暑さ寒さも彼岸までの言葉通り今日は午前中からしとしとと秋雨が降り肌寒い気温となった。座間市緑ヶ丘の「かにが沢公園」にも秋の訪れを告げる花「曼珠沙華」(彼岸花)が見頃を迎え9/23に開催される「第5回 曼珠沙華 観賞の集い 2018」にむけスタンバイオッケーである。公園西側の約350㎡の斜面に赤・白・ピンク三色の曼珠沙華12万個がグラデーションを描き競演しているかのような美しさである。当日は曼珠沙華の鑑賞は勿論、曼珠沙華撮影会、野点茶会、俳句・短歌の吟行、琴演奏が行われる。曼珠沙華は「天界の花」・「天上の花」で曼珠沙華が「赤い」というサンスクリットの意味。この花は俳句によく読まれる。正岡子規は「かたかたは花そば白し曼珠沙花」、飯島晴子は「咲き縺れあふ曼珠沙華世阿弥の地」、右城暮石は「天上へ赤消え去りし曼珠沙華」、山口誓子は「つきぬけて天上の紺 曼珠沙華」、中村汀女は「曼珠沙華まんじゅしゃげ 抱くほどとれど母恋し 父若く 我いとけなく曼珠沙華」と。(1809)
麻生区上麻生に社号が全国でも稀な「月讀神社」はある。天文3年(1534)に武蔵國都築郡麻生郷の領主「小島佐渡守」が応仁戦乱の苦悩にあえぐ領民のため五穀豊穣を祈願し月讀宮の分霊を勧請して創建。以前(大正5年)に熊野、日枝、白山神社を合祀し「麻生神社」としたが、後(昭和8年)に再び「月讀神社」とした。主祭神は神月夜見尊(闇に光を届け人々を導く神様で1尺1寸8分の尊像)。配祀神は大日霊真尊、白山媛命、猿田彦命。小田急線柿生より麻生不動入口奥の丘陵に鎮座している。一帯は林の木々と竹林に覆われている。「鳥居」を抜けると参道右側には柿の木がたわわに実をつけている。急こう配の石段を上ると正面に宝永5年の富士山の噴火、天保3年の大飢饉等に二度に亙り再建された鉄筋コンクリート神明造の「社殿」がある。左右に鳥居があり左に「社務所」、手前に「手水舎」がある。境内は静寂そのもので木々、竹林の美しさ清々しき神域を創り出している。(1809)
神奈川県川崎市麻生区王禅寺東に武州・柿生琴平社、柿生の琴平さんで親しまれ篤く信仰されているている「琴平神社」はある。創建(伝)は古く元亀元年(1570)以前。古文書には正徳元年(1711)以前から伊勢山の地に神明社が鎮座していた事や、崇源院(徳川秀忠の正室)の祈祷所として、当村鎮守大神宮を勧請、祀ったことが興りのようである。祭神は天照大御神、大物主神。当社の名は香川の讃岐金刀比羅宮がある場所の琴平町に由来する。境内背後に緑豊かな森に抱かれ前方に一際眼を惹く鮮やかな朱色の高さ13mの「大鳥居」が聳える。王禅寺村の名主であった志村文之丞が文政9年(1826)に讃岐の金刀比羅宮の分霊を勧請し神明社と合祀。合社相殿の宮であることから右側に「天照大御神」、左側に「琴平大神」が祀られている。「本殿」は道を隔てて丘の上に建っている。境内には「儀式殿」、「参集殿」、「社務所」、手水舎を担った山伏姿の石像「がまんさん」、また「弁財天社」、「稲荷社」があり、庭園も四季の花や樹木が配され地元の人の憩いの場となっている。(1809)