蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

冬至 ‘22  (bon)

2022-12-22 | 日々雑感、散策、旅行

 今日(12/22)は、二十四節気の「冬至」です。 今年もカレンダーはこの1枚
だけとなり、昔の人のイメージが刷り込まれているのか、特段の変化はなくとも
何となく気ぜわしい感じがするのですが、現実はどうってことないのにです。

 ここに来て急に寒くなり、文字通り「冬至る」がぴったりの毎日となりましたが、
この日(冬至)は、一年の中で昼が最も短かく、夜が最も長い日で、太陽の力が
最も弱くなる(北半球では)日で、この日を境に再び太陽の力が蘇ってくるのです。

          (ネット画像より)

 紀元前3500年のメソポタミア文明では、太陽の力が最も落ちる冬至の時期が一年
の始まりとされ(この日を境に太陽が成長する)冬至前後の12日間は、新年の祭り
が開催されていたそうです。古代中国でも、冬至は暦を決める上での起点となる
重要な節気であり、紀元前1046~256年の周代には中東文明と同じく冬至が一年の
始まりとされ、お祭りが行われていたそうです。

 また、古代ローマでも、冬至祭があったそうです。 農耕の神を祀り、闇を追い
払うための祭として、人々は仮装したり晩餐会を開いたり、友人とプレゼント交換
をしたとあり、キリスト教と混淆して後のクリスマスの習慣の素になったとも言
われているそうです。 

 ヨーロッパ北部、特に北欧では、ケルト人やゲルマン人による冬至祭が行われ
ていました。暗くて寒い冬至の時期は、悪霊の力が強まると考えられていましたが、
冬至を境に太陽のパワーが復活するとされ、冬至祭はそのことを祝福する宴であっ
たのでした。この祭は「ユール」と呼ばれ、「ユールログ」と呼ばれる大きな木
の幹(巨大な薪)を燃やす火を囲んで、ご馳走を食べ、お酒を飲んでお祝いした
そうです。

         ユールログ
         (ネット画像より)

 日本でも、この日、ゆず風呂に入る、朝に小豆粥を食べる、かぼちゃの煮物を
食べるなどの風習がありますね。 ゆず風呂は、江戸時代の銭湯から広まったと
ありますが、私は先日から2度ゆず湯にしました。

 

 二十四節気に戻りますが、冬至は太陽が黄経270度の位置にあるにもかかわらず、
二十四節気の始まり(円の頂点=12時のところ)の位置に書かれていて、黄経0度
の春分は、時計の9時の位置となっています。 旧暦の1月、つまり立春(二十四
節気の1番)は10時半の位置にあります。太陽が最も弱くなり、この日から太陽が
成長して行く冬至を暦の起点とされていたのです。そして、太陽の周りを地球が
公転する方向に、二十四節気の図が左回りとなっているのですね。(拙ブログ、
2016.12.21、2018.12.21の記事を参照しました。)

          二十四節気
         (ネット画像より)

 冬至を含む月を11月(旧暦)と定められていて、およそ19年に一度、11月1日が
冬至に当たり、この日を「朔旦冬至」と呼んで、昔は盛大なお祭りが行われたそ
うです。 旧歴では、月の満ち欠けで月を決めているため、一月は29.〇〇日とな
り、このまま月数を重ねて行くと季節とのずれが大きくなりますから、3年に一度
「閏月」を設けていますね。

 で、新・旧の日にちが合うところを計算する、つまり冬至が11月1日に当たる日
を計算すると、

  旧暦: 12(月)×19(年)+7(月)=235(月)     
       29.530589(日/月)×235(月)=6939.688(日)

  新暦:   365,24219(日)×19(年)=6939.602(日)

で、19年で7回の閏月を設定して、季節との調和を取り、朔旦冬至が廻ってくるの
ですね。

 直近の朔旦冬至は、2014.12.22でしたので、次回の朔旦冬至は2033年となります。
私には、もうこの日を迎えることは無理でしょうね。

            (ネット画像より)

 

 

文部省唱歌 冬の夜

 

 

 

コメント
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