以前にも何度かお世話になっている、友人から配信された“情報工場から”の最新版をここにご紹介させていただきます。
友人とは、もう30年も前に、当時最新の技術開発関連でドイツを巡り、ミュンヘンの大学教授仲間にババリア旧地方の
お祭りなどの招待を受けたものでした。
彼はH社OBですが、今なお多方面に活躍されており、余暇では“炭焼き工場”を開き、エコ路線を実践されていたり、
子供バレーボールの監督を務められたりの超多忙の一人です。
つい最近、送られて来ました関心ある記事ですのでここにアップさせていただいた次第です。
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文藝春秋 2012年11月号 p164-172
「シャープと日産『外資身売り』の死闘」
佐藤 正明(作家)
【要旨】日本の家電業界が苦境に立たされているのは周知のことだろう。とくに大きな打撃を受けているのが、
一時は最先端技術による薄型液晶テレビで大ヒットを飛ばしたシャープだ。現在同社は約1兆2500億円もの有利子負債にあえぎ、
まさに企業存亡の危機に立たされている。
本記事は、そのシャープと、自動車業界における、ゴーン以前の日産の立場に類似点を見いだし、
「どこで経営判断を誤ったのか」を、歴史をたどりながら検証している。いずれも、生産体制のグローバル化に失敗し、
外資との関わりにおいて社内外における戦略にミスが生じている。筆者は、シャープが回復するためには、
新社長が「会社のかたち」を示すべき、と結論づけている。
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企業には勝負の分かれ目がある。家電メーカー・シャープの町田勝彦社長(現相談役)は、今世紀に入り
三重県亀山市に液晶パネルからキーデバイスまでの一貫工場を建設して勝負に出た。ここで生産したテレビに
「世界の亀山産」の表示を入れたところ、国産という安心感が消費者に受け入れられ、大ヒットとなった。
町田さんの後継社長の片山幹雄さん(現会長)は、今度は大阪・堺市に、次世代の大型液晶パネルと太陽電池の超巨大工場の建設に踏み切った。
シャープは亀山と堺の二つの工場に合わせて9000億円投じたが、勝負は裏目に出た。薄型テレビがサムスンとLGの
韓国勢との競争に敗れてしまった。身の丈を超えた投資に踏み切ったシャープは、いま企業存亡の危機に立たされている。
経営破綻する前の日産の失敗とシャープの今の動きを重ね合わせてみると、共通するのは乾坤一擲の勝負に出て負けたというより、
経営判断を誤ったことから負けるべくして負けたことである。
自動車メーカーの勝負の分かれ目は、米国における乗用車の現地生産だった。日産は、この時の判断を誤り経営破綻して
外資(ルノー)の傘下に入ってしまった。
1973年秋に起きた石油ショックによるガソリン価格の高騰で、日本車の低燃費と品質の良さが世界市場で高く評価され、
輸出が急増し世界一の自動車生産大国に伸し上がった。しかしその副作用として欧米で摩擦が起き、対米輸出は自主規制に追い込まれた。
この壁を乗り越えるには、乗用車の現地生産しかない。
日産は、1976年の春先、岩越忠恕社長の指示で極秘に乗用車の米現地生産に向けての企業家事前調査を進め、
最終決断を次期社長に指名した石原俊さんに委ねた。
ところが石原さんは岩越さんから託された米現地生産案を棚上げし、「2年以内に国内販売でトヨタを追い越し、
日産を日本一の自動車会社にしてみせる」と大風呂敷を広げた。現実は手元資金のない悲しさで、大胆な販売促進策をとれず
2年を経ても首位に立つどころか、トヨタとの差を一段と広げてしまった。
そして79年に石原さんは、スペインのトラックメーカーへの資本参加など、私にいわせれば“ガラクタ”としか呼びようがない
プロジェクトをポンポン打ち上げた。
命取りとなった英国進出プロジェクトはサッチャー首相から国営メーカー、BLの再建を依頼されたことがきっかけだった。
ところが石原さんはそれを断り、エンジンから組み立てまでの一貫生産工場建設を提案した。
石原体制になってから国内販売は赤字に転落した。だが、石原さんは当初計画通り英国プロジェクトを強行した。
結果は悲惨だった。一連の海外プロジェクトに1兆円投じたにもかかわらず、それを上回る赤字を出し
てしまった。
後継社長は石原さんが残した負の遺産に苦しめられ、最後は外資に身売りという屈辱的な道を選択せざるをえなかった。
それでは家電はどうか。ビデオ戦争で VHSの勝利が見え始めた85年。シャープの佐伯旭社長がビクター副社長の高野鎭雄さんを訪ねてきてこんな提案をした。
