蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

情報と認識  (bon)

2024-02-11 | 日々雑感、散策、旅行

 ちょっとお堅いタイトルですが、いたって身近な柔らかいお話です。

 最近ではスマホなどが普及して情報過多の時代になっていると言え、昔よりは
はるかに便利ではありますが、一面どの情報が正しいのか迷うこともあります。更に
このところ生成AIが手直に使えるとあって、大統領に成りすました映像と発言が、
本物そっくりに仕立てられた偽の情報(発言)を流したりなど許せない行為まで起
こっています。

 ウイキペディアに「情報」を引けば、『情報とは、 ある事象の内容や事情につい
ての知らせのこと。 文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、
受け手において、状況に対する知識をもたらしたり、適切な判断を助けたりするもの
のこと。・・』とあります。 なるほどそうですね。 さらに、このほか、表記媒体
によって伝達されないけれども、ある物体を見た人が、その物体やシーンから何らか
の意味を理解する・・つまり、物体やシーンは何も語らないけれども、それを見た
本人が何らかの情報を得るというのもありますね。

 表記媒体による情報、あるいは実物などを見た時、それを受ける人の認識(判断、
理解)によってその意味・内容が「ある」わけで、つまり情報が得られるのですね。
猫に小判、豚に真珠・・など、その価値や意味は理解されないので情報は得られな
いのです。

        (ネット画像より)

 お皿に載ったリンゴを見て、これは「フジ」であるとか「つがる」だとか、その
品種を考える人もいれば、おいしそうでビタミンがありすぐに食べたいと思う人、
はたまた「リンゴの唄」や「リンゴ追分」などの懐メロを思い浮かべる人もいるかも
しれません。同じものを見ても、あるいは情報を受け取っても、その人の関心事や
問題意識によって認識する情報(内容)はさまざまであるようです。

 しかし、ある状況下では人は、その状況から得る認識・判断がその状況によって
偏りがあるというのです。これは認知心理学で「認知バイアス」と呼ばれています。
例えば災害時などでは、次のような認知バイアスが起こり易いというのです。
 すなわち、

  •  これくらいは普通  例えば突然火災報知機が鳴った時、“これは検査だろ
    う。大したことはない” などと思ってしまう。“正常性バイアス”といって、
    物事を正常の範囲内で捉えたいとう心理なのだそうです。
  •  自分だけは大丈夫  他の人は運が悪いが、自分は運が良いと考えたい生き
    もの。 災害時でも、まさか自分のところが・・と考えてしまう。比較楽観主
    義バイアスというのだそうです。

 前回は大丈夫だった 判断の際に、思い出す好情報の影響を受けやすい。
  利用可能性ヒューリスティック(経験則)という。

  • 皆と一緒なら安心  他の人に同調していれば安心という集団同調性バイア
    スがある。
  • 防潮堤があるから安心  防潮堤やハザードマップ情報に頼り切っている。

などが挙げられていますが、いうなれば自分にとって好都合な判断に偏りがちだと
いっています。

              

 また、人の判断は主観的という視点もあるのです。つまり、人は日常生活の中で、
極めて主観的な判断をしているというのです。いくつかの例でみてみましょう。

  • 人の判断は客観的な期待値と必ずしも一致しない  例として、次のどちらを
    選ぶか? A:80万円をもらえる  B:100万円もらえるが、15%の確率で1円も
    もらえない。   
    殆どの人はAを選ぶ。  今度は質問を変えて、

  A:必ず80万円を支払う  B:100万円支払うが、15%の確率で1円も支払わな
  くてよい。  
この場合は、Aを選ぶ人は少数で、大半はBを選ぶ。

 期待値の計算では、前者では、Aは80万円、Bは85万円もらえるので、Bが望ましい
が、多くの人はAを選んだ。後者では、Aは80万円、Bは85万円の支払いとなるので、
Aの方が望ましいが、多くの人は、Bを選んだ。
 

 人は合理的な判断とは違う判断をするのですね。つまり、もらえる額は確実に
もらおう、少しでも支払いが0になるなら、それに掛けようとする心理が働いて
いる。

  • 人は数学的な確率で判断しない  この例として、次の2つの例でみてみましょう。   
    コインを5回投げた時、次のどちらが出やすいか?

  A: ○○○○○   B:○●●○●  多くの人はBと答えるのですが、確
  率は同じです。 そして、Aの人が、続いて6回目に投げた時、次は○か●か?
  と問えば、多くは●と答えるようですが確率は50%ですね。 これは、“ギャ
  ンブラーの誤謬” と呼ばれる心理だそうです。 

 もう一つの例は、2枚の宝くじがあってどちらかをあげると言われたら、どちらを
もらうか?
  A:111111  B:168372  ほとんどの人は、Bを選ぶが 当たる
  確率は同じです。 しかし、心理としては、Aはめったに出ない、Bの方が当たり
  そうと思うのです。

  人の判断は表現に左右される   どちらの先生に手術をしてもらいたい
ですか? という例題で、
   医師A:これまで千人の手術をして950人が5年以上生存している
   医師B:これまで千人の手術をして50人が5年未満で死亡している

この例では、表現に左右されて、医師Aを選ぶ人が多いが、両者は同じことを言っ
ているのです。

  • 自分の期待が判断に影響する  ここでは「だまし絵」で説明していますが、
    E.Hillの絵による「だまし絵」はよく知られています。

          (ネット画像より) 

 若い女性にも見えますが老婆にも見えます。これは、自分の期待するように物を
見ているというのです。

  • 参照情報に引きずられた判断をする   例えば、A:フランスの失業率は
    9%だが、ドイツではどのくらいか? B:イギリスの失業率は2.8%だが、ドイツ
    ではどのくらいか?

    この2つの質問は、共にドイツの失業率を問われていますが、Aでは、9.9%に近い
    値を、 Bと言われた人は2.8%に近い値を応える傾向があるというのです。

              

 以上のように、状況や情報から人の認識・判断がいかに心もとないものであるかの
側面が理解できました。とくに認知バイアスなどは、自分の都合の良いように判断
しがちであるということですが、これは、訓練や経験によってある程度正しく補正
されてくるのではないでしょうか?

 自分自身に照らしてみると、これまでの経験や失敗のお蔭で、物事を多面的に見て、
ある程度正しい判断をしていると思いたいですが、 災害などのように、これまでの
経験が無かったり、遭遇の機会が少なかったような事象に遭遇した時、果たして適切
な判断をして行動できるか疑わしい限りです。 

  (拙ブログ「認知心理学」(2014.2.12)を参照しました。)

 

 

 

(ロームシアター京都)小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅣ 喜歌劇「こうもり」 2016年

 

 

 

 

コメント (4)
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