紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

地平線にむかって北米旅行・その6

2005-05-21 17:10:08 | 8・山と旅の思い出
■グレイシャー国立公園■

たびたびとぎれますが、また旅の話しの続きを。

地平線に向かって旅を続け、グレイシャー国立公園に着いた。
その名の通り、氷河をいだいたロッキーの高山がそびえる国立公園である。
ところが、やっと着いてみると、山の上はガスに隠れてしまっている。しかも、すごく寒い。8月の中旬、ここにはもう秋が訪れていた。

この国立公園は東と西に入り口があって、ロッキー山脈の峠、ローガンパスを通る道によって結ばれている。私たちは東から入って、ロッキーを越えて西に行くことにした。
峠を通る道には、「ゴーイング・トゥー・ザ・サンロード」(太陽へ続く道)という名前がつけられている。誰がつけたのか、ほんとうにすごくいい名だ。

■グリンネル氷河ツアー

峠を越える前に、レインジャー(公園監視員)が案内してくれるグリンネル氷河を見にゆく山登りツアーに申し込んだ。その氷河は園内最大ということだ。

朝6時起きると、今にも雨が降りそうだった。こんな天気でも山に登るのかなあと思いながら、朝食をすませ、雨具の用意をし、みんなで集合場所にいった。山の上の方は、すっぽりとガスでおおわれている。

湖の船着き場が、集合場所であった。着いた時には、雨が降り出していた。
そこで初めて案内をしてくれる女性のレインジャーに出会った。

「雨が降っているけど、氷河には行くんですか?」
と聞いてみた。申し込みはしたものの、こんな雨の中、山なんかに登りたくないなあというのが正直な気持ちだった。
すると、レインジャーは答えた。
「それはあなた達が決めることです。私は氷河に行く人が一人でもいたら、案内するのが仕事ですから。」

目からウロコ。雨でも登りたければ登る。雨の中登りたくなければ、やめる。仲間のうち、誰かが登れなくなったら、そのグループの人が面倒をみる。
つまり、みんな、それぞれ自己責任で登りましょう、というわけだ。

私たち5人は、どうするか相談した。そして、一生のうちでも、グリンネル氷河を見る機会は、二度と巡ってこないだろうから、登ることにした。
船で湖を横断したところから、山道は始まった。
雨の中、大氷河目ざして、ひたすら歩く。登る。遠くに氷河が見えてくると、心がはやる。



レインジャーは、要所要所で、氷河のなりたちやら、ここらの岩はどうやってできたというような説明をしながら、登っていく。まことに残念ながら、専門用語であまりよくわからなかった。
知識も豊富だし、体力もあるし、すてきな女性だった。

そうして、やっと、氷河の真ん前に着いた。



そこで昼ご飯を食べたり、氷河の氷にさわったり、岩壁をかけ下ってくるビッグホーンシープを見たりした。
そして、驚いたことに、氷河の前で、ツアーは解散した。下りは自分たちでおりてくださいという。ただし、最後、船の時間があるので、時間におくれないようにと、レインジャーはいった。

往復するのに約8時間かかった。あとあと思い出しても、登ってほんとうによかった。すばらし体験ができた山旅だった。

◆地平線にむかって北米旅行
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Blog記念日

2005-05-20 05:27:47 | 12・Blog・PC・カメラ・家電など
今日で、このBlogもちょうど1周年を迎えた。
Blogをすすめてくれたのは、私のホームページの先生であるカッパ師匠である。
その時私は、Blogという言葉も知らなかった。私より一ヶ月くらい前に始めたカッパ師匠のBlogを読みながら、どういうものかなあと研究し、そして、5月20日にエイヤーっと始めてみた。

最初は、何を書いていくのかなど、考えてもいなかった。初日のBlog「本日スタート」を読むと、行間にとまどいが出ていて、ちょっと笑ってしまう。
しかし、今思うと、あの時始めてよかった。Blogのおかげで、世界が広がったし、知り合いも増えた。これはスタート時点では、全く予想もしなかったことである。
また、1年間続けてこられたのは、いつも読んでくださるみなさんと、コメント、トラックバックを送ってくださった方々のおかげだと思っている。
ほんとうに感謝している。とくにコメントは、ほんとうに嬉しい。

ところで、1周年を機会に、Blogタイトルを変更することにした。「紅蓮の日常」と同じタイトルの日記を公開されている方がいて、そちらだと思って訪れてくれる人がいる。ややこしいので、いつか変えようと思っていた。ちょうどいいチャンスかなと思う。

