2011.12発行の臨時増刊号は、「千年の京(みやこ)にありて~京大流知的鉄道“楽”~」と題する
ずっしり手に重い感触の立派な鉄道趣味誌かつ学術誌である。
先日、昔の職場仲間での飲み会で、話題になった掲題の論文誌が 論文記事投稿者である
当人から送られてきた。
彼は、京都大学の出身であることは知っていたが、この論文誌に「京都大学鉄道研究会編」とあるから、
彼はこの研究会のメンバであったとはこれまで知らなかった。
A4上質紙260ページにきれいな写真が豊富で、SLや電車などの興味ある対象であるから
大変分かり易い内容であったし、
何よりもその鉄道の姿に大変懐かしい思いを呼び起こされたのです。
で、その片鱗をここで紹介したいと思いアップしました。私の独断で・・。
おそらく、私と同じ懐かしい思い出を感じる方もおられると思います。
先ず、増刊号表紙・・。(写真:山下勝久氏、真鍋裕司氏撮影)
小さくて、おまけにスキャナー読み取りですから分かりにくいかもしれませんが、懐かしい
「こだま」号やすぐにわかる「阪急電車」。この阪急電車は、写真をよく見ると大阪―京都とありますから、
阪急京都線ですね。 八瀬・貴船・鞍馬方面にお世話になった「出町柳」の電車も・・。
懐かしい京都市電
(写真:廣庭基介氏撮影)
京都駅から北野までのチンチン電車。
親戚が京都市の北野天神さんの近く「七本松」というところにあったので、私が小学生の頃親に連れられて、
京都駅からこのチンチン電車に乗って、七本松まで行ったことをよく覚えています。
この市電は、発車の時とか、何かあると、運転手さんが腕を上げてひもを引っ張り「チンチン」と鐘を鳴らしいた。
京都駅からだいぶ行ったところに「堀川」の急カーブがあり、ゆっくりと曲がるが、キィーという
嫌な音がいつもしていました。
また市電は、前後に揺れましたね。船で言うとピッチングですね。 のどかでした・・。
これも、昭和36年には廃線となったそうです。
京阪特急
(写真:山本章博氏撮影)
中学頃になると、京都の親戚行きはもっぱらこの京阪特急を利用していた。
国鉄とこの京阪が京都までの所要時間を競争していた。確か「京都三条まで48分」のような謳い文句
だったかも知れない。
この写真は、四条だから、祇園に近い。
そういえば、テレビカーというのもあったが、京阪東口から京都までカーブだらけで、
テレビは画面が流れてばかりでほとんど役に立っていなかったような記憶があります。
友人の投稿論文(出だし部分)です。
陸羽東線中山峠付近の模様を、40年間観測した列車の勇姿やまわりの景観の変化などから時代の流れ・・
などを解説されている。
この臨時増刊号には、懐かしいSLのD51、C58はもちろんもっと初期の写真もふんだんに掲載されている他、
市電、地下鉄、南海電車などなど・・車両技術、運行技術、さらには、「駅名標」や列車トイレの変遷など
の歴史も盛りだくさんだ。
思いがけず、郷愁と共にタイムスリップしました。
ちなみに、出版社は株式会社電気車研究会でした。
懐かしい名曲72曲(Ctrl+クリック)をどうぞ
世界の路面電車のあれこれ
京都市電について (mak)
日本で初めて市電が走ったのは京都で、1895年(明治23年)に京都電気鉄道によって開業され、1912年に全線市営化された。全面閉鎖された1978年(昭和53年)までの83年もの長きの間走った京都市電の歴史について、ここをクリックすれば詳しく述べられております。
大阪市電について
日本で初めての公営の市電として開業したのは大阪市で、1903年のことであった。1969年3月31日限りで全廃されたが、政令都市で全廃を断行したのは大阪が最初であった。
大阪市電の詳細はここをクリックしてください。
ベルリン市電
世界最古の市電はベルリン市電で、1929年にその歴史が始まり、今も走り続けている。
その規模も、停留所が382箇所あり、路線距離は196km、一部の路線は24時間運航されている、と言いうから半端じゃない。詳しくはこちら をクリック
猛スピードで街中を走るベルリンの市電をクリックしてご覧ください。