温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その6(帰路・大東新道を経て薬師沢へ)

2013年11月23日 | 富山県
「ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その5(高天原温泉)」の続編です

冗長に書き綴ってしまったため、今回は7回に分けて記事をアップしております。




【5:30 高天原山荘・朝食】
夜間の寒さで何度か目を覚ましてしまったが、寝坊すること無く5時前に起床し、ひと通り準備を済ませてから5:30に朝食をいただく。夕食も朝食も5時半だから覚えやすい。温かいお茶とお味噌汁がありがたかった。



【6:02 高天原山荘・出発】
6時前後に宿泊していた登山者が次々に出発してゆくので、付和雷同というわけじゃないが、私も同じタイミングで山荘を経つことにした。


 
小屋の前に広がる高天原の湿原は、霜で真っ白になっていた。気象庁のデータによれば同日(9月中旬)同時刻の富山市街は19.5℃であったから、同じ県内でも市街と山奥では大違いだ。


 
【6:48 高天原峠・大東新道の始点】
坂道を登っていたら体が熱く、汗も噴き出し始めたので、峠で5分ほど休憩しながら上着を脱いだ。前日は雲ノ平から転がるように急坂を下ってこの峠に辿り着いたが、この日は雲ノ平ではなく、薬師沢方面へショートカットする大東新道へ進む。



峠の丁字路からしばらくは鬱蒼とした樹林の中を歩く。登山の素人である私にとって、今回の山行における最大の不安がこの大東新道であった。この道はとても険しいことで知られており、危険箇所もあって、特に黒部川の「上の廊下」を辿る区間では、川が増水すると通行できなくなってしまうらしい。実際にこの年は死亡事故が発生している。もしどうしても自分の技量に合わない困難箇所があれば、途中で引き返さなければならない。無事に道を踏破できるだろうか。


 
峠から10分ほど歩いたところで、本格的な下り勾配が始まる。途中には、下半分の踏み桟が欠けている中途半端なハシゴがあったり、大木が倒れて横たわっていたりと、結構ワイルドな箇所が連続するのだが、そんな中を滑らないように注意しながら、急勾配を転がるようにして一気に下る。


 
【7:21 道標通過】
これから下ってゆく黒部川の谷底が、木々の間からチラチラと見え隠れするのだが、そこまでは相当な標高差があり、まだまだその差を下らねばいけないかと思うと気が重くなる。登山というものは、登りは体力勝負であるが、下りは技術と精神力を要するわけで、そのいずれもが未熟な私は、こうした急な下りが不得手なのだ。


 
 
【7:34 E沢】
大東新道ではAからEまで5つの沢(谷)を越えてゆくのだが、まず眼前に現れたのは最も東を流れるE沢であった。沢の手前でハシゴやロープがあるが、沢の水量は少なく、特に危険箇所もないので、容易にクリアできた。ただ、進むべき方向を示す○印が、この付近では若干わかりにくいかもしれない。


 
沢を越えると登り返して尾根を越え、再び森林の中を下ってゆく。B沢を越えるまでは、この繰り返しである。


 
森の中を下っていたら、俄然視界がひらけて、峻厳な絶壁と谷が現れた。D沢であろう。足元に咲く「ウルトラ怪獣大百科」に登場しそうな形状をしている花は言わずもがなチョウジギク。


 
【7:50 D沢】
ハシゴを下りてD沢を下る。ハシゴ直下に沢が流れているんだから恐れ入る。沢を渡る前後箇所は、湿ったザレ場になっていて、とても滑りやすい。慎重に歩みを進める。


 
道沿いにはトリカブトなど小さいながらも鮮やかな植物たちが、景色に彩りを加えていた。
大東新道は昭和20年代まで操業していた高天原の鉱山で採掘されたモリブデンを運ぶ道だったそうだが、こんな険しい道を、鉱物を背負って歩荷さんが往来していたとはにわかに信じがたい。


 

【8:10 C沢】
C沢の前後も滑りやすい。この付近で薬師沢方向からやってきた登山者とすれ違う。この登山者曰く、B沢の渡渉では、石がとても滑りやすくて靴を濡らしてしまったが、この道の危険箇所とされる岩をへつって歩く箇所はむしろ面白かった、とのことだった。危険箇所が面白い。その一言を聞いて、抱いていた心配が少し軽くなった。


 
8:30頃に無名の沢を渡渉。谷と尾根が連続する入り組んだ地形に合わせ、地図上では鋸刃状にジグザグに描かれるような道を歩きながら斜面を下ってゆくうちに、徐々に視界がひらけて深い谷が見えてきた。おそらくB沢の谷なのだが、そこまではかなりの距離があり、しかも高低差もある。あそこまで急降下するのかと考えたら憂鬱になってしまったのだが、道は尾根に沿う形で遠回りしながらも勾配を緩和させながら降下していってくれたので、下りが下手な私でも問題なく歩くことができた。


 
【8:45 B沢】
とはいえ、沢に近づくに連れてハシゴやロープが連続するようになり、勾配も急になって滑りやすい坂が断続した。特に沢直前の急坂がとてもスリッピーで気を使った。いや、ここで滑っても大した怪我は負わないだろうけれども、私のハートはガラス細工のように情けないほど脆いので、精神的なダメージが大きいから滑りたくないのだ。
B沢ではいきなり渡渉せず、まずは沢にそって下へ下る。


 
B沢の右岸を赤ペンキのマークに従って下りてゆき、矢印のところで渡渉する。意外と水量が多く、先ほどすれ違った登山者が教えてくれたように、私もちょっと靴を濡らしてしまった。渡渉したら、今度は沢の左岸に沿って下り、そのまま沢と黒部川の合流地点を目指す。


