柿生の地名のルーツ(興り)となったといわれている「禅寺丸柿」は鎌倉時代前期(建保2年-1214)に「王禅寺」の山中で発見された日本最初の甘柿とされ今も「王禅寺」本堂前の庭に「禅寺丸柿の原木」(樹齢450年-ひこばえ)が保存され元気に毎年実をつけている。この原木は国登録記念物、かながわの名木100選に指定されている。禅寺丸柿の原木のある「王禅寺」は徳川家の領地(天領)であり、当時柿の名がなかった為、家康は土地の名前を採り王禅寺丸柿と名付けたと言われている。慶安の頃(1650年前後)の江戸市場では禅寺丸柿は「柿の王様」であった。収穫後の出荷が大変な重労働であったが地域の収入源でもあったので手車に柿籠を乗せ江戸へ運んだという。禅寺丸柿は明治天皇にも献上され、昭和2年に開通した小田急線で出荷・輸送も拡大した。毎年10月には柿生駅で「禅寺丸柿まつり」が開催される。(1809)
川崎市麻生区に「関東の高野山」と称されている真言宗豊山派の寺院「星宿山王禅寺」(蓮華蔵院)はある。この寺名はこの付近一帯の地名にもなっている。寺紋は三つ葉葵。創建(伝)は天平宝字元年(757)、1250年を超える寺歴を誇る古社である。孝謙天皇の勅命によって某大徳が聖観音像を当地に祀ったことが興りで、横浜市金沢区の称名寺の末寺として禅・律・真言の三宗兼学の道場として栄えた。本尊は聖観世音菩薩。里山の自然が残る「王禅寺ふるさと公園」脇より「正門」を抜けた右側に重厚な構えをした「仁王門」(山門)が建っている。石段を上り「仁王門」の正面に寺門、石段を上ると樹木に覆われ静かな佇まいを感じさせる「観音堂」、右に進むと威風堂々とした入り母屋造りの「本堂」、その脇に「庫裡」がある。庫裡の前には「禅寺丸像」、手入れされた寺庭には「薬師如来堂」、「六地蔵」に数々の「石碑」、小さな池が配されている。「本堂」前には日本最古の甘柿の品種で「かながわの名木100選」にも選ばれ、「柿生」の地名となった「禅寺丸柿」の原木がある。原木には柿色に熟した実がたわわになってまさしく秋を感じさせる。当寺は「王禅寺に憩う」を執筆している北原白秋をはじめ、多くの文人が訪れている名刹である。当寺は旧小机領三十三観音霊場22番札所であり、お隣には「王禅寺ふるさと公園」があり、寺域は緑に覆われ「関東の高野山」と呼ばれただけの格式の高さが随所に感じられる。(1809)
川崎市麻生区下麻生に「木賊不動」と呼ばれている真言宗豊山派寺院「明王山麻生不動院」(明王不動院盤若坊)はある。木賊不動と呼ばれるのは昔この地が木賊の生い茂る地であった、村人が木賊ガ原で草刈の時に発見した不動像を祀ったからともいわれている。応永年間(1394〜1427)に足利公方の庇護を受け堂舎を建て本尊「不動明王」を安置し祀ったのが興りである。小田急線柿生駅から王禅寺へ進む途中の「麻生不動入口」右奥に高台に「山門」が構えられている。境内正面に昭和43年(1968)再建の入り母屋造の「本堂」、その右に「庫裏」がある。不動尊は昔から「火伏せの不動」として火難から人を守る不動として信仰されてきた。毎年1月28日は初不動の縁日で境内から周辺にはダルマ市が立ちならび、大勢の参拝者で大賑わいとなる「関東納めのダルマ市」は「ふるさと麻生八景」にも選ばれている。(1809)