相模太夫の旅録=Tabi Log

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坂東33観音霊場5番札所の「飯泉山勝福寺」の威容!!

2020-01-26 10:34:44 | 寺院
小田原市飯泉に小田原城の鬼門鎮守の道場として崇められ「飯泉観音」として知られる京都東寺派真言宗寺院の名刹「飯泉山勝福寺」はある。創建は天平勝宝5年(753)。本尊は十一面観世音菩薩で当寺は坂東三十三箇所第5番札所である。寺伝では奈良時代孝謙上皇の信頼を得たが上皇の没後下野国薬師寺に左遷された「道鏡」が下野国へ赴く途中流され下野に赴く時、相模国足柄下郡千代村に堂宇(千葉山弓削寺の東院堂)を建立、孝謙天皇より賜った唐国伝来の「観音像」を安置したのが始まりである。当時は金堂、講堂、東院(観音堂)、東培、西塔、南大門などが千代の里に宏壮な伽藍の構えを誇っていたが、平安時代天長7年(830)に現在地に移転し現在の勝福寺と号し後北条氏の帰依を得た。五百羅漢駅より国道255線「酒匂川」に架かる飯泉橋を渡った東方に鎮座している。国府津の親木橋から当寺までの道路は巡礼街道と呼ばれている起点に八脚門としては県下でも最大級で格式の高い門、仁王尊を祀る「仁王門」(宝暦8年=1758に造営)が構えられている。その正面に宝永3年(1706)に再建の宝形造り「観音堂(本堂)」がある。密教系寺院独特の構えで内陣・外陣の板の間、江戸時代初期の様式を残している。龍頭の手水鉢、室町期手法の梵鐘、弥勒院の山門であった四脚門で境をなす庫裡が建つ。また観音堂の左手に「馬頭観世音堂」「大日堂」、右手に中門があり寺務所・納経所、その他には「納経塔」、「地蔵坐像」、「弘法大師像」が建ち並ぶ。また境内のいたるところに大イチョウ、ケヤキ、クスノキ、ムクノキ、カヤなど巨木、古木群叢として特色ある社寺林としてを形成している。また逸話・伝説として曽我兄弟があだ討ち祈願の際日参して力を授かったことや、講談で有名な雷電為右衛門が田舎相撲の大岩大五郎を倒したとされる土俵跡、二宮尊徳が旅僧から観音経を聞き一念発起したに纏わる伝説が残っている。ご詠歌「かなわねば たすけたまえと 祈る身の 船に宝を つむはいいずみ」。(2001)
 
 
 
 
 
 
 
 
 






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