 
【9:00 B沢出合】
高天原峠から2時間10分で黒部渓谷の谷底まで下りきった。ここでB沢は黒部川と合流する。ここから薬師沢までは黒部川の「上の廊下」を上流に向かって遡る川原歩きの区間となる。「上の廊下」は沢登りをする人にとっては有名だが、B沢出合から薬師沢までの区間は、増水していなければ一般登山者でも歩くことができる。まずは赤ペンキで丸いマークが書かれている三角岩の左の隙間を通り抜ける。ひたすらゴロゴロとした岩の川原を歩くので、普通の登山道とは勝手が違って、岩の上を飛んだり、よじ登ったりと、まるでアスレチックのようだ。


 
続いて、割れ目に赤い丸がマークされている岩が現れた。この隙間に体を入れ、両腕の腕力でグイっと体を押し上げて岩を乗り越える。



川原には線路か鉄骨か、はたまた登山道のハシゴの残骸か、赤く錆びた鉄が岩の間に埋もれていた。


 
足元に川水が流れる石の上を歩いて、ハシゴで岩の上を乗り越える。確かにこの区間は水際ギリギリを歩くので、増水時は川に入らないと前へ進めないだろう。この日は天気が良かったから問題なしだ。このようにB沢からA沢の間にはハシゴや鎖が連続しており、それらによって眼前に立ちはだかる渓谷の岩や崖をひとつずつ越えてゆくのだ。


 
大東新道で最大のハイライトへとやって来た。ここでは渓谷の崖が川に迫っており、岩に括りつけられた鎖につかまりながら岩をへつって行くのだ。


 
鎖をしっかり握って、足元に踏場となる切れ込みを見つけながら、慎重に崖を横へ這ってゆく。なるほど、雨が降ったら確かに怖いかもしれないが、この日は川の水量が低く、しかも岩も乾燥していたので、恰もアスレチックのアトラクションのような感覚で、当初抱いていた恐怖心はどこへやら、滑ることなく難なく通過できた。先ほどすれ違った登山者はこの区間を「面白かった」と語っていたが、私もその感想に同感だ。


 

【9:20 A沢出合】
A沢は黒部川と合流する箇所には明るくて開放的な河原が広がっていた。このA沢を越えたら、もう危険箇所は無く、後はこの川原を遡るだけである。清々しい空気と清冽な黒部川の水にうっとりし、危険箇所をクリアできた喜びも相俟り、気分がこの上なく爽快だったので、ここで陽の光を浴びながら10分ほど岩の上に寝転がった。


 
引き続き岩を乗り越えて川原を遡る。


 
A沢から薬師沢までの間では、所々で川から離れてちょっと高巻く区間がある。たとえば上画像の箇所がその好例であり、川沿いに進もうとするとその方向には×が記されているので、山の中へ迂回してゆくのである。昨日、薬師沢小屋のおじさんに大東新道について注意点を伺ったところ、「×に気づかずそのまま川原を進んじゃうと、川にドボンだよ」と教えてくれたのだが、おそらくこの箇所を示していたものと思われる。


 
茂みの中へ迂回したり、また川原に戻ったり・・・


 
ハシゴで高巻いたり、またまた川原に戻ったり・・・を繰り返しながら、無心になって前進していたら、やがて(10:20頃)に赤い吊り橋が見え、そして対岸の前方に小屋の姿も目に入ってきた。


 
昨日早朝に通った雲ノ平への分岐に辿り着き、そして吊り橋を渡って…



【10:35 薬師沢小屋】
今回の行程で最大の難所と思われた大東新道を踏破して、無事「薬師沢小屋」まで戻ってこられた。
ここまで来たならば、あとは前々日来た道を辿って戻れば良いだけだ。


その7へ続く
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ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その5(高天原温泉)

2013年11月21日 | 富山県
「ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その4(雲ノ平から高天原山荘へ)」の続編です

内容が嵩んでしまったので、今回は7回に分けて記事をアップしております。


●高天原山荘

 
【13:45 高天原山荘】
この日は薬師沢から雲ノ平を遠回りして、美しい景色に包まれながらのんびり歩いてきたつもりが、それでも小屋に着いたのはちょっと早めの14時前。まぁ、早く着いたのだから、その分、湯浴み時間も長く確保できる。


 
小屋前の広場には、ヘリのピストン輸送によって運び込まれた工事資材がたくさん積まれていたのだが、これはバイオトイレを建設するためのもので、今年の営業期間内(※)には間に合わなかったが、来期の営業から使用が開始されるらしい。小屋の裏には小型のユンボが搬入されており、すでに基礎工事も終わっていて、柱が立て始められていた。北アルプスが抱える登山者のオーバーユースによって顕在化した問題のひとつがトイレの屎尿処理であり、一時は信濃毎日新聞の『北アルプストイレ事情』などによって深刻な実態が明らかにされるとともに問題提起がなされたが、その後は徐々にバイオトイレなど垂れ流しを避ける方式が導入されはじめ、今日では多くのトイレが環境負荷が少ないタイプへと更新されている。今回の行程でも工事中の高天原を除いた全ての施設でバイオトイレが採用されていた。自然環境へ与える影響が軽減されるのみならず、登山者にとっても従来の山のトイレでは常識であったおぞましき悪臭や不衛生な環境からオサラバできるのだから、ありがたい事この上ない。なお工事のおっちゃん曰く、来年からは食堂の拡張工事も行われるらしい。高天原山荘は徐々に進化を遂げている。
(※)高天原山荘は毎年9月末で小屋を閉める。


