昨日はずっと見たかった青木繁の展覧会に行ってきました。

破滅型の天才芸術家という最もわかり易い画家は、絵よりその生き方とか
生き様がそもそも芸術家とはこうだという典型のような人です。
もっとも私の好きなタイプですが、近年には見かけない絶滅危惧種でも
あります。
もう現れないかもしれません。
先月まで日経朝刊の履歴書を書いていた画家も画壇とは一線を画し、売れたのは
60を過ぎてからという生き様でしたが、世の中に認められない、世の中に認められたい
人たちというのはいつでも居るものです。
ただ、だからといって世の中に迎合してしまったり自分の芸術性を見失ってしまう
人も多くいるのです。
生前はそんな売れない認められないというあがきも100年後にはそんな姿も面白がって
みられているのをどんな風に感じていることでしょう。
実際絵を見てみてテレビ等で何度も見ている絵も現物をみると色々な事がわかります。
ただ、絵の展示が変な照明で妙に光っていたり、暗かったりといい感じの鑑賞環境では
ありませんでした。
目的の『海の幸』は画面から溢れる生の力が漲り、技術的には決して優れているとか
完成された美しさというものより、描きかけか習作かというような下絵の線もそのままの
荒々しさと描き手の感動がそのまま今も進行中のようなエネルギーに満ちていました。
これが賞をとる為妻実家から援助を受けて描いた絵はやはり当時の最先端や画壇で求めている
テーマをたどったらしい絵ですが、訴えるものが伝わらない重たいボーっとした感じを
受けるのでした。
そして、最期の絶筆となる朝日の海はそんなものから解放された安寧と魂の解放も感じる
物語の終結を告げる絵にふさわしいものでした。
一生全てが芸術であるかのような作品群でした。
一つ一つの絵に感じる謎やその考察もありましたが、とにかく長年の希望がひとつ適った
満足感に浸れました。
そこで、昨年同じ時期挑んで、門前で閉門時間により拒否された三の丸尚蔵館へ向かいました。
昨年は竜馬の裏書というのを見にいったのですが、色々なメディアや美術誌で出展元が
この三の丸尚蔵館というのを見ており、数々のお宝が見られるものと期待しておりました。

そんな一年持越しの思いもやっと目的の建物にいったらあれ、と言う感じで終わって
しまいました。
展示品はほんの数品で若冲もなければ貴重な歴史証文もありませんでした。
仕方ないので、いつもは花見時に皇居のお堀伝いに巡るだけですが、そのまま
奥へ奥へと皇居内をたどり、九段まで行きました。


清志郎亡き後、もうこの建物もときめきを持って訪れる事もないだろうと思うと
なんとも寂しい感じに包まれます。
建物に近づくと色々な事が思い出されて、夢殿のような建物だと改めて思いました。

破滅型の天才芸術家という最もわかり易い画家は、絵よりその生き方とか
生き様がそもそも芸術家とはこうだという典型のような人です。
もっとも私の好きなタイプですが、近年には見かけない絶滅危惧種でも
あります。
もう現れないかもしれません。
先月まで日経朝刊の履歴書を書いていた画家も画壇とは一線を画し、売れたのは
60を過ぎてからという生き様でしたが、世の中に認められない、世の中に認められたい
人たちというのはいつでも居るものです。
ただ、だからといって世の中に迎合してしまったり自分の芸術性を見失ってしまう
人も多くいるのです。
生前はそんな売れない認められないというあがきも100年後にはそんな姿も面白がって
みられているのをどんな風に感じていることでしょう。
実際絵を見てみてテレビ等で何度も見ている絵も現物をみると色々な事がわかります。
ただ、絵の展示が変な照明で妙に光っていたり、暗かったりといい感じの鑑賞環境では
ありませんでした。
目的の『海の幸』は画面から溢れる生の力が漲り、技術的には決して優れているとか
完成された美しさというものより、描きかけか習作かというような下絵の線もそのままの
荒々しさと描き手の感動がそのまま今も進行中のようなエネルギーに満ちていました。
これが賞をとる為妻実家から援助を受けて描いた絵はやはり当時の最先端や画壇で求めている
テーマをたどったらしい絵ですが、訴えるものが伝わらない重たいボーっとした感じを
受けるのでした。
そして、最期の絶筆となる朝日の海はそんなものから解放された安寧と魂の解放も感じる
物語の終結を告げる絵にふさわしいものでした。
一生全てが芸術であるかのような作品群でした。
一つ一つの絵に感じる謎やその考察もありましたが、とにかく長年の希望がひとつ適った
満足感に浸れました。
そこで、昨年同じ時期挑んで、門前で閉門時間により拒否された三の丸尚蔵館へ向かいました。
昨年は竜馬の裏書というのを見にいったのですが、色々なメディアや美術誌で出展元が
この三の丸尚蔵館というのを見ており、数々のお宝が見られるものと期待しておりました。

そんな一年持越しの思いもやっと目的の建物にいったらあれ、と言う感じで終わって
しまいました。
展示品はほんの数品で若冲もなければ貴重な歴史証文もありませんでした。
仕方ないので、いつもは花見時に皇居のお堀伝いに巡るだけですが、そのまま
奥へ奥へと皇居内をたどり、九段まで行きました。


清志郎亡き後、もうこの建物もときめきを持って訪れる事もないだろうと思うと
なんとも寂しい感じに包まれます。
建物に近づくと色々な事が思い出されて、夢殿のような建物だと改めて思いました。
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