▼紅蓮のポケット▲
これからも、子どもの本・山・スキー・連句・・楽しいことをポケットいっぱい詰め込んで歩いていこうかな。
でも、Blogができるのも、インターネットできる環境のおかげだ、とつくづく思うできごとがあった。一昨日の夕方、突然OSが壊れてしまったのだ。きのう夜おそくまでかかって、やっとほぼ前のパソコンを同じ状態にもどった。インターネットできないと、Blogに関してはもうお手上げである。たったの一日ネットにつなげないだけで、困ったなあと思うのも、実に困ったことだ。
最近、とくにBlogをはじめてからは、ネットに依存して暮らしている。

地平線にむかって北米旅行・その5

2005-05-18 14:00:55 | 8・山と旅の思い出
■グレイシャー目ざして

グラントティトン国立公園で数日過ごした後、私たちは、アメリカ北部、ロッキー山中にあるグレイシャー国立公園に向けて、旅だった。

隣接するイェローストーン国立公園のど真ん中を走り抜け、ひたすら北に向けてドライブしていくことにした。
イェローストーンでは有名な間欠泉を見たり、大草原では、バイソンの群れを見た。ほかの車がみな止まっているので、何かと思ったら、バイソンがゆっくりと群れをなして、歩いていた。迫力があった。

 

昔テレビのマンガに、「チンケンハックル」という番組があったが、たしか舞台がイェローストーンだったと思う。いかにもクマゴローに会えそうな国立公園だった。ほんとうはここでも、何日間か過ごしたいと思ったけれど、そこは特に人気が高く、ロッジは2年前から予約でいっぱいということだった。

イェローストーン国立公園を出ると、ロッキー山脈とほぼ平行な、まっすぐな道をひた走った。道はどこまでも続いていた。



この時の旅の印象から、後で本を書くときに、「地平線にむかって」というタイトルをつけた。
道は、地平線で終わっているように見えるが、ずっと進んでいくと、その先があらわれる。地球ってほんとうに丸いなあと思った。

雲の頭が、地平線上に見えてくる。どんどん進んでいくと、雲の形が見えてきて、さらに進むと、頭上に浮かぶようになり、やがて後ろへと消えていく。

走っているうちに、前の方に、灰色の雲がわいてきて、嵐がくるのがわかった。そこへ突っ込んでいくと、土砂降りの雨に降られた。そのまま進むと、やがて日がさしてきた。
後には、二重になった虹があらわれた。虹は大地から大地へと弧を描いていた。


夕方になると、通りかかった町のモーテルで泊まった。あてのない、明日はどこにいるかもわからない旅も、なかなかいいものだ。と思った旅だった。

(写真:セルフのガススタンド。ガソリンをいれている間に、手のあいているものは、車の掃除をした)

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地平線にむかって北米旅行・その4

2005-05-17 06:07:00 | 8・山と旅の思い出
■ティトン国立公園で

毎日キャンプしながら、公園内のあちこちに出かけていってアウトドアの生活をたのしんだ。

子どもたちが一番喜んだのは、ホースライディング(馬乗り)だ。ティトンだけでなく、この旅では、あちこちで何回か馬に乗った。
ティトンではこの後、突然真っ暗になって雨が降りだし、馬が勢いよく走り出して、振り落とされそうになったりということもあった。しかし、この時、気分はもう西部劇の主人公。(笑)




ティトンの山を見ながら、湖で泳いだり、昼食も野外で食べた。息子は火をおこすのが好きなので、いつもかまど担当。上手に火をおこしてくれて、
「まだおきになってないから、野菜なんかのせちゃだめだよ」
と私たちに指示を出した。


川下りツアーにも参加した。ほんとうは、もっと激しい急流下りを想像していたが、ただまわりの景色、動物を見ながら、ゆっくりと川を下っていくというものだった。それはそれで、川から国立公園を眺めることができて、ちがう世界が見られた。
バイソンやムース、シカの群れ、白頭ワシ、エルク。
ビーバーは見られなかったが、ビーバーダムは見ることができた。

キャンプ場でご飯を食べていると、シカやリス、鳥、うさぎが遊びにやってきた。動物たちにエサはやってはいけないということだけど、こぼれ落ちたパンくずなどをちょんちょんとつっついていた。

  

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蕎麦粒山(1473m)に登ってきました!

