紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

ランサムの物語に出会って

2005-01-30 09:08:59 | 2・仕事の周辺
「ランサムの物語は、子ども達がイギリス北部の湖沼地帯や、南部の川などあちこちで、帆走、釣り、キャンプ、登山などをして遊ぶ、休暇の話しである。1冊、また1冊と読み進むうちに、私はこの物語と物語に出てくる子どもたちが、ますます好きになっていった。

けれど、十二冊目まで読んだ時、私は非常にショックを受けた。その最後のページに「アーサー・ランサムへの別れのことば」と題する追悼文が載っていたからである。

私は最初から、この物語が十二冊しかないのを知っていた。でも、待ってさえいれば、また必ずいつか続きは書かれ、翻訳され、物語の中で、あの子供達に会えると信じていた。ところが、その物語の世界を創りだすランサムが亡くなったことで、永遠にそのチャンスはなくなってしまったことがわかったのである。すでに書かれている十二冊の物語の中でしか会うことはできないのだと、悟った。私は仕方なく、それらの物語をくり返し読んで、新しい物語が出ない寂しさの埋め合わせをしようとした。

けれども、やがて私は同じ物語を何度も読むことに、限界を感じはじめた。読むたびに面白さは感じるものの、世界はどうしたって、それ以上広がりようがないのだ。

そのことにはっきり気がついた時から、私は自分でも、アーサー・ランサムのような物語を書けないだろうか、と考えはじめた。」
(雑誌・日本児童文学 「創作入門教室」に書いた文章から抜粋)
私が子どもの本を書こうと思ったのは、ランサムの本に出会ったから。
そして、ランサムの本が12冊しかなかったから。

今思っても、図々しい発想だけど、人は自分が思ってもみなかった方向に進むという時には、何かそういう強い理由を心のどこかに持っているものかもしれない。私はそれまで、文章を書くのも大の苦手なら、本を書こうなんて、考えてみたこともなかったのだ。

追記)この話しには、まだつづきが・・。

(写真は2番目に好きな「ツバメ号とアマゾン号」の舞台。コニストン湖)

◆ランサムの物語に関連して
 「アーサー=ランサムとの出会い」
 「ランサムの物語に出会って」
 「その後」
 「新人賞に応募していた頃」