紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

塔 ノ 岳(とうのだけ=1491㍍)に登ってきました!

2005-07-17 14:15:50 | 3・山の日記
夏山のためのトレーニング山行。別名「地獄の特訓」
あんなに暑い思いをしたのは、久しぶり。
近年で思い出すのは、何年か前の、海の日の尾瀬至仏山。
あの時も暑くて、飲料水が足りなくなりそうで、それに気づくと、気持ちがあせり、疲れが倍加するという経験をした。
でも、何事も経験で、それ以来、必要な量の500ml余分に持っていくことにしている。
昨日は、尾瀬より、南の山で、しかも標高が低い分、さらに暑かった感じ。暑いというよりは、湿度が飽和状態といったらいいだろうか。

 9:20頃登り始め、しばらくいったところで、階段が出てくる。その頃から、その日の大変さが予想される。

最初の1本で、すでに、体中から汗が吹き出してくる。ただの水、お茶では、塩分が足りなくなって日射病になるかもしれないと、スポーツドリンクを持参していた。味はあまり好きではないが、この際日射病になるよりかましと思い、飲むことにする。


歩きながら、休みながら、とにかく出て行った水分を補うべく飲む。
えんえんと続く階段に、目が回りそうになりながら、ひたすら登った。氷の旗目ざして花立て小屋まで登り、氷を食べた。おいしい。


12:50頃、塔ノ岳頂上着。

かなりバテ気味だったので、そこで、昼食にしつつ、しばらく休む。
その結果、下山は、別ルートを予定していたが、バスに間に合いそうもないことから、同じ道をくだることになる。


4:20大倉のバス停に着くと、女性二人は「山岳スポーツセンター」でシャワーを浴びてから帰ることにする。スポーツセンターのシャワーは、二人で150円という安さ。汗を洗い流して、やっと生き返った気分。


先に渋沢の駅にいって、冷たい飲み物を飲んでいるか・・・
と思った男性陣は、スーパー銭湯に寄っていたとかで、駅で合流。
一緒に駅近くの店で、生ビールでかんぱーい!
すばらしくおいしい生ビールだった。


やはり、夏の山は暑さ対策が必要。きのう摂った水分は、1.5リットル。多い人は、2.5~3リットルも摂っていた。
それにしても塔ノ岳大倉尾根のコースは、何度いっても大変な所だ。

計画表

塔 ノ 岳(とうのだけ=1491㍍)に登ってきます

2005-07-15 06:54:16 | 3・山の日記
この時期になると、梅雨明けが待たれる。
とくに、海の日の連休に泊まりの山を計画している人はなおさらだろう。
明日は、ホイッスル山の会で、丹沢の山にいってくる。
夏山のトレーニングのための山行である。

東京近辺にある山といえば、奥多摩と丹沢。
とはいえ、丹沢に行くのは、もう十何年ぶり。子どもたちが小学生の頃、沢登りに行ったのが最後である。
通称「馬鹿尾根」と呼ばれる塔ノ岳の登りは、昔からトレーニングコースで、大学時代も登った。

生まれて初めてテントを背負って、1泊で縦走したのがその山。
塔ノ岳から、蛭が岳、焼山を通った。
夏山のトレーニングなので、20kgの荷を背負った。当時はそのくらいの荷物を背負うのは当たり前。夏山合宿では30kgも背負った。

塔ノ岳では大雨に降られ、テントを張るまでにびしょぬれになったり、楽しさよりも、辛かったことばかり思い出される。

今、10kgかそこらの荷物を背負って登ると、そこの登りはあの頃にくらべてしんどいんだろうか。

明日雨の場合は、順延。



渋沢駅 8:55(バス)→9:10 大倉 9:15→10:50 堀山

11:00→12:40 塔ノ岳(昼食)13:00→14:45 三ノ塔

14:55→16:05 ヤビツ峠 16:16(バス)→17:05

秦野駅


(歩行時間 約5時間40分、標高差=約1200m)