2005-05-16 06:17:24 | 3・山の日記
おととい、ホイッスル山の会の5人で、奥多摩にある蕎麦粒山に登ってきた。
ガイドブックによると、川乗橋でバスからおりると、100mほど歩いたところに、登り口があるが、標識がなく、ここで迷うようなら、この山には登らない方がよい。そんな所で迷っていると、山道の途中にも標識がないから、この山には登る資格なし、と厳しいことが書かれていた。

リーダーの沼上さんは、全然迷わず、踏み跡を見つけて、登りだした。よく見ると、道の反対側に、小さな表示板があった。けど、これじゃ、うっかり行き過ぎそう。
道は、いきなり急登。しばらくしてから、さらに急な崖(壁)のような斜面に。岩場ではなく、ただの土の道なので、乾いていたからいいようなものの、雨のあとでは、ずるずるになりそう。
這うようにして登った。

その頃から、あたりはブナやナラの木々の緑が美しく、ああ、やっぱりこの時期の山はいいなあと思う。残念なことに、その頃からガスが出て、ぼやっと霞む幻想的な中を登り続ける。
みつばつつじ(左)、シロヤシオ(右)の花がところどころに咲いている。こういう花の名前を沼上さんが、ほんとうによく知っていて、一緒に登ると教えてくれる。

 

笙ノ岩山で軽く昼食。アップダウンをくり返し、ようやく蕎麦粒山頂きに登ったのは、1時10分。(トップ全員写真)
私は携帯を握り、Blogに登頂報告を送っているが、それが届いたのは、その日の夜。
奥多摩山頂は、携帯の電波が届かない。まわりに高い山があるからだろう。
山頂は、5月というのに、ものすごく寒かった。

写真を撮ってくれたのは、見ず知らずの二人づれの登山者だったけど、
「ああ、しんどかった」といっていると、「お疲れ様」といって、チョコレートをくれた。やさしい。
その人たちは、下りの、一杯水避難小屋にも、先にくだっていて、そこでも会ったら、
「チーズケーキ残っているので、お姉さんたちだけ、あげます」といって、チーズケーキもくれた。すごくやさしい。

 山頂から下り始めるとすぐに、ひょう(あられか?)が降り出した。
あとは、ひたすら、奥多摩のもえぎ湯温泉と、生ビールを楽しみに下る。一時間に1本のバスなので、もうほとんど休みもせずに下り続け、4時ようやく下山。
バス停でカンパーイ!

計画表

明日は蕎麦粒山(そばつぶやま=1473㍍)に登ってきます

2005-05-13 19:31:08 | 3・山の日記
雪の山にもこの頃ひかれているが、5月の山は、新緑がきれいで、一年じゅうで一番好きである。
明日はホイッスルのメンバーと奥多摩にある蕎麦粒山に登ってくる。



奥多摩駅 9:30(バス)→9:43 川乗橋 9:50→

11:50笙ノ岩山(昼食)12:10 →13:10 蕎麦粒山 

13:25→14:25 一杯水避難小屋 14:35→

16:10 東日原 16:17

(バス)→16:45 奥多摩駅

(歩行時間 約5時間、標高差=約1100m)

地平線にむかって北米旅行・その3

2005-05-13 06:46:06 | 8・山と旅の思い出
■広いキャンプ場

アメリカには「ティトンを見てから死ね」という格言があるくらい、そこはすばらしい国立公園ということだ。26歳の時、初めてアメリカ旅行をした時に、それを知って、ぜひ訪れてみたいと思った。が、交通の便があまりに悪くて、あきらめたのだった。

それから16年後。再びチャンスがめぐってきた。
その時の旅の一番の目的は、ロッキー山脈にあるグレイシャー国立公園だったが、グランドティトンから、イエローストーン国立公園を通り、ドライブして行けるのがわかったので、ティトンでも何日間か過ごすことにした。

ところが、ティトンはとても人気のある公園であるのに加え、自然を守るために、極力宿泊施設を作らない方針なので、半年とか1年前からの予約が必要ということだった。夏休みに行くことを決めた4月には、もう園内のロッジはいっぱいだった。
それでも、どうしても行きたくて、テント、寝袋を持参することにした。

グラントティトン国立公園は、映画「シェーン」でも有名な所だそうで、少年が
「シェーーン、カム バッーーーーック!」
と叫んでいるバックにそびえているのがティトン山脈ということである。
映画はずっと昔に見ただけなので、確かめたことはないのだけど。


朝一で入園し(写真上)公園内をキャンプ場目ざしてドライブする。
すると、ティトンのすばらしい山波が私たちを迎えてくれた。



ほんとうに道のりは遠かったけど、はるばる来たかいがあった、と思われる光景であった。

キャンプ場も、一台のスペースが広く、テントを二つ張っても、余裕がある。テーブルやかまども付いていて、目の前で煮炊きができるようになっていた。子ども達は、キャンプ場に泊まれて、大喜びしていた。

