蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

無残なツタンカーメン  (bon)

2013-03-10 | 花鳥風月
先のルクソールのバルーン事故とは全く関係がありません。
我が家のベランダの話です。 “えんどう豆”のことです。


今年、先のブログでもアップしましたが質の良い“ツタンカーメンのえんどう”を大量に
収穫しようと意気込んでいました。

ポットに種を蒔いて冬越しをし、先日、3月に入ってプランターに移植しました。 
市民農園での栽培は、他の人が普通のえんどうを栽培していると、交配が進んだりして
“ツタンカーメンが壊れてしまう”のを避けるため、大型のプランター2個に9ポット、20本くらい植えました。

 3日前くらいに、支柱と網を掛けそれらしい作りにしてみました。

        


おととい、外出する時に、玄関口からベランダのこのプランターが見えるのですが、
珍しくムクドリがたくさん“キャッ、キャッ”とその付近を飛び回っている楽しそうな光景を見ました。
ぽかぽか陽気だし、“あ~、もう春だナ。”なんて気持ちで外出しました。


ところが、昨日、水やりの時“愕然”としてしまいました。  無残な姿・・・。
どれもこれも、本当にきれいに食べられていました。 

     


ムクドリたちにとっては、久しぶりにおいしいサラダ? が食べられたのかもしれませんが、
折角楽しみにしていたツタンカーメンが、これでは、収穫どころか来年の種もおぼつかないのでは?
と心配です。


 蓼科では、鹿やイタチ類の被害・・そして、許せない盗み掘りの被害にあったばかりで
すが、まさか・・と思っていたました。


先日、かなり老け込んでボケた寒木瓜は今・・
     



すかっりハマってしまった チュ・ヒョンミ



チュヒョンミのデビュウ曲「雨降る永東橋」 日本語と韓国語で歌います。



「新沙洞の人」これも日本語、韓国語で歌います。

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明日3月10日、明後日3月11日  (bon)

2013-03-09 | 日々雑感、散策、旅行
この続く2つの日は、忘れられない日ですね。

明後日11日は、忘れもしないあの東日本大震災です。
明日、3月10日は、1945年(昭和20年)東京大空襲の日です。
小生の様な関西人には当時子供でしたし、あまり大きな印象は残っておりませんが、
東京深川、本所などの下町を一瞬にして8万4千人を呑みこんだ大空襲だったのです。
この空襲は5月頃まで数度にわたって行われ、計10万人を超える死者を出した大規模なものだったのです。

例によってウイキペディアによれば、

「東京都慰霊堂(とうきょうと いれいどう)は東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設で、
1930年(昭和5年)に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂として創建され、
1948年(昭和23年)より「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」を設置し、
東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1951年(昭和26年)に現在の姿となった。」

東京都慰霊堂
 (ウイキペディアより)

「1945年3月10日に日付が変わった直後の0時7分、爆撃が開始された。
325機の出撃機のうち279機が第一目標である東京市街地への爆撃に成功し、0時7分に深川地区へ
初弾が投下されたのを皮切りに、城東地区にも爆撃が開始された。
0時20分には浅草地区や芝地区(現・港区)に対する爆撃も開始された。
一部では爆撃と並行して機銃掃射も行われた。爆撃による火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、
秒速100m以上という竜巻並みの暴風が吹き荒れ、さながら火山の大噴火を彷彿とさせた。

午前2時37分にはアメリカ軍機の退去により空襲警報は解除されたが、想像を絶する大規模な火災は
消火作業も満足に行われなかったため10日の夜まで続いた。」

先日、スカイツリーから浅草あたりの散策では、近くを通っていたのでした。また、
以前ランチの会で、横網町公園を通ったときにこの記念堂にお参りしたのでした。


明後日11日は、まだ真新しい記憶にあります。
14:46 巨大地震と巨大津波、そして福島原発の爆発・・あまりにも巨大且つ広範囲なその被害は、
2年経った今でも鋭い爪痕を残したままです。

「2013年(平成25年)2月27日時点で、震災による死者・行方不明者は18,574人、建築物の全壊・半壊は合わせて39万7,976戸、ピーク時の避難者は40万人以上、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上に上っている。」とある。
現在(3/8)の避難者も31万人に上るとみられている。
4万7000人を超える人達が被災3県から移住した。

気仙沼で・・2013.3.8
   (ネット 47NEWSより)


「宮城は瓦礫発生量1103万トンのうち51%、岩手は366万トンの39%、福島は160万トンの31%を処理した。
震災がれきも、いよいよアメリカ西海岸漂着の時期に入り、実際に流れ着く瓦礫が150万トンを超えると
予想されている。