 
この日も事前に宿泊予約をしておいたので、受付ではスムーズに手続きが済んだ。小屋は2年前にリニューアルされており、奥地とは思えないほど綺麗な建物であった。


 
受付前の階段を上がった2階が客室。ありがたいことに更衣室が設けられていた。
畳の上には布団がたくさん並べられている。予約をしておいた御蔭か、私は一番端っこに位置する1番の布団があてがわれた。昨晩の薬師沢小屋と同様、この晩も収容人員に余裕があったため、隣の客とは布団1枚分を空けて利用することができた(つまり一人で布団2枚分のスペースを確保することができた)。


 
当然ながら電気は引かれていないので、日が暮れると山荘にはランプが灯る。柔らかなランプの光はとってもハートウォーミングだ。夕飯は17:30から食堂でいただく。北アルプスの最奥部に当たるエリアであるにもかかわらず、献立は結構手が込んでおり、ハムカツ・カボチャ入りのポテトサラダ・高野豆腐・佃煮の他、蕎麦やクリームシチューまで提供された。



この晩は中秋の名月。
夜の帳が下りると気温はひと桁まで下がったので、防寒具をしっかり着込み、バーナーでお湯を沸かして持参したコーヒーを淹れながら、工事のおっちゃん達と爽やかな環境にはそぐわない下ネタ会話で盛り上がっていたら、水晶岳の左手から皓々と輝く満月が浮かび上がってきた。青白い月明かりは、ライトが必要ないほど辺りを明るく照らしていた。いつまでも満月を眺めていたかったが、底冷えが厳しく、小屋の消灯時間(20時)も近づいてきたので、名月鑑賞はほどほどにして、いそいそと布団へと戻った。


●温泉
 
さて今行程の最大目的である温泉について触れよう。
日本最奥の温泉である高天原温泉は、山小屋から歩いて15~20分のところにある。20分程度だからと言って侮るかなかれ、この道程にはザレあり沢越えあり、しかも結構な距離もあるため、小屋に用意されているサンダルではかなり難儀するだろう。この旨は小屋でもちゃんと案内されている。なお温泉は立ち寄り入浴も可能で、その際には小屋の下足場に置かれている料金箱へ300円と投入すればよい。でも風呂に入った後に再び登山するのは相当体に堪えるので、余程体力に自信がある人以外は宿泊した方がベターかと思われる。


 
小屋に到着して荷物を下ろした後、私はすぐに温泉へと向かった。



小屋を出てまもなく、ちょっとしたザレ場を下る。小屋での案内に記されていたように、サンダルでは滑って歩きにくいだろう。


 
幾筋か沢を越えて15分ほど歩いていたら、温泉沢と称する沢に突き当たった。川原の岩には赤ペンキでマーキングされているので、それに従って沢をちょっと遡る。



やった!!
夢にまで見た高天原温泉に到着だ!。
この温泉には沢の両岸に3つの湯船が点在しており、右岸には女性専用の「美人の湯」とメイン浴槽の「からまつの湯」、左岸には「野湯」と称する露天風呂がある。「美人の湯」以外は混浴だ。なお上画像に写っている小屋は女性専用の「美人の湯」であり、どなたもいなければ見学させてもらう考えでいたが、常時利用者がいたようなので見学は自粛した。


 
まずはこの温泉のメイン浴槽である「からまつの湯」から入ってみることにした。画像には写っていないが、湯船の左側には脱衣小屋が設置されている。湯船自体は沢からちょっと岸を上がったところでセットバック気味に据えられており、周りは笹藪や木が茂っているため、視界的には期待していたほどの開放感が得られない。私のようにお風呂が目当てでわざわざここへやって来たら、肩透かしを喰らうかもしれない。


 
しっかりとしたモルタル造で、周囲を沢の岩で囲っており、容量としては8~9人サイズ。お湯は薄い灰白色に濁っており、湯中では白い湯華が浮遊している。味・匂いともに硫黄感が強く、渋みを伴う苦味や石膏的な甘さ、そして鼻孔を刺激刺激するような硫黄臭が感じられた。なお酸味はあまりなかった。お湯は上流より伸びる黒いホースから供給されており、温度計を突っ込んだら40.6℃という絶妙な数値が計測された。熱すぎずぬるすぎない、長湯にぴったりな最高の湯加減じゃないか。



ということで、スッポンポンになって入浴。景色はともかく、自分の足で、しかも登山素人のくせに単独行で、この上ない快晴の空の下、日本最奥の温泉に浸かることの出来た喜びに、つい感涙しそうになってしまった。感涙ついでに、沢水で冷やしておいた缶ビールを、喉をグビグビ鳴らしながら呑み込む。単なる市販の缶ビールであるが、無比の旨さであったことは言を俟たない。極上の贅沢だ。



裸のまんま川を渡って、対岸の「野湯」もハシゴした。



空の青、木々の緑、そしてお湯や岩の白というトリコロールが実に美しい。
「野湯」とはいえ、きちんと石を積んで浴槽が造られており、2人同時に入れる程度の大きさがある。れっきとした人工物であるとはいえ、右岸の2つの浴槽と違って沢が増水したら忽ち埋まってしまいそうだし、ほったらかし状態でもあるので、たしかに野湯っぽい雰囲気はある。そんなネーミングはともかく、この湯船のロケーションや開放感は素晴らしく、長い道のりを歩いてわざわざやって来たご褒美に相応しいクオリティーがある。私は「からまつの湯」よりも、こちらの方が遥かに気に入った。