 

けれど、テント生活は楽しいことばかりではない。キャンプしていた夜、雷が鳴り、大雨が降り、夜眠れなかったこともあった。それに、かなり寒かった。
でも、そんなこともめったにできない体験。
子どもたちは、大人になった今でも、「あの時の旅行は、今までで一番楽しかった」といっている。

◆地平線にむかって北米旅行
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地平線にむかって北米旅行・その2

2005-05-12 21:52:22 | 8・山と旅の思い出
■グランドティトンまでの道のり

「デザートウィンド」(砂漠の風)という名のアムトラック(長距離列車)は、ロスとシカゴを2日半で結んでいる。

フュラートンを午前中にたつと、私たちが行こうとしているソルトレイクシティーには、翌日の明け方到着予定であった。
けっこう長い時間列車に乗ることになるが、コーチの座席はゆったりしているし、展望車にいって外を眺めたりしていると、全くあきることもない。
列車は、砂漠の中をひた走った。
夕方、ラスベガスを通り、私たちは、暗くなると、寝袋にもぐって寝た。
なぜ寝袋を持参していたかというと、その旅では、宿がとれなかっい所があったので、キャンプすることにしていたからだ。
冷房がかなりきいていたが、寝袋の中は暖かく、ソルトレイクシティーまでぐっすりと寝た。

その日は、長い一日だった。
明け方ソルトレイクシティーに着くと、アイダホホールズ行きのバスを待ち、それから、夕方までバスに乗り続け、ようやくバスからおりて、レンタカーを借りたのは、5時頃だった。
(写真:ソルトレイクシティーで待ち時間にUNOをする子どもたち)


バス停で出会った青年を車で送ってあげてから、ようやく、グラントティトン国立公園の入り口にある宿に着いたのは、夜の10時。途中でハンバーガーを買っておいたからよかったものの、そうじゃなければ、食いっぱぐれるところだった。宿のまわりは、真っ暗で何もない、ただの野っ原のような所であった。

翌朝は、早くに国立公園に入って、キャンプ場を確保しなくてはならない。キャンプ場は早いもの順に場所を確保できることになっていた。

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地平線にむかって北米旅行・その1

2005-05-11 16:44:46 | 8・山と旅の思い出
■旅立ち 

1993年の夏。3週間北アメリカを旅した。
ロスアンゼルスからロッキー山脈に沿って北上して、カナダ国境まで行き、そこからシアトルに出る。アメリカをほぼ縦断する旅である。

旅の計画を立てながら、こんなに長い旅をする機会は、これを最後にもう当分ないだろうと思っていた。
その頃、痴呆症(認知症)と診断された父は、おそらくその3年ほど前に発症していただろうと思われ、あと7年後には、日常のことはほぼ何もできなくなると、医者から宣告されていた。

けれど、その年3週間の時間を作るのが大変だったのは、父のためではなく、息子のためだった。
中学2年生というと、部活というのがあって、夏休みといえども、そうそう自由にならないのである。

留守番させようかどうしようか迷ったが、本人はすごくアメリカに行きたいという。キャンプしたり、馬に乗ったり、ロッキーの山を歩いたりしたいと。
だけど、3週間はとても無理だという。それで、相談した結果、息子だけは2週間一緒に旅をして、先に日本に帰り、あと1週間は残り4人で旅をすることにした。

といっても、アメリカの国際空港までは送らなくてはならず、最後の1週間は、シアトル、バンクーバーのパパさんの家を訪れるということにした。

5人で旅をしたのは2週間。今思い出しても、ハードだったが、楽しい旅だった。それまでは世話をしてあげる存在だった子どもたちが、ようやく対等な立場で、一緒に旅をすることができた。
それと同時に、息子は中2になり、おそらくこういう旅に同行することは、この先もうないだろうとも思っていた。この5人で、世界のあちこちを旅したが、なんとなく最後の旅行だろうなあという予感があった。

スタートはディズニーランド。アメリカにいって、いきなり車の運転するのは時差があってきついので、時差をとるためにアナハイムに滞在した。ふだんそのような所に行くことがない私は、そこで一生分といってもいいほど乗り物に乗った。

そして、早朝から夜中まで、目いっぱい遊んだ翌朝、フューラートンという駅からソルトレイクシティー行きのアムトラック(長距離列車)に乗り込んだ。



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