昨年初夏の某日、仙台で所用を済ませた私は、東京へ戻る途中に福島駅で下車し、同駅の福島交通飯坂線のりばへと向かいました。
福島交通では飯坂温泉と絡めた各種企画切符を発売していますが、今回私が購入したのは「飯坂温泉湯ったり切符」というもので、飯坂線全線の1日フリー乗車券のほか、協賛している24軒のホテルおよび旅館から1軒を選んで入浴できるという企画乗車券です。料金は1000円。福島と飯坂温泉間を単純に往復するだけで740円の運賃を要しますし、飯坂温泉のホテルや旅館における日帰り入浴の湯銭の相場は大体500円前後ですから、もし飯坂で(共同浴場以外の)お風呂に立ち寄り入浴したい場合には、この切符を購入した方が絶対にお得です。詳しくは福島交通・飯坂電車の公式サイトをご覧ください。ご参考までに「飯坂温泉湯ったり切符」チラシ(PDF)のリンクを張っておきます。
福島から25分弱の乗車で、東急東横線のお下がりを先頭車改造した電車が飯坂温泉駅に到着しました。他の乗客の皆さんが全員改札を出たタイミングを見計らって、私も改札へと向かいます。
なぜ最後に改札を出たかったかといえば、この改札窓口でレンタサイクルの申し込みをしたかったからです。飯坂温泉駅ではレンタサイクルのサービスが行われているのですが、なんと普通の自転車(ママチャリ)なら無料で利用可能なのです。もし電動アシスト付き自転車でも300円でOK。温泉街をアクティブに満喫したい旅行者でしたら、このありがたいサービスを利用しない手はありません。なお利用の際には駅の窓口で申込書に必要事項を記入し、身分証明書を提示します。くわしくはこちらのページをご覧ください。
この日の私の相棒となるママチャリを借り、駅のホームの裏口から伸びるスロープを登って駅舎を出ます。
なぜわざわざ自転車を借りたかったかと言えば、今回の目的地は飯坂温泉駅から2kmほど離れた穴原温泉であるためです。歩けない距離ではありませんが、往復4km歩くとそれだけで1時間も要してしまいますし、かといって路線バスは本数が少ない。そこで白羽の矢を立てたのがレンタサイクルでした。
飯坂温泉を抜けて摺上川を渡り、駅からちょうど10分で穴原温泉へとやってまいりました。やっぱり自転車は便利だわ。
まず向かったのは元湯を名乗る「富士屋旅館」です。旅館が立ち並ぶ路地の突き当たりにあり、他の旅館よりも低い位置に玄関があり、全体的にとても渋くて鄙びた佇まいですが、玄関には立派な扁額がかかっており、歴史ある立派なお宿であることが窺えます。玄関にて声をかけて入浴をお願いしますと、快く応じてくださいました。なおこちらのお宿は「湯ったり切符」非協賛ですので、現金を支払っての利用です。
このお宿で特徴的なのは、上がり框が玄関の屋外側にある点です。旅館のみならず、一般的な日本家屋は、扉を開けて土足のまま建物内部にある土間(もしくは三和土)まで入り、そこで下足を脱いで上がり框へ上がって行くものですが、なぜかこのお宿では下足場が屋外側にあり、靴を脱いで上がり框に上がってから扉を開けて館内に入るという造りになっていました。なにか特別な事情でもあるのでしょうか。冬には靴が思いっきり冷えちゃいそうですから、寒い時期には、信長の草履を懐で温めた木下藤吉郎みたいな人員をたくさん確保しておかなきゃいけなかったりして。
朗らかな女将さんに導かれながら、年季の入った総木造の館内を歩いて浴室へ。
暖簾をくぐってステップを下った先にある脱衣室はコンクリ造りで、本館の伝統的木造建築とは趣きを異にするのですが、こちらもまた実にレトロであり、ステップを下った際に時空の歪みに嵌って過去へタイムスリップしたかのような感覚に包まれました。
昭和の面影がそのまま色濃く残されている脱衣室。洗面台は昔ながらのタイル張りですし、足元の床にはガラスのような透過性の高いタイルが用いられています。棚に置かれた扇風機は、もはや博物館に収蔵しても良いくらいの骨董品クラス。いまどきこんな古い扇風機が現役だとは!