高天原温泉には複数の源泉があるらしく、「野湯」へ引かれているお湯は白濁の度合いが強く、硫黄感も「からまつの湯」より際立っていたように感じられた。湯加減は38.8℃と、ぬる湯好きにはたまらない長湯仕様であった。


 
はぁ、極楽。
高天原とはよく名づけたものだ。白濁の湯に浸かりながら、そのネーミングに納得した。
あまりに気持ち良かったので、後から入浴しにやってくる登山者たちと喋りながら調子に乗って2時間も入り続けたら、すっかり湯あたりしてしまった。意識は朦朧とし、体は重だるく、一歩進むことすらままならない。情けないことに、風呂から上がって小屋まで戻る間の道が、2泊3日の全行程で最も疲労感が強かった。何事も過度は良くない。

その6に続く
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ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その4(雲ノ平から高天原山荘へ)

2013年11月20日 | 富山県
「ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その3(薬師沢小屋から雲ノ平へ)」の続編です。

今回は7回に分けて記事をアップしております。


 
【11:05 スイス庭園 出発】
大絶景を眺めながらお昼ごはんを頂く。決してお金では買えない、自分の足でたどり着いてこそ味わえる最高の美味さである。いつまでもこの絶景を眺めていたかったが、そろそろ出発して、今回の登山の最大の目的である温泉へ入りに行かねばならないので、未練を残しつつスイス庭園を後にした。


 
一旦雲ノ平小屋まで戻る。往路では気が付かなかったが、小屋の東側に広がる池塘や草原が織りなす景色もなかなかのものだ。花のシーズンには、それこそ天国と見紛うばかりの美しい光景が広がるのだろう。


 
【11:21 高天原への分岐】
雲ノ平小屋の前で分岐する道に入って、高天原を目指す。まずはハイマツ林の中で岩がゴロゴロしている歩きにくい道を登りながら小さな丘を越える。


 
丘を越えたら、目の前に同じような丘がもうひとつ横たわっている。無論、これも越えねばならない。勾配こそ大したこと無いのだが、道の代わりになっている岩が不安定で、浮石状態の物も多く、その上、岩の間はグチャグチャの泥濘であるため、一歩前進する毎にストレスが溜まっていった。


 
【11:45 アンテナ(2つ目の丘のピーク)(2576m)】
2つ目の丘の上にはアンテナが立っており、その傍にあるコンクリの構造物に掲示されているプレートには「立山地区 測水所及び観測施設敷」という用途とともに関西電力北陸支社の名前が記されていた。



丘を越えたら、あとは下り一辺倒である。
岩に描かれた黄色いペイントの丸印を目標にしながら、まるで海岸に積まれたテトラポットの上を飛び跳ねる要領で、ゴロゴロした岩をピョンピョンとジャンプしてゆく。今回は快晴だったので黄色い丸を見逃さずに澄んだが、丸印の数が少なく目立ちにくいので、ガスっている時には見失うかもしれない。岩ゴロ区間を抜けると、木道が続く。


 
【12:00 奥スイス庭園】
丘の上から15分下り続けると、「奥スイス庭園」と書かれた標柱が現れた。同じスイス庭園でも奥が付くと付かないとでは大違いで、こちらは先程のスイス庭園のような大展望は無く、ただ木道の周りに背丈1.5mほどのハイマツ林が鬱陶しく広がるばかり。雲ノ平小屋からここまで続いてきた歩きにくい道に怒りを募らせていた私は「何がスイスだ!」と吐き捨て、庭園の景色をろくに眺めもせずに通りすぎてしまった。



【12:03 雲ノ平の森の道】
「雲ノ平の森の道」と書かれた看板から樹林帯へと入ってゆく。


 
森にはすでに秋の気配が訪れていた。


 
 
森の道に突入してしばらくの間は、コースの両側に緑色のロープが張られているので迷う心配なし。またしっかり土留めされたステップや頑丈なハシゴなど、よくメンテナンスされている。


 
所々で樹林帯を抜けて、明るいところへ出る。リンドウの花がもう少しでしっかり開きそうだ。


 
見晴らしの良いところでは木道が続き、足取りも軽快なのだが、やがて灌木が両側から迫ってくると、再び暗くて見晴らしのきかない樹林帯へ突入してしまう。


 
先ほどまでは非常に良く整備されていたのだが、下ってゆくにつれて整備度合いが低下してゆき、道が荒れはじめ、倒木も目立つようになり、コースを案内するロープも張られていないので、前方の様子を良く見極めないと道に迷ってしまいそうな箇所も頻出した。登山地図上でマークされていた「迷」マークに偽りはなかった。
そして急なハシゴが3箇所ほど連続し、これで一気に下ってゆく。道は荒れ気味であったが、鉄製のハシゴは非常に頑丈であった。


 
木の根っ子にしがみつきながら急勾配を下る。樹林帯の荒れ気味の坂道は、よく注視して踏み跡を見つけないと、迷ってしまうかも。



鬱蒼とした道が続く。いつまで下れば良いのか、つい愚痴りたくなり、いい加減に下りに飽きてきた頃、勾配がやや緩やかになり…


 
【12:53 高天原峠 (2270m)】
いきなり目の前に丁字路が出現した。道標には「高天原峠」と書かれている。とんでもなく下ってきたように感じられたが、数値の上では関電施設があったアンテナの丘の上から標高差で約300mしか下っていない。


 
しかし、もうすぐ念願の高天原温泉に辿り着ける。「あせらず行こう、お花畑と温泉が待ってるよ」という言葉に諭されるよう、逸る気持ちを抑えながら、丁字路を右に曲がって、転倒しないよう慌てずゆっくりと坂を下っていった。


