蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

えべっさん  (bon)

2014-01-09 | 日々雑感、散策、旅行

“商売繁盛でササもってこい”“えべっさんあんじょうたのんまっせ!”

 1月9~11は、西宮の“十日えびす”と今宮の“今宮えびす”が毎年100万人以上の人であがあるという。
十日が本えびすなので今宮でも “十日えびす” とよんでいます。 
拝殿で福笹を授かり、御札と吉兆(きっちょう)と呼ばれる小宝を付ける風習が続いています。

 今日9日は、“宵えびす” といって、これらの両神社は、すごい人出となるのでしょう。
関東の “お酉さま” と同じようなお祭りで、商売繁盛を願う庶民の祭りです。

 “えびす”は、もともと西宮の 夷神社 を本社として各地に分祀されており、祭神は蛭子尊とも“事代主命(ことしろのかみ)” 
ともいわれていますが、延喜式によれば “大国主命” なんですね。
“えびす”の話をしているのに、なんで “大黒さん” が出てくるの? 

 はっきりとしませんが、どうも親子であるらしい。因幡の白兎で知られる大国主命が大黒さん(様)と称せられ、
大国主命の子が事代主命であるといわれ、この事代主命が えびす となったと・・。
大黒様は、俵に乗っかり打ち出の小づちを持つ農業の神様として、そしてえびす様は、鯛を小脇に抱え、
釣り棹を片手にした漁業の神様として祀られています。
俗に、夷大黒と2柱を一つにしてしまうところもあるそうです。 ともに、七福神の仲間ですね。

 ところで、大阪市浪速区にある “今宮戎神社” は、その昔、聖徳太子の四天王寺建立の際に西方の守護神として
建てられたと伝えられている古い神社ですが、ここに、西宮神社の夷を勧請(分祀する、遷座する)して、
“新宮(しんみや)” の夷と呼んだことに始まったとされています。 “いまみや” という呼称はひょっとしてこのあたりから
呼ばれるようになったとも想像できますね。 同じ “えびす” ですが、西宮神社が蛭子系の総本
社であるのに対し、
事代主神とする代表格は今宮戎神社である・・とも言われています。

         今宮戎神社
               (ウイキペディアより)

 

 江戸の頃は、大阪もどんどん栄えていましたから、この “えべっさんも” 大変賑わったそうです。現在も、
相当の人出で賑わい、十日の本えびすには、大阪南の綺麗どころが十数挺の駕籠(かご)に乗って参詣しますが、
駕籠の中には友禅の座布団を厚く敷き重ね、駕籠を紅白のちりめんで飾り、駕籠かきが “ホエカゴ、ホエカゴ”と
掛け声勇ましく練り込む。これを “宝恵籠” というのです。 また、大阪キタの新地の綺麗どころは、25日の
初天神に宝恵籠で参拝するといいます。

 えべっさんでは、18~23歳の女性 “福むすめ” が毎年選出されます。 応募が3,000人くらいあり
そこから40人が選ばれる激戦だそうです。

  また、“誓文払い(せいもんばらい)” という言葉も聞いたことがありますが、もともとは、 “江戸時代,に
京都の商人や遊女が四条京極にある官者殿(冠者殿)(かんじやでん)に参詣し,一年中商売のかけひきに
うそをいった罪をはらい,神罰を免れるように祈ることをいった”  とありましたが、
このえびす講の時にも同じ意味合いから、感謝を込めた 大安売り・特売 をしたのでした。

  

 

 

 

 

 

 


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