汽車にのってヨーロッパ旅行・その10

2005-07-13 07:49:25 | 8・山と旅の思い出
■農場で遊ぶ

毎日あちこち観光地に出かけたり、馬に乗りにいったりしていたが、子どもたちが一番喜んでいたのは、B&Bの農場でただふつうに過ごしていた時かもしれない。
子ども達にとっては、観光名所など興味もないのである。

宿のご主人が、毎朝どこかへ出かけて行くが、どこへ行くのだろうと思っていた。宿の裏にも農場があって、そこもかなり広かったが、日中ご主人がそこにいる気配はない。

それで、ある日、奥さんにどこに仕事に行っているのか聞いてみた。すると、近くに自分たちの農場があるという。
ぜひ見たいというと、もちろんOKといって、みんなで散歩がてら行ってみることにした。

行ってみて驚いた。
想像を絶する広さなのだ。
ご主人らしい人がいるのがわかるけど、豆粒のような大きさ。
農場は果てもなく続いていた。



農場の子どもたちも一緒にいって、みんなで子牛にに抱きついたり、広い農場いっぱい駆け回ったりして遊んだ。羊や牛に、べたべたに寄り添ってふれあって過ごす時、子どもたちはみんなすごく嬉しそうだった。

 

 


やがて、エニスの農場での幸せな日々にも終わりがやってきて、私たちはまた旅立った。
本当に楽しい日々だった。



◆汽車にのってヨーロッパ旅行
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汽車にのってヨーロッパ旅行・その9

2005-07-12 07:31:45 | 8・山と旅の思い出
■パブ

町の人が、仕事帰りにぶらっと気軽に立ち寄るパブ。
そこでは、店の片隅で、アイルランド音楽愛好者が楽器を奏でている。

せまい店の中は、人がいっぱいで、隣の人とくっつき合うようにして座っている。
音楽が始まると、自然に足を踏みならし、手拍子が起こる。
そして、知っている人、見知らぬ人、誰彼なく自然に会話が始まる。

アイルランドのパブというと、そんな印象があった。
ぜひ、そういう店にいってみたいと思っていた。
そして、そういう店を探して歩いて、
やっと見つけた「ダイヤモンドバー」

店で飲むのは、絶対にギネスビール。
と思っていたが、これが私はけっこうだめで(といっても飲めないというほどではないけど)、イメージはこわれるが、おいしく飲んだ方がいいので、ふつうのラガービールを頼む。
飲みながら、アイルランド音楽の演奏を聴いた。





気さくなアイルランドの人たちは、人なつっこい甥に、チョコレートなどお菓子をたくさんくれた。そのお礼にと、娘や姪が、折り紙で鶴などをおってプレゼントしていた。
なぜかこの甥は、行く先々で、いろんな人にかわいがられた。

音楽もよかったし、見知らぬアイルランドの人たちとの交流が、ほんとうに楽しい一夜だった。

とぎれとぎれに旅の話しは続いていきます。



◆汽車にのってヨーロッパ旅行
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7月10日(日)の日記

2005-07-11 13:06:12 | 16.調布のできごと
■野川周辺で過ごす

きのうはほんと暑かったですね。
暑い中、久しぶりに娘が家にいたので、一緒に運動がてら歩いてどこかに行こうと、午前中出かけた。

最初に目ざしたのは、府中のアンズ並木。
野川沿いに歩いていった後、人見街道に入る。
片道45分で、着いた。
1週間前にKさんと行った時は、小さいのは取り尽くされ、大きいのが、まだ上の方になっていた。
でも、上の方のは道具を使わないととれそうもないので、いっても無駄かもしれないとは思っていた。

そうして、行ったところ・・

ない!!  全く何も。
前々からいわれていたように業者が入ったんだろうか。
きれいさっぱりとり尽くされていた。
来年は短期決戦。もっと通って、たくさんジャムを煮よう。

その後、また野川沿いに帰ることになったが、途中、水車小屋のある、藁葺き屋根の農家に立ち寄る。今は文化財に指定されているとのこと。
建ってから190年たつそうだ。水車小屋の中にも入って、米の精米について聞いた。コンピューターもビックリの、すごい仕組みによって、精米されていたのがわかった。