 
峠からはこれといった危険箇所は無い。ごく普通の登山道を下るばかりだ。一部には木道の箇所もある。


 
【13:23 渡渉】
道が徐々にフラットになり、視界が明るくなると、やがて浅い沢が現れた。ここはロープに従って渡渉する。


 
【13:25 岩苔小谷】
続いて、岩苔小谷という水量豊かな沢を橋で越える。


 
橋の対岸には赤い丸に従って木の上を登る箇所があり、更には無名の沢を小さな橋で跨ぐ。


 
視界がひらけ、高層湿原の中を木道で進む。



【13:38 岩苔乗越分岐】
この分岐を進めば、ワリモ岳付近の岩苔乗越へ。後ほど、温泉に浸かりながら他の登山者から話を聞いて知ったのだが、この日の宿泊者はこの岩苔乗越から下ってきた人が半数以上であった。



水晶岳を背景にして、まるでハイジが駆け出し、ペーターがヤギを追っていそうな、スイスアルプスみたいな風景が広がっている。日本ではないみたいだ。



ここは先ほどスイス庭園からちょこんと見えた小さな湿原であろう。夏になればこの湿原をニッコウキスゲの花が覆い尽くすそうだ。



1時間ほど前から、折立方面から頻繁にヘリが往復しており、私が高天原山荘へ到着する寸前にも、ヘリがやってきて、ぶら下げていた資材を山荘へ降ろしていた。視界良好で風も無かったこの日は、絶好のホバリング日和だったろう。どうやら山荘では工事をしているらしい。ちなみに、私が2日がかりで歩いてきたこの道のりを、ヘリコプタは折立から僅か5分程度でやってきてしまうというのだから、文明の利器ってスゴイ。



【13:45 高天原山荘 到着】
山荘の前では工事業者のおっちゃん達が紫煙を燻らせていた。おっちゃん達は徒歩ではなくヘリでやってきたらしい。


その5へつづく
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ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その3(薬師沢小屋から雲ノ平へ)

2013年11月19日 | 富山県
「ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その2(太郎平から薬師沢小屋へ)」の続編です。

内容が嵩んでしまったので、今回は7回に分けて記事をアップしております。


 
【6:15 薬師沢小屋 (1920m) 出発】
5:30に朝食をいただき、目ぼけ眼で出発準備をしていたら、トイレや洗面など同じ行為を何度も繰り返すマヌケな失態を犯して時間をロスし、頭がすっかり混乱したまま、6:15に小屋を出る。この日の富山市街の最低気温は16℃であったが、山深い谷地の薬師沢はヒト桁まで冷え込んでおり、小屋前のウッドデッキは霜で白くなっていた。普段は薄着の私もこの時ばかりは上半身に3枚ほど着込んで出発することにした。


 
まずは小屋目の前の吊り橋を渡って黒部川の右岸へ。足場が狭くてそれなりに揺れるので、高所恐怖症の人だと渡れないかもしれないが、まぁ、そんな人は登山なんかしないか。


 
吊り橋を渡ったらすぐに鉄のハシゴで河原へ下りる。振り返ると、吊り橋と薬師沢小屋が一つの画角に収まっていた。



小さな滝の前を通過して…


 
【6:20 雲ノ平と大東新道の分岐点】
大東新道との分岐点。ここは「雲ノ平」方向へ進む。単純に高天原へ行くのならば、「原」の字の一部が温泉マークになっている道標に従って、川沿いの大東新道を選べば良いのだが、それではあまりに早く着きすぎてしまうため、この日は日本最後の秘境と呼ばれている雲ノ平へ遠回りすることにしたのだ。道標に「直登」と書いてあるように、分岐点の目の前には上へ真っ直ぐ伸びる長いハシゴが掛かっていた。


 
谷底から雲ノ平まで標高差約550mを一気に登る。ネットで予め調べておいた情報によれば、どの登山記を拝読しても、この坂道は非常に急でみっちり絞られる、かなり辛い、と泣き言にまみれていたので、覚悟の上で登りにとりかかった。しかしながら、たしかにトバ口では長いハシゴで脅かされ、またロッククライミングしているような箇所があり、坂を登り終えるまで延々と樹林帯の中の苔むした岩が続くのであるが、端緒のよじ登るような区間を過ぎたら、その後は岩の上をぴょんぴょん渡っていけば、そう苦労することなく登ることができた。この程度の登りならば、日本各地の登山道でも見られるので、さほど大騒ぎするほどではないように思われる。尤も、悪天候時だとあの岩はかなりスリッピーだから、特に登りよりも下りの方が難儀しそうだ。また、薬師沢小屋で泊まらずに太郎平方面から直接この登りへとりかかったら、まさに長丁場の終盤で地獄のような苦しみを味わうことになるのだろう。


 
【7:24 小さな道標】
鬱蒼とした森林の中、ジメジメとした登山道が続く。途中でこのような小さな道標を見つけた。周囲の薄暗い雰囲気に合わせているのか、この道標も存在感は控えめ。ここで3分間休憩して息を整え、水分を補給し、上着を脱いでいたら、上の方から一人の登山者と行き違った。


 
登り始めて1時間半で視界の先がうっすら明るくなり、いくつかの小さな道標を通過。徐々に勾配が緩やかになり…


 
【7:52 木道末端】
小屋を出発してから1時間40分で、雲ノ平の端っこに当たる木道末端に辿りつけた。標準タイムは2時間10分だから、30分短縮できた。もう急な登りは無い。多少の起伏はあるものの、雲ノ平の溶岩台地の上に敷かれた木道を快適に歩くことになる。木道はハイマツ帯の中を縫うように伸びており、両側から繁るマツの朝露が前進する私の脚に触れて、トレッキングパンツがビショビショに濡れてしまった。


