またまた古いお話で恐縮ですが、箱を整理していたら私の“雑感”が載った昔の業界紙が出てきました。
昭和56年のお正月「新春よもやま話」として、何人かの記事の中に私の記事がありました。
これがあるために、今まで残してあったのだろうと思います。
その表題が「お見合い」なんです。 恥ずかしながら、記事をそのままご披露させていただきました。
“お見合い”
明けましておめでとうございます。
早々から、“お見合い”というのもどうかと思いますが、先だってある団体が集団見合いを企画したところ、
大変成功し相当数のカップルが誕生したとテレビで報じられていた。
これは北海道の農園で働く青年群と関西地方の女性群との集団見合いである。
人間、生を受けて全く別個に成長を遂げ、年頃になればおおかた良き伴侶を見つけて結婚し、一家を形成する。
人には本来人それぞれの情感などによって自然に、本能的に結ばれる性質がある。恋愛結婚は、個々人の偶然の出会いから
進展した結果であろう。 しかし、この偶然の出会いの他に、第三の仲介者により意識的、目的的に両者を引き合わせる
“見合い”というシステムが厳然と根強く存在しており、お互いの希望や条件など、その目的の下に“見合う”訳であるから、
この意味においてむしろ合理的なシステムだと思われる。
冒頭の例のように、仲介者の助けにより双方がお見合いすることにより、潜在化していた自己の希望、要求が改めて意識され
急速に話がまとまるケースも多いだろう。
婚姻の面ばかりでなく、我々の日常生活においても、漠然とした要求や問題意識が、その対象に出会って、見て、
はじめてそれらの感覚が明確となり、決断し解決することも多いところである。
きわめて単純な話で恐縮だが、昔、照明といえばランプしかなかった時代を想定しよう。
ある人は、照度の点でもっと明るいものがあればと思い、ある人は明るさは良いが煤のでないものがあればと思っている。
世の中にはランプしかないから、ただそのように感じているのみであり、当然これらの要求は強い声として湧き上がる由もない。
そしてこれらの人々がある日“電燈”に出会えばその特性を知り、たちどころに明るさ、煤などそれぞれの目的から
電燈に切り替えるであろう。
世の中がランプの時代から、はるかに進展した今日では企業活動における効率化や個人生活における利便向上に対する要求も
ますます複雑化・高度化し、さらに多様化してきている。
一方、これらの要求あるいは問題を解決する重要な手段を提供する各種の技術も
急速かつ大幅に進歩し、幾多の製品や大規模・高度なサービスシステムが開発されている。
コンピュータの出現は、これが社会に広く活用され大幅な効率化・利便化をもたらすこととなった。
エレクトロニクス分野の技術革新のテンポは速く、電気通信分野でも様々な通話利便を向上する各種サービスや~(中略)~。
これらのサービスやシステムを利用することとなるユーザ側とそれらを開発する側の要求や条件、目的が、
あらかじめ双方に理解されにくいことから、なかなか具体的なサービス、システムとして結実しないことが多いのではないか。
それが複雑で高度なものであればあるほど、自然にあるいは偶然に出会うことは少ないと思われる。
組織的な企画した積極的な“お見合い”を推進する必要があるのではないか。
そしてその仲介役は、もちろん開発側の仲人たちであろう。