冬季オリンピックがいよいよ始まりました。コロナ感染拡大の中、こちらも大変な
大会となるでしょう。今日2月5日、私は3回目のコロナワクチンを接種してきます。
市から、接種日時、場所を指定してきましたので予約する必要はありませんでした。
ちょっと日にちがずれましたが、2月1日は「テレビ放送記念日」だったのです。
1953年(昭和28年)2月1日午後2時、東京・内幸町の東京放送会館(当時)のスタ
ジオから「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」の第一声が放送さ
れたとあります。 また、都内7ヵ所で一般公開され、開局祝賀会の模様や舞台中継、
ニュース、映画などが放送されたそうです。 この年の8月には、民間放送テレビ
(日本テレビ放送網)の放送もスタートしました。
NHK放送会館(当時)
(ウイキペディアより)
69年前のことなんですね。当時、大卒の初任給が8000円くらいで、受信料は何と
月200円、国産の14インチ型の白黒テレビは17万5000円もしたそうです。 当時の
受信契約数は866件だったとあります。(2020年度末、契約世帯数は4610万世帯)
NHKといえども、この頃テレビカメラは5台しかなく、ニュースや映画のほか大部分
の番組は生放送で、1日約4時間程度だったそうです。しかし、懐かしい番組もたく
さんあります。 ネットから拾ってみますと、
・NHKで初のクイズ・ゲーム番組『ジェスチャー』(白組 柳家金語楼、紅組 水の江
滝子、司会 小川宏)
(NHK放送史より)
・大相撲中継、甲子園から高校野球中継など
・プロ野球、プロレスの力道山などは人気でしたね。プロボクシングの白井義雄も。
(ネット画像より)
・第4回NHK紅白歌合戦が、東京・日本劇場から初めてテレビ生中継がはじまったのでした。
(ウイキペディアより)
私の家にテレビが来たのは高校生の時からでしたから、中学時代に、近所の友達
宅に行って大相撲のテレビ中継を見ましたね。確か、鏡里や千代の山などがいました。
東京の虎ノ門近くに愛宕山がありますが、この頂上にNHK放送博物館があり、私
たちランチの会で訪問(もう7年も前のことですが)したことがありました。この
時のメンバーは、映像関係の仕事に従事していたこともあり、懐かしい、テレビ映
像・放送関連の技術や設備などを見学し思いを馳せていたのでした。展示の中には、
今放送中の朝ドラ「カムカム・・」で映る、昔のラジオなどの実物もたくさんあり
ました。
テレビジョンは、その昔、1926年に初めてロンドンで、動く映像の生中継に成功し、
アメリカでも天気図が伝送されたのです。 日本では、この年の暮れ、浜松高専で
研究を進めていた高柳健次郎が機械・電子折衷式のテレビを開発したのが最初ですね。
高柳博士が使用したブラウン管と撮像したイの文字
(高柳記念館より)
およそ100年前にテレビの「種」が撒かれてから、約30年近くになって、白黒テ
レビ放送が始まり、10年もしないうちにカラー放送に進化し、今、4K、8Kなどと
高精細化に進んでいるのですね。 これらの機器設備(ハードウエア)の進展とと
もに、番組形態(ソフトウエア)も大きな進歩を遂げてきたのですね。
Elvis Presley - Can't Help Falling In Love (Aloha From Hawaii, Live in Honolulu, 1973)