夜は、9時過ぎに、また娘と一緒に、今度は自転車で野川にある秘密の場所にいった。
そこでは、蛍が見られるのだ。去年のことはここに書いたが、10匹くらい飛んでいた。

今年は、6月17日にいった時には4匹。そして、30日頃は1匹。きのうも1匹飛んでいるだけだった。
見に行く時期が遅すぎたのか、それとも今年は少ししかかえらなかったのか。

BS特集「子ども」・追記(映像)あり

2005-07-10 00:00:46 | 9・昔の風景
先日、このBlogに、NHK・BSの◆あなたと作る時代の記録 映像の戦後60年という番組に、父の写したビデオが流れることを書いた。(写真:父と私)

残念なことに、我が家ではBSが見られないなあと思っていたところ、近所の友人Kさんが「見においでよ」と声をかけてくれた。
そして、もう一人、友人Yさんも来てくれて、一緒にKさんの家で見ることになった。

その昔、8ミリを見る時も、そうやって、父は近所の子どもたちに声をかけ、「映写会」をしていた。それから40数年たって、BSという、当時はなかったチャンネルの映像を見るわけだけど、それでも、やっぱり今でも「映写会」をしているのが、おもしろいなあと思った。

そうして、目をこらして、じっと見ていたところ、
なんと、テレビに流れたのは・・・。

わずか・・1分。

もうちょっと映るのかと思ってた。
せめて5分くらい。(笑)

でも、2時間、他の人の映像もみながら、同世代の3人で話しははずんだ。
昔給食の脱脂粉乳は、やだったなあとか。とにかく、その当時、席替えの「あたり」は、私のミルクをこっそり飲んでくれる人。はずれは、飲んでくれない人。今でも、飲んでくれた人の顔は思い出せる。
コッペパンのあげぱんってあったなあとか。クジラの竜田揚げも出たなあとか。

そんなこんなで、昔、小学生時代に飛んだ2時間を過ごした。
ビデオに撮ってくれたり、DVDに撮ってくれたみなさま、ありがとうございました。ご協力感謝します。

■追記
カッパ師匠が、きのうの番組の、私たちが出ている部分の映像だけ切り取って送ってくれた。
さすが師匠。こんなことができるのね。ビックリ!
それに2時間の中から、ちゃんと私たち3姉妹の画像だけ、間違えずに切り取ってくれたのが、昔の私らを知っている人だなあ。(笑)





(映像は、NHK・BS「映像の戦後60年」7月9日放送より一部抜粋)

汽車にのってヨーロッパ旅行・その8

2005-07-09 06:49:55 | 8・山と旅の思い出
■クリフ・モハーとアラン島

ゴルウェイになぜ行きたかったといったら、そこからアラン島行きの船が出ているからだった。
できれば、せっかくアイルランドを訪れたのだから、最果ての島、アラン島に渡ってみたかった。

しかし、エニスに残りの6日間ずっと留まることにしたため、アラン島行きはあきらめた。

ところが、エニスからそう離れていないドゥリン岬から、アラン島行きの船が出ているのがわかった。
クリフ・モハーにいった時にそれがわかると、またぜひ島に渡ってみたくなった。


モハーの岸壁は、そのあたりの観光地だけれど、海からいきなり大岩壁がそそり立っている。
体を乗り出してみるのも、こわいほど。




そして、翌日は、アラン島に行くことにした。
といっても、泊まらずに、日帰りすることにしたため、一番近いイニシア島に行くことにした。

9時過ぎに農場を出て、車で桟橋に着いたのは11時前。ところが、11時の船には乗れず、2時といわれ、そこら辺でずっと待ったが、船がおくれ、やっと船に乗れたのは4時。
とにかく、待ち続けた日だった。
(写真:待っている間、磯遊びをする子どもたち)


ようやく島に着いたのは、夕方の6時。日が長いので、まだ暗くはなかったが、時間がないので、島をちょっと歩き、すてきな喫茶店でお茶を飲んだだけで、帰ることになった。

 

その日はひたすら待ち続け、船に乗れば、小さい船だったこともあり、荒れた海で船酔いしたが、それでも、念願だったアラン島に渡れたのはよかった。もし行かなかったら、心を残したまま、アイルランドから帰ってきただろう。