福島原発1~3号機原子炉建屋からの放射線放出量は事故時の約8000万分の1になっているが、
1~3号機は放射線量が高く、作業員が近づけない状態が続いている。 
増え続ける汚染水の処理が課題となっており、貯蔵量は現時点で26万トン。飽和量の約32万トンに迫っている状態」


ほとんどの被災者が生活再建のめどがたたず、今も仮設住宅での生活を余儀なくされている。
岩手、宮城、福島3県の仮設住宅に住む被災者は未だ計約11万人に上るという。 

インフラ、職、生活基盤が出来ないため、被災地に帰りたくても帰れない。 
また、福島では放射線の影響から戻ることができない。 線量が少なく居住可能地域でも、
子供にとって有害であればやはり戻る決心がつかない。 
ローンを抱えて、慣れない土地で仮住まい・・あぁ、未だ見通しの立たない不安な状態のまま暮らす人々が大勢いるのだ。


あれから2年という歳月が過ぎたが、それは復興にはあまりにも短い時間だというのだ。 
これほど科学が進歩している今日でも、自然の前では非力そのものである。 
科学の進歩なんて、ホンの一面にしか過ぎない・・。














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スカイツリーと浅草界隈  (bon)

2013-03-08 | 日々雑感、散策、旅行
既に話題の外にあるテーマですが・・いまさら何を・・?

 昨日3月7日、お昼の気候は早や4月の陽気だとか・・コートなしでも歩いていると暑いくらいでした。


来年の話です。 
我が高校の同窓会をやる。 

第2日目の行動は、東京スカイツリーを見て、浅草界隈で食事~そんな絵を描きながら、
先ずはスカイツリーの予約の仕方やバス移動時の駐車場確保はどのようにすればよいか? 
食事はどこで何を用意するか? 例えば50人も一度に食事できるところはどこか?

そんな楽しい計画を描きながら、3人は歩き回ったのでした。

スカイツリーは、昨年5月オープンから1年近く経ち、平日でもありさすがに、ごった返しているという感じ
ではありませんでしたが、それでも木曜日だというのに、スカイツリーのチケット(一般)を購入するのに、
70分待ちという状況でした。 ソラマチの中はやはり人が多かったですね。

 団体予約はどうすればよいか? 半年前にFAXのみの受付だとか・・
バス駐車場から歩く必要のない、タワーのすぐ下に駐車場があり、そこから団体搭乗入口まですぐ近い。

なるほど、団体観光客向けにうまく設計されている。
混雑の予想からこの便利な駐車場はしかし、駐車可能時間が2時間と制限されている。


 あまりに近すぎると、その高さを感じることができないが、土台近くの威容、その大きさなど“やはりすごい”の一言です。

    近くの川に映った逆さツリー
           


東武電車で、隅田川を渡り浅草へ・・。時刻はお昼を少し回っていて、人出はかなり多くなっていました。

 浅草寺を中心に、この界隈でお昼をする場所・・、そして駐車場のことなどを調査しました。
観光案内所では資料などをもらって検討しましたが、我々の望む“軽い食事”、“団体で利用”、
“バス乗降に便利”の条件を満たすところはなかなか見つかりませんでした。
あらかじめネット検索で調べた所にも、電話で場所を聞きながら下見・・。

結局、このネット検索のところに最も条件に合致しているところがありました。
日時・人数が決まれば早めに予約するといい~。

 そこは、二天門からすぐのところにあり、当日と同じように浅草寺へ歩き始めました・・。

集合場所なども分かり易い。 
ここで一時解散して、仲見世、雷門など自由行動も可能だな~。 

そう確認して、私たちは、いつもあまり行かない方面(浅草神社、映画記念碑、花やしき方面)に足を運びました。


浅草神社(三社祭の中心的・・)


きれいに修復された浅草寺
    五重塔から~ 


記念碑など
      


その昔の映画街は、それらしい姿は既になく新しいビルがオープンしていたり、人通りもまばらでした。

花やしき通り~




早や、柳は芽を吹いていましたし、紅梅、白梅も満開時を迎えていました。 
先に、ブログ紹介ありました、吉原跡の遊女の塔の方は、さらに遠いので行きませんでしたが・・
今年初めての春の暖かい太陽を背に受けた散策を楽しんだのでした。






東京スカイツリーからの富士山   mak





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ツマグロヒョウモン  (bon)

2013-03-06 | 日々雑感、散策、旅行
先の「山スミレ」のコメントに刺激を受けて、このツマグロヒョウモンなる蝶を拝見してみたくなりました。


早速、ウイキペディアから引用しますと、

「ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋、Argyreus hyperbius)は、チョウ目(鱗翅目)タテハチョウ科
ドクチョウ亜科ヒョウモンチョウ族に分類されるチョウの一種。
雌の前翅先端部が黒色で、斜めの白帯を持つのが特徴である。」 とありました。


