パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

学ぶきっかけ

2009年05月28日 | 本・マンガ・テレビ・映画
5月28日(木)雨
昨日は、対面朗読の日。
1時に、図書館の対面朗読室で、視覚障害者のカトーさん(仮名)を待つ。
ワタクシは、今回が二回目。
前回は、ボランティア3名で二時間「おばさんの逆襲」という本を読んだ。
これは、毎日新聞に掲載されていたコラムを集めたものらしいのだが、
結構おもしろかった。
きわどい場面の描写とか下ネタ系もあったが、
一度うちで下読みをしてから臨んだので心構えが出来ており粗相はしなかった。
しかし、今回から、まさにぶっつけ本番。
当日カトーさんが「今日はこれを読んでほしいの」と差し出す本を読むという事になり・・・
今回彼女が選んだ本が、「ツチヤの口車」
哲学者であり、作家であり、お茶の水女子大の教授でもある土屋賢二氏のエッセイである。
彼の名前は、柴門ふみを通じて聞いた事はあったし、
図書館でちらちら著書を目にする事はあった。
しかし、基本が「先生と名のつく人は真面目であるべし」のワタクシからすると
「けっ!きっと、芸能人好きのミーハーな軽い教授でしょ?
女子大生にはきっとウケるから、マスコミとかにもでてくるんでしょう。」と
相変わらずひねた目で見て、著書を手にする事はなかった。
で、今回、対面朗読で初めて読ませてもらったのだが・・・
思わず吹き出してしまい、読めなくなったり、
笑いをこらえて、読む声が震えたりと、大変なことになってしまった。
いやぁ~速攻彼の本を借りなきゃ!と思いました。
この感覚、何かに似てると思って考えるに、
「聖☆おにいさん」である。
無宗教、不信心なワタクシゆえ、宗教学的な知識が乏しい。
そんなワタクシに向かって「聖☆おにいさん」達は、おいでおいでと
手まねきしてくれた。
ちょびっとだが、宗教について勉強してもいいかなと思わせてくれた。(まだ始めて無いけど)
宗教以上に縁遠かった「哲学」
その入り口を、ツチヤは(・・・呼び捨てですか・・・)私に教えてくれた。
宗教を「聖☆おにいさん」で学び、音楽を「のだめカンタービレ」で学び、
哲学をツチヤに学ぶ。
あ~、書物ってすばらしい。
コメント (2)
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