畳表が張られた腰掛の脇には火鉢が置かれ、灰皿代わりに使われていました。窓には角海老の暖簾が掛かっていたのですが、
吉原の遊廓とこのお宿は何かのご縁でもあるのでしょうか(余談ですが、現在ソープランドや宝石商を営む「角海老」グループと、かつての吉原遊廓「角海老楼」は、名前が同じであるだけで、歴史的なつながりはありません)。
白い壁に長年の湯けむりが染み込んでいる浴室も、脱衣室に負けないくらい渋くて何とも言えない風情です。入室した途端に香ってくる温泉由来のタマゴ臭が、お湯に対する期待を嫌が応にも膨らませます。古い建物であるためか天井は低いのですが、床面積自体はそこそこ広く、窓に面して相似形の浴槽が2つ並んでいます。また出入口側は数センチ高いステージ状になっており、段の際にはボディーソープ類が置かれ、桶が綺麗に積み上げられていました。古いお風呂だからか、洗い場にカランのようなものはなく、湯船から桶でお湯を直接汲んで掛け湯するわけですね。
湯口となる小さな湯溜まりを挟んで、左右に3人サイズの同じ形をしたタイル張りの浴槽が並んでいます。手前側の曲線がさりげないオシャレな感じを生み出していますね。両者には同じくお湯が注がれているのですが、その違いについては後述します。
このお風呂は浴槽のみならず、窓の形状や柱と天井の接合部分など、随所に曲線を多用しており、本館の純和風な趣きとは一線を画す20世紀初頭の洋館建築のような意匠に満ちています。このお風呂が造られた当時は、お風呂を洋風にすることが時代の最先端だったのかもしれませんね。
左右両浴槽の間に源泉のお湯がストックされる小さな湯溜まりがあり、そこから左右双方へとお湯が注がれていました。この湯溜まりにおける温度は57.6℃という高温。このお湯を全て浴槽に注いでしまうと、入浴できないほど熱くなっちゃうため、もったいないことですが、湯溜まりのお湯の多くは床へ捨てられていました。また、この湯溜まりの上に突き出ている水道の蛇口は、硫化のため黒く変色していました。なお湯使いは完全放流式です。
同じ形状をした左右の浴槽で違う点はお湯の温度。入室時、左側の浴槽は45℃以上あったのに対し、右側は約42℃ながら嵩が浅かったため、この時は左側の浴槽にちょっと加水し、しっかり湯もみをしたところ、最終的には左側の浴槽(左or上画像)が41.6℃、右側の浴槽(右or下画像)は42.5℃となりました。
宿の名前で元湯と冠しているように、こちらで使われている源泉名は「富士屋源泉」と称し、この源泉は当宿のみならず、穴原の共同浴場や周辺の旅館にも配湯されています。お湯は無色透明で一見するとクリアに澄んでいますが、湯中では灰色や褐色など数種の色を帯びた千切れた薄い膜のような沈殿や浮遊物が見られました。分析書には泉質名として単純温泉と記されていますが、その表のデータをよく読み取ってみますと、総硫黄が2.1mgとなるため、実際には単純硫黄温泉になるかと思われます。数値のみならず、実際のお湯からもイオウ感ははっきりと感じ取ることができ、上述のように浴室内にはちょっと焦げたようなタマゴ臭が漂っているほか、お湯を口に含むと弱いながらもしっかりとしたタマゴ味を確認することができました。こうしたタマゴ感のほか、少々の芒硝感、そしてタマゴ感とはちょっと異なる軟式テニスボールを思わせるゴムのような風味も伝わってきます。湯船では滑らかなスルスべ浴感に混ざって硫酸塩泉的な引っかかりもあり、この二つのフィーリングが全身をしっとりと優しく包んでくれます。そして湯上がりの温まりも実にパワフルで、この時はいつまでも汗が引きませんでした。
見た目こそ無色透明で癖が無さそうですが、匂い・味・浴感、どれをとっても意外にも個性豊かな富士屋源泉。穴原温泉はその立地から飯坂温泉とひとくくりにされてしまいがちですが、このお風呂においては、飯坂温泉ではなかなか得ることができないタマゴ感をしっかりと味わうことができ、飯坂のお湯とは別物であることを認識させてくれました。
レトロな佇まいのもとでフレッシュなお湯を存分に堪能できる素敵なお風呂でした。
富士屋源泉
単純温泉 60.0℃ pH8.4 112L/min(動力揚湯) 溶存物質0.8736g/kg 成分総計0.8736g/kg
Na+:243.6mg(87.68mval%), Ca++:27.4mg(11.33mval%),
Cl-:117.5mg(27.36mval%), HS-:1.1mg, S2O3--:0.9mg, SO4--:371.4mg(63.88mval%), HCO3-:39.8mg,
H2SiO3:56.0mg, H2S:0.1mg,
(平成18年8月10日)
福島市飯坂町湯野字新湯11 地図
024-542-3191
ホームページ
日帰り入浴時間不明
500円
シャンプー類あり、ロッカーやドライヤーは見当たらず
私の好み:★★★