 何やら難しそうなので、先ず写真を見てみましょう。
オスの写真
(ウイキペディアから)

広げているところ
(ネットより)


写真で見ると、あぁ、“タテハチョウ”の種類だ~とすぐにわかりました。

 昔、中学生ぐらいの頃に、京都鞍馬・・あの鞍馬の先に花背峠というところがありますが、
そこに、昆虫採集に行ったことがあり、当時瞬間的に興味を持っていたような感じで、
この“タテハチョウ”・・名前はたしか“シータテハ”(C-タテハ)。
羽の下あたりに“C”に似た文字がくっきりとあり、これが“L”に見えた・・ということで
大騒ぎをした覚えがあります。

なんでも、“L”であれば、“エルタテハ”で、希少・珍種だというので・・これではないかと・・。 
結果は、よくある“C”の方でした。 
しかし、この騒ぎで「日本鱗翅学会」なる組織があるということを知りました。


本題に戻ります。
メスの写真
(ネットより)


生態として
「日本では南西諸島、九州、四国、本州南西部で見られる。本州では1980年代まで近畿地方以西でしか
見られなかったが、徐々に生息域が北上し1990年代以降には東海地方から関東地方南部、富山県・新潟県の
平野部で観察されるようになった。2002年には関東地方北部でも目撃報告がある。
2006年現在、関東地方北部でもほぼ定着し、普通種になりつつある。」 

というから、先のコメントにあるように温暖化による北上なんでしょうね。


それで、コメントでは、この幼虫はグロテスクだから、“ブログアップは禁止です”とありましたが、
そういわれるとかえって見たくなり・・
そうなると、この記事を見た方も「見たくなる~」でしょうから、思い切って少し小さめにしてアップしました。
幼虫です。
(ネットから)


「幼虫は各種スミレ類を食草とし、野生のスミレ類のみならず、プランターや花壇などで園芸種の
パンジーやビオラなども食べる。満腹になると地表に降りて他の餌を求めて移動するため、
花壇に植えた株が次々と食べられてしまうこともある。
終齢で体長30mm程度、黒色の体の背に一本の赤い筋が縦に通る。体には分岐する棘状の突起が各節に6本ずつある。
突起は体の前半部では黒く、後半部のものは根元が赤く先が黒い。かなりとげとげしい毛虫である。
派手な体色は毒虫を思わせるが、突起で刺すこともなければ毒も持たない。」

なるほど・・。ここでやっと、スミレとの関連が出てくるのでしたね。


ついでに、蛹(さなぎ)は尾でぶら下がるので、背面に金属めいた銀色の棘状突起が並び、
それがキラキラときれいに光るのですね。
(ネットより)


私が時おり参加している“ランチの会”のメンバに、昆虫採集のプロのような人がいますが、
この珍しくもない?“蝶”によって、このような記事まで書く・・と驚かれるかもしれませんね。




古いところから~



Butterfly Garden Cameron Highland,Malaysia (mak)


蝶にまつわる、中国の歌曲



天国の青い蝶: 余命数カ月と宣告された少年の最後の願いは、世界で最も美しい蝶“ブルーモルフォ”を見ることだった。彼の切ない願いを叶えるため、少年の母親と国際的な昆虫学者は、彼と共にブルーモルフォが生息する南米のジャングルへと出発する。

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山スミレ   (bon)

2013-03-03 | 花鳥風月
 友人の庭に、この春(今頃まだ寒さが残っているが・・)“山スミレ”が一面のグランドカバーとなり
きれいなムラサキ色に染まっているという。

 10年も前にある人からもらったというその“山スミレ”が、どんどん増えて
今ではこのような一面ムラサキ色の絨毯を呈しているという。


山スミレ・・聞きなれない名前なので、早速調べてみたところ、
なんと“スミレ科スミレ属”にはたくさんの種類のスミレがあって、
そして沖縄とかなんとか地域の名前が添えられた名前もかなりあって、
肝心の“山スミレ”は見当たらない。

代表的な“スミレ”



アカネスミレ

 

おそらく、古くから山に自生したスミレのことかもしれない。
山などに行くと“タチツボスミレ”などをよく見かける。
これは普通どこにでもあるスミレですが、色は淡紫色が多い。

