国分寺市西元町の医王山国分寺の観音堂の横に「本村八幡神社」はある。創設(伝)は元和年間(1615~1625)。祭神は応神天皇。国分寺村に神社がなかったことから本多氏の屋敷神の八幡宮を国分寺の敷地を借りて遷し国分寺村の鎮守とした。緑豊かな森のような地に佇む朱色屋根をした「社殿」は享保5年(1720)に建立された。境内には{「忠魂碑」や「慰霊碑」、「土師竪穴住居跡」がある。境内社として祓戸神社、榛名神社がある。当社の例大祭はすごく大大鼓、神輿、それに彫物が見事な山車が巡幸する。今はその賑やかさはなくひっそりとした神域となっていた。(1512)
東京国分寺市に真言宗豊山派、武蔵国国分寺の後継寺院「医王山国分寺」はある。日本最大の寺院であった武蔵国分寺は奈良時代(8世紀頃)に聖武天皇の詔により全国の60余ヶ国に国営寺院を配置するよう命じられ建てられた「国分寺」、その一寺「武蔵国国分寺」の後継寺院にあたる。武蔵国では武蔵国府(府中市)から北へ2kmの国分寺市が選ばれた。創建は本堂が1733年に建立、それ以前と推定される。本尊は薬師瑠璃光如来/十二神将。現在の「本堂」は昭和62年に改築されたものである。境内には「薬師堂」と「仁王門」(新田義貞建立)、「文化財保存会館」や「万葉植物園」(万葉集より当時の歌人たちが題材にした160種の植物)がある。境内前には風格ある江戸時代建築様式の「楼門」(板金葺、東久留米から移築 )が堂々と構えられている。また近くには奈良時代武蔵国の政治・文化の中心として栄えた武蔵国分寺跡(国史跡)の「金堂、講堂、中門、七重塔」、武蔵国分寺尼寺跡が残されている。(1512)