幕切れというのは案外あっけないものというのが相場ですが、
安倍政権の終わり方も唐突でその原因もまた健康問題と誰もがそうだったのかと
いう結果となっています。各ニュース番組が特集する中何も特別な知見や
次のリーダーが誰になりどうなるのかの確たるビジョンもありません。
ただ、辞任の意向が伝わった時の日本の株価が600円近く急落したのが
全てを語っています。
コロナ禍で新しい生活様式が言われる中、飲みに行く回数が減り人生の
最大の楽しみがなくなったと感じている向きもいるかと思いますが、
このブログでは色々な楽しみが全て中止になり、そうするとそれでも
毎日の珈琲は必ず癒しと安寧のひと時を与えてくれそのすばらしさに
気付けたことに感謝するという立場でした。
そして多くの人にこの珈琲時間を持ち人生を豊かにという思いを強く
したわけですが、最近感じることはまた変わってきています。
つまりそれは幸せの強さなどそもそも測らなくていいのではということ
です。当たり前の幸せに気付くまではいいにしてもあの人に比べたら私は
幸せだと言い出した時点でその誤りに気付くべきです。
まあそして多くの人はその不幸はどこから来るかということから超自然のもの
とかいらぬ存在を創造してそれにすべてをゆだねるような生き方になりがちです。
まあ人の事で人それぞれの価値観だからといえばそれも批判する立場にはありません
が元の出所をこう考えてくると安易に公共のツィッターに登場させた古の存在の
アマビエ様に世間は直ぐに歓迎してあちこちに使われるようになったものの実は
元の妖怪はあまびこ様で疫病を癒す力などないのでした。このように簡単にデマでも
なんでも信じてしまうのです。
昨日の夜のBS12の映画『ウィンドリバー』もそんなことをテーマにしていたのかと
ふと思います。
この映画はネット配信で見ていたのにまたみてしまいました。最後にジェレミーレナー
が息子にやさしくしてやれと被害者の父親に言うのですが、自分が強くあるためには
弱い者には優しく手を差し伸べるということなのかとまあそれが人の世では標準であり
他の動物の社会と違うところです。
珈琲の味を知ることとそれを楽しんで生きることもいろいろなことに気付かせて
人生を広げます。たとえコロナ禍の世界でも。