 で、友人は、この庭一面のスミレの紫を眺めて、
このムラサキを“江戸紫”というのだろうか・・?  思いはぐっと広がって行く。 

このような問を受けたりすると、にわかに“そういえば、江戸紫とはどんなムラサキのこと?”と、
自信がなくなってきた。

ウイキペディアのお世話になり、
江戸紫とは、「色名の一つ。JISの色彩規格では「こい青みの紫」としている。一般にも青みがかった紫色をいう。
江戸時代、武蔵野に自生するムラサキ科ムラサキソウを使って江戸で染めたことから、この名がついた。
赤みが強い京紫に対して、青みの強いのが特徴。また、古代紫に対して今いま紫とも呼ばれ、
くすんだ古代紫よりも鮮やか。
歌舞伎の人気演目『助六由縁江戸桜すけろくゆかりのえどざくら』で、主人公の助六が巻く鉢巻きの色が
代表的な江戸紫として知られる。 」  なるほど・・・。


江戸紫に対して、“京紫”が出てきました。 ついでに調べてみると、
きょうむらさき(京紫)とは、
「色名の一つ。やや赤みの強い紫。江戸時代、新興都市であった江戸の紫に対し、伝統的な京の紫を
区別した色名。ややくすんだ古代紫の系統と考えられているが、江戸紫より赤みがかっており、
あでやかな色合いである。2010年(平成22)、京福電気鉄道(本社・京都市)の「嵐電らんでん」が
開業100周年を記念して車両の色を京紫に塗り替え話題になった。 」とありました。  

う~ん。 そうなのか・・!


ついでに、ムラサキ科ムラサキソウ なるものを調べてみた。


なんだ、ちっとも紫色ではなく、むしろ白っぽいいろではないか・・!
早とちりしてしまいましたが、実は、この“根っこ”に秘密がありました。

この根を「紫根(しこん)」と呼び、根の色素が紫色の染料や薬用となるのだそうです。


紫根染め



つまり、その昔、武蔵野地方でこの“紫草の根”で染めた色を“江戸紫”という少し青みが掛った紫いろをいうのですね。 
ちょっと赤味が勝ったのは“京紫”。


後で送っていただいた友人宅のスミレ・・これが一面に~






すみれ色の涙




スミレの花咲く頃









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シェールガス革命で世界が激変する        (mak)

2013-03-01 | 原発

 福島第一原発事故の後、脱原発が大きな国民的論議となり、大半の国民は脱原発を求めていた。しかし夏が過ぎ、12月の衆議院選挙では「脱原発」は大きな争点とならず、原発を推進してきた自民党が圧勝。安倍総理も「原発稼働ゼロ」を「ゼロベースで見直す」とはっきり表明しました。
 

 日本の将来を左右するともいえるエネルギー政策について、政治家は語らずメディアも取り上げず、国民も無関心です。こんなことでよいのであろうか? そうです、そんな問題は答えが出ているのです。

 世界で急速に進むシェールガス革命が世界のエネルギー問題を解決してしまったと、行っても過言でないくらい、あたらしエネルギーの世界が開かれようとしております。産業革命の再来です。

 ネットで調べてみたら、シェールガスが米国では実用段階に入り、エネルギー最大の輸入国から輸出国へ変わります。所有する100基の原発も次々と廃炉されるのが既成事実となりつつあるのです。米国において、競争力を失っていたエネルギー多消費産業の鉄鋼業、化学工業などが燃料コストの激減で復活し、 既に新設投資が進んでいるのです。


 世界でエネルギー秩序は大きく変わろうとしているのに、今でも原発再稼働問題で揺れている日本。プーチンが、売り先がなくなる天然ガスを日本へ売り込もうと、領土問題に絡めてやんわりと日本に近づいていることに気付かぬ日本。

 国会でも、シェール革命を、経済再生の最大の課題として議論する気配もない。
あまりにも、世間知らずの世界音痴の政治家と言えないでしょうか。 

しかし、ご安心ください。米国のシェールガス革命を支えているのは、日本の技術なのです。関連の日本の企業、商社等 民間セクターはたくましく積極的に動いているのです。
下記の参考資料を読めば、日本経済の将来も大きく恩恵を蒙ることが分かります。 

 


参考資料: 東洋経済 1) シェールガス革命で世界は激変する(1) 泉谷渉 
               2)シェールガス革命で世界は激変する(2)  長谷川慶太郎

                              3)シェールガスの対日輸出で米国は前向き

               4)シェール大増産で失業率が0%になった町

      日経ビジネス 5)日本はシェールガス革命の恩恵を受けることが出来ない 

                6)シェールガス革命がもたらす米国関連業界への影響

                7)米シェールガス革命 欧州にエネルギー戦略の転換迫る 
        
   Diamond On Line 8)シェールガス革命で激変するエネルギー調達戦略
                  
   News week     9)中国も追うシェールガスの野望

                 


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