昨日、11月3日は、“一の酉”の日でした。
昨夜の仙台は、遅くまで賑わったことでしょう。
呑み屋あたりで、“今年は三の酉まであるんだね”・・なんて女の子が言っているのを聞いたこともありましたね。
浅草の酉の寺(鷲在山長國寺)や各地の鷲神社、大鳥神社で行われる、開運招福・商売繁盛を願う祭りで、
江戸時代には盛んな年中行事であったようです。
例によって、ウイキペディアを覗いてみますと、
「例年11月の酉の日に行われる “祭礼” であり、関東地方だけではなく大阪府堺市の大鳥大社・
名古屋市大須の稲園山七寺(長福寺)など日本各地の鷲神社(おおとりじんじゃ)で行われている年中行事である。
多くの露店が出店し賑やかなお祭りとなっている年末の風物詩である。」 とあります。
「鷲神社は、日本武尊を祀り、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰され、大鳥大社(大阪府堺市)が
鷲神社の本社とされる。日本武尊が東征の際、この神社で戦勝を祈願したというのが、11月の酉の日であり、
その際、社前の松に武具の熊手を立て掛けたことから、大酉祭を行い、熊手を縁起物とするようになったとか・・。」
江戸時代後期から、最も著名な酉の市は、浅草の鷲在山長国寺(じゅざいさん・ちょうこくじ)境内の
鷲大明神社(東京都台東区)で行われる酉の市で現在も賑わっています。
また浅草鷲大明神の東隣に新吉原が控えていたことも浅草酉の市が盛況を誇る大きな要因であったようで、
時代が下るにつれ江戸の各地で酉の市が開かれるようになり、今では関東の多くの寺社で開催されるように
なったとのことです。
(ウイキペディアより)
このように酉の市とは、秋の収穫物や実用の農具が並んだ近郊農村の農業市が江戸市中へと移行するに従い、
招福の吉兆を満載した飾り熊手などを市の縁起物とする都市型の祭へと変遷してきたのだそうです。
「縁起物の代表である熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模したともいわれ、福徳をかき集める、鷲づかむという意味が込められている。」
また、“酉の日”は、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、“酉(とり)”に当たる日のことで、
これは、12日おきに巡ってきますから、ひと月30日の日の巡り合わせにより、11月の酉の日は2回の年と
3回の年があります。今年は3回あります。
初酉を“一の酉”、次を“二の酉”、3番目を“三の酉”と言います。“三の酉”まである年は火事が多いとの俗説がありますが、
三の酉は、およそ一年おきにあるため、さほど珍しいことでもありません。
春を待つ 事のはじめや 酉の市 ・・ 其角
この頃、お正月を迎える最初の祭りとされていたようですね。