 
台地上まで来ればもうジメジメした樹林帯とはオサラバかと思っていたが、ちょっと進むと木道は再び鬱蒼としたシラビソの森へ突っ込んでいき、その中では木道が途切れて泥濘が断続的に現れた。


 
【8:15/8:40 アラスカ庭園 (2463.9m)】
25万平米に及ぶ溶岩台地上の高山植物の楽園「雲ノ平」には、各群生地に対して8つの庭園名が付せられているんだとか。薬師沢から上がってくると、まず始めにお目にかかるのがこの「アラスカ庭園」である。別にグリズリーがサーモンを咥えているわけでもなく、なにがどのようにアラスカなのか、名前に込められたメタファーがいまいちよくわからないが、下部にハイマツやササが広がり、ところどころにシラビソが高く生え、そして短い夏には高山植物の花々で覆われるというその景色が、命名者にとっては寒帯であるアラスカの大地を彷彿とさせたのかもしれない。


 
周りには高い木があまりないため、樹林で視界が遮られる北東方向を除けば、ほぼ全方向で眺望が楽しめた。特にこの日は上空に雲が皆無で、しかも数日前に台風が空の塵を吹き飛ばしてくれたため、視界はこの上なく良好であった。
画像左(上)は三俣蓮華岳。画像右(下)は三俣蓮華の山裾から黒部五郎岳を眺めた様子。雄壮な黒部五郎は圧巻だ。



こちらはどっしりと構える薬師岳。左肩にちょこんと載っている薬師岳山荘も目視できた。


 
登山道の先(東)に聳える鋸の歯のような稜線は水晶岳、その右側の至近で盛り上がる小さな山は祖母岳、そして更にその右の彼方にはワリモ岳・鷲羽岳が続いている。一箇所で4つの百名山(薬師・黒部五郎・水晶・鷲羽)が眺められるところも珍しい。
あまりに美しい絶景に息を飲み、なかなか歩みが前へ進まない。ここでは25分間休憩し、後ろ髪を引かれながらも、8:40に重くなった腰を上げた。


 
【9:10 奥日本庭園】
この日は移動距離が短く、淡々と先へ進んでしまっては目的地に早着しすぎてしまうから、五十五年体制下の社会党も真っ青な牛歩で、景色を愛でながらゆっくりゆっくりトレッキングしていたら、アラスカ庭園から30分のところで、薬師岳をバックにして「奥日本庭園」と書かれた標柱が現れた。この界隈はハイマツ帯と岩がモザイク状に分布する中に小さな池塘が点在している。アラスカから30分で、アリューシャン列島も千島列島も経ること無く、こうして日本の奥部に来られるのだから、ボーイングもエアバスも目を丸くしてしまうだろうけど、やはりここでも何を以て奥日本庭園を称しているのか、鈍感な私には理解が及ばなかった。もしかしたら岩が枯山水で、池塘が日本庭園の池泉と見立てているのか。


 
画像左(上)は黒部五郎岳から赤木岳へ続く稜線。手前の池塘がアクセントになって実に麗美だ。
画像右(下)は辿ってきた道を振り返ったところ。大きな鞍部に見えるところはおそらく太郎平だろう。その彼方で水平に広がる淡い水色は、日本海なのか、あるいは洋上に漂う雲なのか。


 
道は雲ノ平の中央部に向かってニョロニョロと伸びている。チングルマの穂がいろんなところでそよ風に揺れていた。太陽も上がって気温も上昇してきたので、Tシャツ一枚になって歩く。


 
【9:20 アルプス庭園(祖母岳)分岐】
まだまだ時間がたっぷり余っているので、この分岐を右へ進み、アルプス庭園(祖母岳)へちょっと寄り道してみよう。


 
高山植物の世界において、9月中旬は花の端境期みたいなシーズンだが、よく探せばこのように可憐な花があちこちで咲いていた。


 
【9:30 アルプス庭園(祖母岳)】
アルプス庭園(祖母岳)への木道は分岐から10分ほどの祖母岳ピークで終端となる。登山道本道にとっては盲腸みたいなもんだ。今回の山歩きでは、登山のくせにピークハントしないルートを辿るのであるが、強いていうなら、ここが今回のルート上において唯一のピークを踏んだポイントである。
木道の末端にはベンチが設けられていたので、せっかくなので腰をおろしてみたら、ヤブの中から雷鳥の鳴き声が聞こえたのだが、じっとその場で声が聞える方を観察しつづけたものの、その姿を目撃することは出来なかった。



アルプス庭園(祖母岳)は一応周囲よりも高いピークだから360度の大パノラマが得られる。雲ノ平は日本最後の秘境と呼ばれるだけあって、現実の景色とは思えない絶景が果てしなく広がっていた。そんな美しい景色の中に自分の足で立っていることにも感慨ひとしおだ。
東の方角には、水晶岳を背景にして、台地上に「雲ノ平山荘」がポツンと佇んでいた。まさに「大草原の小さな家」状態である。


 
画像左(上)が三俣蓮華岳で、画像右(下)が黒部五郎岳。さっきから同じ山ばかりを撮っているが、ちょっとでも撮影場所を移すと、こちらへ迫ってくる山の風景の力も色も、その全てが変貌してゆくので面白い。三俣蓮華の左にちょこんと姿を覗かせている、てっぺんが尖った山は槍ヶ岳だろうか。