「ビクターさんは薄型テレビを手掛ける気はありませんか。実はうちは密かに液晶を使った薄型のテレビを開発しており、
実用化のメドが付きつつあります」
高野さんは内心小躍りしたい気持ちだったが考えた末、婉曲に断った。 「残念ながらビクターはデジタルの基礎技術を
持っていません。仮にシャープさんのご指導を仰いでも、激しい競争に打ち勝つことができるかどうか……。
デジタルは怖い技術です。一歩対応を間違えば会社が傾いてしまいます」
デジタルは無限の可能性を秘めている。それだけに経営トップが的確な判断を下さなければ、技術者は遊びに走り性能だけを
追求した商品を開発しかねない。不幸にして高野さんの危惧は、モバイル市場に出た。日本は世界の
最先端を行く
デジタル技術を駆使した高機能の携帯電話を次々と開発した。
日本の技術について行けなかった世界のメーカーは、いち早く世界標準を唱えたことから、日本の携帯電話は国内でしか通用しないガラパゴス化してしまっていた。
もう一つの怖さはデジタルの世界では、技術の違いを出しにくいことだ。
デジタル時代に入ると日本企業のお家芸だったすり合わせ技術は標準化され、部品のモジュール化が進み海外生産も容易になった。
製品の性能に違いがなければ、消費者が最も重要視するのが価格にならざるを得ない。
98年に町田勝彦さんがシャープの新社長に就いた。家電業界では、デジタル家電が主流となった。
シャープには佐伯さんの時代から培ってきた液晶技術がある。町田さんはここで勝負に出た。
世界初の液晶パネル、キーデバイス、組み立てまで垂直統合した薄型テレビの一貫工場である亀山工場の建設だ。
垂直統合にこだわったのは、独自に開発した技術を特許申請せずに、ブラックボックス化することで技術の流出を防止することにある。
後継の片山社長が技術流出を恐れず、海外生産に踏み切ることで「亀山ブランド」に価格競争力をつけておれば、
韓国勢の追い上げを振り切り、薄型テレビでオンリーワン企業になれたであろう。
ところが片山さんは、次世代薄型テレビの大型パネルの投資に走ってしまった。
問題の堺工場は09年に完成した。前年の08年秋にはリーマン・ショックが起き、世界的な金融危機のあおりを受け薄型テレビの需要も急減した。
これに歴史的な円高が追い討ちをかけた。輸出もままならず09年3月期には、1260億円の赤字を計上した。
12年3月期は国内需要の一巡、輸出の不振から亀山、堺両工場の低操業が加わり、3760億円という巨額の赤字計上を余儀なくされた。
3月27日には台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業との資本提携を発表した。 鴻海は世界最大のEMS(電子機器の受託生産)企業だ。
ところが資本提携を発表したのを境に、なぜか株価下落に拍車がかかり、8月15日には 164円まで
下落してしまった。
これでは鴻海は出資する前から損失が出てしまう。そこで20%への出資比率の引き上げを要求したが、シャープは経営への関与が
強まることを警戒して難色を示し、交渉は暗礁に乗り上げている。
シャープの経営は日を追うごとに悪化し人員削減、社員の給料カット、東京ビルを始めとする資産売却などお定まりの
リストラ策を打ち出すだけでは、しょせん焼け石に水である。そんな矢先、薄型テレビ以外の主要事業を売却するとの憶測報道も出始めた。
これが現実化すれば、シャープという会社は残っても、中には何もないがらんどうになりかねない。
町田さんと片山さんは今回の巨額赤字の責任を取り、それぞれ相談役、代表権の無い会長に退いた。シャープの新社長に就いた奥田隆司さんが、いましなければならないのは顧客、従業員、株主、金融機関、債権者、仕入先などの
ステークホルダーに向けて、経営危機の原因となった薄型テレビの位置付けと鴻海提携を前提とした将来の青写真というべき、
「会社のかたち」を示すことである。これを示さない限り刻一刻と迫りくる過酷な運命から逃れ
られない。
コメント: シャープ、日産両社とも、その失敗の要因は「経営のガラパゴス化」という言葉で表現できるだろうか。
垂直統合による国内生産へのこだわり、国内市場重視といった選択は、あまりにも柔軟性に欠けるものだったと言わざるをえない。
シャープの「世界の亀山」というブランド戦略にしても、イメージ重視であり、国外に訴求するものではなかったように思える。
日本の国内生産=品質が良い、という感覚は、今ではかなり薄れているのではないか。
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