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汽車にのってヨーロッパ旅行・その7

2005-07-08 07:59:26 | 8・山と旅の思い出
■エニスの農場

旅は続いた。
たまに晴れると、気持ちのいい青空が広がった。




ドライブしながら、インフォメーションがあると、立ち寄って、アイルランドらしい観光名所の情報をもらった。

 

その日は、エニスのインフォメーションに行き、農場を紹介してもらった。
ところが、そこに行ってみると、大きすぎて豪華な家で、ちょっとイメージとは違うかなあという気はした。が、もう疲れていたので、早いところ宿を決めたかった。泊めてほしいなあと思っていたところ、「今日はいっぱい」だと断られた。
ガッカリして、他をあたろうと思っていると、
「近くに従兄弟の農場があるから、そこはどうか?」
といわれた。

とりあえず、その日の宿を決めないとならないので、いってみることにした。
着いてみると、道から少し奥まった所に家が建っていて、B&Bの看板も質素。とてもよい感じだし、イメージにもぴったりだった。
若い奥様が出てきたので、あいている部屋があるか聞いてみたところ、あいているという。
泊めてもらうことにした。


一日過ごすうちに、もうほんとうにその農場が気に入ってしまった。
結局、アイルランドにいる6日間、ずっとそこに泊めてもらうことになった。
この先ゴールウェイとか、行きたい所もあったが、こんなに気にいった場所が見つかるというのが、めったにないことだというのも、わかっていた。他は全てやめることに決めた。


こういうのは賭なので、旅を続けたら、どうだったかわからないけど、一カ所にいると、その場所、人を深く知ることができる。
それに、転々と旅を続けるのは、毎日移動やら宿探しでくたびれるものだけど、同じ宿で寝泊まりするのは、そういう大変さを省くことができるので、楽である。

子どもたちが一番喜んだのは、牛、馬、山羊、羊、それにそこのジェッスイという犬と、直接触れあったり、じゃれあえることだった。
そして、それにもましてよかったのは、長く滞在させてもらうことによって、宿のご夫婦、小さい3人の子どもたちと、とても仲良くなれたことだ。まるで、親しい親戚の家で過ごさせてもらっているような居心地の良さがあった。

 



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汽車にのってヨーロッパ旅行・その6

2005-07-07 07:51:15 | 8・山と旅の思い出
■キラニーの移動遊園地

コークからキラニーへと旅を続けた。

旅の間じゅう、ずっとそんな天気だったが、どんよりとしていて、ちょっと晴れ間が見えると、また驟雨が降る。雨の中ヒッチハイクしている、けっこう年配の女性がいたので、乗せてあげた。車の中で、アイルランドの歌を歌ってくれたりして、楽しい時間を過ごした。


ドライブしながらも、午後もおそくなると、今晩の宿のことが気になりだす。
この旅では、ぜひとも農場に泊まりたいと思っていた。それも物語のイメージに合う農場に泊まらなくてはならない。

アイルランドといえば、どこまでいっても牛や羊が草を食べている農場が続いているというイメージがある。いくらでも、そういう農場は見つかるだろうと考えていた。

ところが、これが簡単にはいかないのだった。
キラニーでも、農場に泊まった。
とてもいい農場だった。朝おいしいスコーンが出たので、作り方を聞いたり、おかみさんとも、そこの小学生の子どもたちとも仲良くなった。
でも、どこか物語とのイメージが合わないのだった。

キラニーの町に、移動遊園地がきていたので、遊びにいった。



乗り物などは、とても簡単なものだけど、移動遊園地って、ほんとうに楽しい世界だ。
日本の縁日という感じだろうか。
きっと一年に一度、こうして回ってくるのを、地元の子どもたちは首を長くして待っているのだろう。

  

初めて、アイルランド音楽に合わせて、子どもたちがフォークダンスを踊るのも見た。
ステップが難しそうだけど、小さい頃から、いつもいつも踊っているのだろう。生き生きとみな踊っていた。

(写真左)




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