ここに至るまで、薬師岳は見上げる形で眺めていたが、ここにおいては視点が高くなったので、その頂きを水平位置で望むことができ、また後背で重畳する立山方面の稜線も遠望できた。


 
盲腸のような短い支道を戻って登山道本道に返り、先ほど眺望した雲ノ平小屋を目指す。路傍にはバイケイソウの花の跡がたくさん残っていた。シーズンには白い花で埋め尽くされていたことだろう。



【10:03 雲ノ平山荘】
最近リニューアルされたばかりの「雲ノ平山荘」に到達する。でも特に用事はないので通過してしまった。高天原へ下る道はこの小屋の前で分岐しているのだが、絶好の日和であるし、もう少し雲ノ平の絶景に包まれていたかったので、分岐を通りすぎてちょっと先まで行ってみることにした。


 
【10:15 キャンプ場への分岐】
浅く擂り鉢状にえぐれたところに雲ノ平のキャンプ場がある。さすがにこの時間帯でテントを張っている人は少なく、ぱっと見た限りでは3張のみであった。


 
【10:22 スイス庭園分岐】
アルプス庭園(祖母岳)への道と同様に、スイス庭園への道も盲腸のような短い行き止まりである。この短いトレイルに入ってみた。


 
【10:25 スイス庭園】
笹原の中で池塘やハイマツが斑に分布する高原がスイス庭園。道のどん詰まりにはベンチが設けられているのだが…



雲ひとつ無い爽やかな蒼い空、そこに展がっている深山幽谷の山紫水明を目にするや、言葉を失い、呆然としてその場に立ち尽くしてしまった。左には薬師岳から続く稜線、右には水晶岳から赤牛岳へと伸びる稜線が、それぞれ彼方へと伸び、正面には二筋の稜線に挟まれた黒部川の上の廊下が奥へと渓谷を刻んでいる。おそらく画像の右奥あたりで黒四ダムが漫然と湖水を湛えているものと思われる。そして更に遠方で茫洋たる山巒が左右に立ちはだかっている。この絶景を何と表現したら良いのだろうか。美麗なる圧巻のパノラマと対峙して、私は己の貧相な語彙を悔やんだ。



大展望の下方、ちょっと凹んだ湿原の真ん中(画像の中央)に、赤い屋根が小さくポツンと見えるのだが、これこそこの日の目的地である「高天原山荘」である。見渡す限り、人工物はこの山小屋以外に無い。これから一気に台地を下って、あのささやかな山小屋へ向かうのだ。



この大絶景を目にしながら、今朝薬師沢小屋で受け取ったお弁当のちまきを頬張った。竹の皮に包まれた4つのちまきは中華風の味付けがなされており、パックのウーロン茶が付いている。山で中華風の味付けは珍しく、しかも肉や筍の食感が良くて美味かったので、あっという間に4つとも胃袋へ消えていってしまった。いや、この景色こそ他では決して足すことの出来ない最高の調味料だったのだろう…あぁ、なんてキザで陳腐な表現が思い浮かんでしまったのだろう。猛省しきり。


その4につづく
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ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その2(太郎平から薬師沢小屋)

2013年11月18日 | 富山県
「ひとっ風呂浴びに3日登山 高天原温泉 その1(折立から太郎平まで)」の続編です。

今回は7回に分けて記事をアップしています。


 
【11:25 太郎平小屋(2330m)を出発】
コンビニのおにぎりを頬張り、ゆっくり休んでから出発。



小屋の左脇を通って裏手へ抜けると、100mほどで二手に分岐する。右は黒部五郎岳方面へ、左は薬師沢方面へ。ここは左を選択。


 
分岐の先は小さな高層湿原となっていて、池塘の向こうには明日登る雲ノ平、そしてその奥に水晶岳が聳えていた。しばらくは平坦な木道を進む。


 
振り返ると薬師岳が優美な裾を広げている。その手前で赤い小さな屋根を戴いているのが、さっきまでいた太郎平小屋だ。小屋で働いているスタッフさんは武骨で屈強な山男ばかりだが、こうして見る小屋自体はとても女性的で可愛らしいじゃないか。そう思いながら、小屋の水源となっている沢を越える。


 
いまからこのパノラマの真ん中に見える薬師沢の谷へ下りて、奥へ奥へと向かう。そして翌日には谷の奥に屹立している雲ノ平をのぼる。登って下りて、また登る…を繰り返すわけだ。非効率だけど仕方ない。路傍にはもうすぐ開きそうなリンドウの蕾がいくつも見られた。


 
この登山道は本当によく手入れされており、関係各位の努力には感心させられる。例えば、谷へ下ってゆく箇所の路肩は、木材で固く土留めされており、棕櫚の網で両サイドがしっかり保護されていた。


 
また、深くえぐれた箇所もあるのだが、しっかりとしたステップが随所に設けられており、スリップする心配をせずに急な坂を下ることができた。



ひたすら下りが続き、下ることに飽きはじめてきたころ、太郎平から約35分で右手に清らかに澄み切った沢が見え…


 
【12:05 中俣】
谷底に下りきって、薬師沢の源流部に当たる中俣という沢を渡る。橋の下がちょうど他の沢との合流部になっていた。ここから先は起伏が緩やかになり、土の道と木道が交互に現れながら、沢に沿って東進することになる。


 
【12:13 薬師沢にかかる橋】
ちょっと長い橋で薬師沢の右岸へ渡る。沢の水は驚くほど綺麗だ。普段の私のセコくて黒い腹も、この沢に入って身を清めれば浄化されるだろうか。そう思うと、この清冽な沢が腹立たしくなった。


