パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

好意ーその2

2009年05月27日 | おもいで
5月27日(水)晴れ
昨日のめざまし占いだったか、ワタクシの星座の運勢、今ひとつで、
開運アドバイスが「強気にせめよ」
「そうか!今日は強気にせめなきゃ!」とつぶやく母に
娘が「これ以上強気でせめられたらどうしたらいいんだ」と、ぼそっとつぶやく。
と、家族には強気なワタクシであるが、よそ様に対してはとことん弱気である。
好意を素直に表現するということができない。
さすがに40も半ばにさしかかると、「恥ずかしい」とか「照れくさい」という感情の強さが、
いかに自分の人生にマイナスだったか自覚しているので
遅ればせながら、好意は素直に表現しようと努力している。
いや、好意だけではない。
悪意という訳ではないが、嫌悪とかの表現も下手なので、
「嫌なものはイヤ!」と言える人間になろうと努力している。
が、これも結構むつかしい。
思えば小学校低学年の頃、目の病気になり、目の中に注射をするという、恐ろしい経験をしたのだが
その時も「泣く」=「恥ずかしい」行為という意識により
がっと目を見開き耐えた。
未だに、その時の眼科医の先生、看護婦さん、母の、驚いた顔を思い出せるほどだ。
泣かなかった事を褒めてくれるというより、こんな怖くて痛いのに泣かないとは
「スエオソロシや」的な顔だった。
その後も、合コン後の反省会で、それぞれどの男子が良かったかを言い合うと必ず
「えーーーっ!nってば、○○クンのこと気に入らないのかと思ってた」
意識してたのよーーーっ
素敵だわって思ってたのよーーーっと訴えても、悪友どもは
「あれじゃ、伝わらないわよぉ~
伝わらないどころか、この子、俺のこと嫌いなんだなって思われたわよぉ~」
時は流れ・・・
花も恥じらう15の乙女の我が娘。
わかりにくい。
いや、母にはわかる。母ですから。
しかし、よそ様には伝わらない。
小学生の頃だったか、ワタクシの友人に、遊びに連れて行ってもらった時のこと。
帰宅して「すごく楽しかった!」と言う我が娘。
しかし、その後の友人からの電話は「Cちゃん、楽しかったかなあ?」と不安そうな声。
どうやら、娘の「楽しいっ!」って気持ちは全然伝わってなかったようだ。
高校生になった今でも、相変わらずである。
損した!マイナスだった!と反省している母は、そんな娘がとても気がかり・・・
コメント (2)
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