期間中は神輿が白八幡宮から下界(町域)へと下り、「御神輿渡御行列」が行われない時間帯は漁港に設けられた「御仮殿」に仮り置かれます。翌日(最終日)の海上渡御に備え、港に舫われている漁船には大量旗や榊が飾り付けられていました。
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(右(下)画像は2009年に撮影したものです)
意見すると単なるお神楽の舞台に見えますが、舞台袖に注目! 塩釜神社と書かれているのがわかりますよね。これは「新町塩釜神社神楽 カシ禰宜」と称するもので、本町・浜町・釣町に挟まれている新町では、他の町と異なり山車を出さないものの、町内に設けた塩釜神社の御仮殿で神楽を行います。津軽の一漁村で宮城県の塩釜を名乗っているのは何とも不思議ですが、これはかつての名主が仙台の塩釜大明神に参拝した際、とても賑わっていた塩釜のカシ禰宜神楽を観賞してすっかり気に入ってしまい、是非鰺ヶ沢でもこの神楽をやるべ、という話になって伝播されたんだそうです。とはいえ、その後本家の塩釜では廃れてしまったため、塩釜のカシ禰宜神楽が見られるのは現在では鰺ヶ沢だけとなっています。
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こちらは昼のお休みを終えて、漁港の前を出発する田中町の山車「神武皇后」。
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田中町の山車は出発してまもなく浜町の町内へと入り、浜町の山車と行き違います。その際拡声器で「こちらは○○町でございます。△△町の皆様、いつも大変お世話になっております」という口上を述べながら、お互いにエールを送り合います。山車の後ろを追う軽トラには大きなクーラーボックスが積んであり、炎天下における長時間の行進でも熱中症にならないよう、たくさんの冷たい飲料が用意されています。
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こちらは鰺ヶ沢警察付近を通る七ツ石町の山車「川中島の合戦」。山車の下では祇園囃子を奏でています。
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本町のNTT交換所前で一時停止して、稚児たちが演舞「チャンチャレンコ」を踊る浜町の山車「素戔嗚尊」。
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続いて町役場の前にやってきた浜町の山車は、正面玄関前で、稚児や女児が演舞を披露しました。踊り終えた後は、披露が疲労に変ったか、炎天下の中、暑さでうなだれたみなさんは冴えない表情で集合写真。子どもの参加に関して、各町の山車では、原則的にその町に属する中学生までの子供が参加することになっています。かつてはもっと多くの参加者がいたのですが、年々その数は減少しています。ちなみに今回浜町の露払いを担当した女の子二人(集合写真の両端に写っている白い服)は姉妹でして、本来は中学2年生の妹のみが参加する予定でしたが、当初は参加予定になかった高3の姉も急遽駆り出されることになり、姉妹揃って露払いを任されることになりました。ま、参加すればお小遣いがもらえますから、子どもたちにとっては決して悪い話じゃないんですけどね。
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浜町の山車が役場前を去った後は、つづいて本町2丁目&米町の山車「加藤清正」がやってきました。こちらも役場の正面玄関前で演舞を披露するのですが、子供の人数は浜町の半分ほどしかいません。ちょっと寂しいですね。
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本町2丁目&米町の行列で注目すべきは、五条大橋における牛若丸(義経)と弁慶を再現した演舞です。白塗りの牛若丸役の人を見たときには気持ち悪いオカマか、あるいは祭りに乗じてふざけた仮装をしているのかと勘違いしたのですが、いざ演技に入ると、牛若丸が俊敏な動作で弁慶の長刀をかわす様を、しっかりと演じており、熱演につい引き込まれてしまいました。
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観光客で賑わう「海の駅」でも各町の山車が演舞を披露します。これは浜町の山車が演舞を終えて、拍手喝さいの中、七つ石町方面への移動を開始したところです。
ここまで紹介した様子を動画にしてYouTubeにアップしました。祇園囃子や掛け声、そして演舞の様子がよくおわかりいただけるかと思いますので、ご興味あれば是非ご覧ください。
本当はもうちょっとお祭りを追跡したかったのですが、あまりの暑さに音を上げ、見学を途中で取りやめて近所の海へ素潜りしに行ってしまったので、今年はこれ以上撮影をしておりません。でも、いくらなんでもこれでは内容が足りないので、これ以降は、前回(2009年)の最終日に撮影した画像をいくつか取り上げて補足説明をさせていただきます。
●2009年の最終日(海上御輿および渡御行列の)様子
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最終日はお神輿を船に載せて、大量祈願の海上御輿を行います。
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大漁旗で彩られた漁船に、無事神輿が据えられました。
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御神輿を載せた船は沖合へ出港し、その他の漁船も後に続きます。
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沖合に出た神輿を見守る山車たち。
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沖合をグルッと一周した後は、漁港に戻ってきます。
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海から戻ってきたお神輿は、漁港内に設けられた御旅所(御仮殿)で儀式を挙げた後、町内を練り歩く「御神輿渡御行列」の中心に加わって、行列が出発します。
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露払いを先頭にした行列が、NTT交換所前にやってきました。
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白装束に身を固めたグループがお神輿を担いでいます。穢れを忌むため、白装束を纏った人たちは、口に「口覆い」(マスク)を装着しています。
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御神馬もいますよ。
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続いて各町の山車が続きます。
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今年(2013年)と比べると、参加者、とりわけ子供の数は明らかにこの画像(2009年)の方が多いですね。わずか4年しか違わないのに、それだけ人口が減っているのでしょう。
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次々と山車がやってきます。総延長が相当な距離に及ぶため、この行列が行われる初日と最終日は、町内に通行規制が敷かれ、一部区間が通行止めになります。
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どんどん来ますね。なかなか途切れません。鰺ヶ沢にはこんな多くの人がいたのか、と驚くほど、町内の人が総出で参加するのです。立派でしょ。にもかかわらず、この時点では県の無形文化財には指定されていなかったのですから、何とも不可解です。
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「御神輿渡御行列」が通過する沿道の各戸では、門々に小さな机を置き、神酒・初穂・灯明を供えて、正座&拝礼で行列をお迎えします。お年寄りは行列に参加しないかわりに、このような古式ゆかしきスタイルで4年に一度のお祭りを迎えるわけです。そして各戸で集められたご祝儀が、行列に参加した子供たちへ分配されてゆくのです。
田舎の祭りと侮るなかれ、当地が北前船で栄えた往時の歴史を今に伝える、京風の雅やかな神事なのであります。次回は4年後の2017年です。その頃には鰺ヶ沢の子供の人口が現在以上に減っているものと思われ、各町の山車がちゃんと運行できるのか不安ではありますが、是非地元の皆様には頑張っていただいて、歴史あるお祭りを後世に残していってほしいものです。
●(おまけ)今年の嶽きみ、順調に収穫・出荷中。箆棒に甘いぜ!
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嶽きみの収穫・出荷が始まっています。さっそく我が家に届きましたので、茹でていただきました。まだ甘さのピークには時期的に早いのですが、それでもメチャクチャ甘いですよ。そんじょそこらのスーパーで売っているトウモロコシが食えなくなりますよ。今年は当たり年かも!