 
橋を渡って100mほどでハシゴを登る。ここから薬師沢小屋までは、地図上では沢沿いのルートとして描かれているが、実際には沢を高巻いたところを、いくつかのアップダウンを繰り返しながら進むことになる。


 
【12:20 清水が美味い水場とベンチ】
太郎平から薬師沢までのルート上にはたくさんの水場があり、また休憩用のベンチも何箇所か用意されている。どんな山を歩く場合でも、水場の位置及び飲み水の確保は非常に大きな問題となるが、このルートは水に全く苦労せずに済むのが嬉しい。太郎平小屋ではチップ式で給水できるが、このルートを選択するなら、ちょっと我慢してここで汲んだ方が遥かに良い。しかもこのベンチ前にある水場の清水は、キリリと冷えて口当たりが軽く、最高に美味いのだ。往路では水を飲むだけに留めたが、復路ではこの水でお湯を沸かしてご飯を作るつもりだ。


 
笹原の中に生える針葉樹が、雲ひとつ無い青空へ、天高く伸びている、まるで北欧の風景画のような景色の中、木道は奥へ奥へと続いている。どれだけ歩いても汗はほとんどかかない。熱くも寒くもなく、爽快この上ない。足取りが軽くなり、思わず口笛を吹いてしまう。東京で迫り来る仕事の納期に肝を冷やしている同士よ、癖のある客からイチャモンをつけられて胃を痛めている同士よ、みんなには悪いが、俺は今天国にいる。一人で思う存分、清らかな空気を吸い込んでいる。恨んでくれるな。


 
【12:35 左俣】
長い橋で左俣という比較的川幅の広い沢を横断する。この橋は一部の橋桁が傾斜しており、雨の日はちょっとスリリングかもしれない。


 
なだらかな区間が多く、ベンチも随所に設置されている。実に歩きやすいルートだ。


 
 
【12:45~50 丸太橋で崖をクリア】
このルートは橋以外に危険箇所があまり無いのだが、強いて言えば、太郎平から1時間20分後の地点で遭遇したこの丸太の足場の前後だろうか。ここでは沢を高巻くため、一旦急登した後に、崖を即席の足場のような丸太橋で越え、水が流れ込んで道が沢と化している泥濘の坂を登ってゆくのだ。悪天候時にはちょっと手こずるかもしれないが、この時は特に問題なく、足場みたいなところにもちゃんとロープが渡してあるので、たやすくクリアできてしまった。


 
木道でいくつもの細い名も無き沢を渡ってゆく。こうした幾つもの細流が集まって薬師沢は徐々に川幅を広めてゆき、そして黒部川へと合流してゆくのだろう。


 
繰り返すが、本当に美しい景色だ。日本じゃないみたい。


 
【13:15/23 カベッケヶ原】
絵画のような景色を単に歩いて通過するだけでは勿体無いから、このカベッケヶ原と称する場所のベンチでちょっと腰掛けてみた。


 
カベッケヶ原を経つと、いままで続いてきた爽快な高原は終焉となり、やせ気味の尾根を下りてゆくと、屋根いっぱいに布団を載せて天日干ししている小屋が目に入った。


 
【13:30 薬師沢小屋】
折立から(休憩を含めて)6時間20分で本日の目的地である薬師沢小屋に到着。のんびり来たつもりだが、早すぎたのか、小屋の中へ声を掛けても反応が全くない。仕方ないので小屋前のベンチで30分ほど腰掛けていたら、大東新道の方から女性スタッフの方が現れ、ようやく受付が可能となった。私は事前に予約をしておいたのだが、その御蔭か、客室では一番隅っこを確保することができた。


 
小屋の目の前で黒部川と薬師沢が合流する。この辺りの黒部川は最上流部に当たり、川の中では大きなイワナが6匹ほど泰然自若に泳いでいた。なおこの辺りに棲息しているイワナは放流されたものらしい。というのも、ここから下流には大小の滝が連続しているため、天然物のイワナはここまで遡上できないらしいのだ。だから、もし太公望が釣り上げたとしても、リリースしてあげないと、せっかく放流した関係者の苦労が報われない。


 
宿泊料金はこの表の通り。私は2食と明日のお弁当をお願いしたので9,800円をお支払い。
小屋は全体的に傾いているらしく、帳場横の錘がレッドゾーンに達すると危ないらしい。
トイレはバイオトイレが採用されており、ちょっと狭いが臭いとは無縁で快適だ。


 
2階の客室へ上がる階段は「最後の急登」と称されている通り、本当に戦前の民家のような急傾斜であった。



いわゆるカイコ部屋と称されるスタイル。布団一組につき枕が2個用意されていたので、最混雑時にはそれこそ布団一枚で2人といったような修羅場が展開されるのだろうが、この日はガラガラだったので、その正反対となる、布団2枚で一人という、実にゆとりのあるスペースが確保できた。


 
木のぬくもりが伝わる食堂。夕食は17:30から。手の込んだお料理が提供され、美味しくいただいたのだが、この晩に小屋の食事を摂ったのは私を含めて2人だけで、他の宿泊客(計10人ほど)はそれぞれ自炊していた(自炊室もある)。薬師沢ではテントが張れないため、やむを得ず小屋泊にしている登山者が多いらしく、せめて食事は自分で作りたいのだろう。

日が暮れると急に冷え込んでいたので、フリースを着込んで寒さを凌いだ。食後はウッドデッキに出て黒部渓谷の清流を眺めながら、自分でお湯を沸かしてコーヒーを淹れ、同じく山小屋で宿泊する登山者のみなさんと喋りながら、一期一会のひと時を過ごした。

その3へ続く
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