蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

おでん  (bon)

2022-02-15 | 日々雑感、散策、旅行

 寒い冬の夜、コートの襟を立て暖簾をくぐって おでんをまえに熱燗をすすった
想い出はもうずいぶん前のことです。 年老いてコロナの続く今頃にはもう思い出
すだけとなりました。 今は家族 2人で静かに味わう熱々のおでんにホッとした
安らぎを感じさせてくれます。

 そんな「おでん」のお話です。 ネットにもいろいろと出ていました。

        (ネット画像より))

 「おでん」は漢字では「御田」と書くようで、串に刺して焼いた豆腐の「田楽(でん
がく)」に由来するとありました。室町時代に宮中に仕える女房が使い始めた丁寧
言葉で、この「田楽」を「お田楽」⇒「お田(でん)」と呼んでいたそうで、この
「田(でん)」は豆腐のことであったそうです。

 しかし、もともとこの「田楽」というのは食べ物の名前ではなく、平安時代に
豊穣祈願のために踊った舞のことを指す言葉でありましたが、豆腐を串に刺した
様子がこの舞を踊っている姿に似ていることから、この料理を「田楽」と呼ばれる
ようになったとありました。

         (ネット画像より)

 江戸時代になると屋台で「おでん」が売られるようになり、うどんや団子などと
並んで江戸の町で人気になったそうです。そして「おでん」の具材の種類も増えて
ゆき、豆腐以外にコンニャクや里芋、ナス、魚などがあったそうです。

 しかし、この頃はまだ「おでん」とは串に刺して焼いたものでありましたが、そ
の後、江戸時代後期に千葉県の銚子や野田を中心に醤油の製造が盛んになると、江戸
では醤油で煮込んだ「おでん」が誕生したのだそうです。

 なので、串で刺して焼いた「焼き田楽」と醤油で煮込む「煮込み田楽」の2種類
が出来たわけですが、その後「おでん」は「煮込み田楽」のことを指し「田楽」は
「焼き田楽」のことを指すようになったとあります。

 そして、この「煮込みおでん」は全国的に広まる前に、大正時代に東京の料理人
によって大阪に持ち込まれたが 当時、関西の「おでん」は串に刺す「田楽」のこと
を意味していたため、東京から持ち込まれた「煮込みおでん」を「関東煮(かんと
うだき)」と呼ばれたのです。私が子供のころはそのように呼ばれていて、短く
『かんとだき』などと呼んでいました。

 この「関東煮」は濃い醤油ベースだったそうですが、これを関西風にアレンジし
て、昆布ダシを使った薄めの味にし、更に 具材としてタコや牛すじ、クジラのコロ
などが加わって「関東煮」は関西で大人気となったそうです。

 そして、1923年(大正12年)の関東大震災で甚大な被害にあった時、関西の料理
人が集まって炊き出しのボランティアで振る舞ったのが、関西風にアレンジされた
「関東煮」であったそうです。 このことにより出汁の利いた「おでん」が関東で
広がり、全国へと広まっていったのだそうです。

         (ウイキペディアより)


 今日では、「おでん」は日本各地で愛される料理となり、魚の練り製品、黒はん
ぺんを主体にした「静岡おでん」、甘味噌だしの名古屋風「味噌おでん」、加賀巻
を入れた「金沢おでん」、豚足、ソーキをいれた「沖縄おでん」などなど多くの
「ご当地おでん」が誕生していますし、コンビニで売られてからも久しいですね。

        静岡おでん横丁 
            (ネット画像より)

 おでん種は、地方によっても様々ですが、紀文の「家庭の鍋料理調査:好きな
おでんベスト10全国版」によれば、大根、たまご、ちくわ、こんにゃく、はんぺん、
厚揚げ、さつま揚げ、餅巾、ごぼう巻、じゃがいもの順となっているとありました。

 今夜あたり、おでんにしますか!

 

 

 

暖簾 五木ひろし

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする