府中本町に天台宗古刹「悲願山善明寺」はある。創建(伝)は不詳であるが、元暦2(1185)年に源義経の平家討滅戦に従事していた怪力無双の坂東武者畠山重忠(1164~1205)が故郷の武蔵に帰国したところ、恋仲だった遊女夙妻太夫が彼の戦死のデマを信じて自殺してしまっていた事を知り、彼女の菩提を弔うため現宮西町に建立。六所宮の別当寺だった天台宗「叡光山安養寺」の末寺で一時は大伽藍を持つ大寺院であったといわれている。本尊は阿弥陀如来坐像。「山門」を抜けると境内はよく手入れされた庭園と「金仏殿」、「本堂」がある。当時には我が国国最古最大の国指定重要文化財となっている国分寺黒鉄谷戸作の「刀鍛冶」、藤原助近作の「大鉄仏阿弥陀如来坐像」及びその胎内仏とされる「小鉄仏阿弥陀如来立像」が寺宝となっている。また墓地(墓所)には天台准后に拝謁した「依田伊織」や勤王の志士「西園寺実満」が眠っている。(1512)
千葉県市川市中山に日蓮宗大本山の寺院「正中山法華経寺」(中山法華経寺とも呼ぶ)はある。鎌倉時代の文応元年(1260年)創立。日蓮宗では「正中山法華経寺」の「大荒行堂」と塔頭で四院家の一つ「遠寿院」の「荒行堂」(遠寿院流祈祷の根本道場)の二つで百日荒行が行われる。一時期日蓮宗公認の行堂であったが、現在は「根本御祈祷系授的伝加行所」と名乗り、水の行者・永村日鵬を輩出している。約四百年の伝統と歴史を有する、日本仏教界でも特異な寺院である。ここを満行した僧は伝師から秘法を受け宗務総長より修法師として任命されるという。山内寺院(塔頭)が建つ参道の一角にある「遠寿院」へは荒行堂へ入る唯一の門とされる「瑞門」を抜けると正面に「荒行堂」があり1年のうちに開かれるのは入行と出行のときの二度だけという。荒行堂の右に信者への法楽加持など、祈祷に関する一切のことが執り行われる「鬼子母神堂(表堂)」がある。他の伽藍には「庫裡」、江戸時代に将軍家から寄進された「水盤」、「行僧面会所」、「読経三昧堂」がある。境内には僧、信者の読経の声が響きわたり、厳粛さが伝わってくる。(1512)