府中市街地の中心部、緑の杜に囲まれた嘗ての武蔵国の国府跡に鎮座する武蔵国総社、約1900年の歴史をもつと伝えられている古社「大国魂神社」はある。別名は六所宮である。創建(伝)は景行天皇41年(111)、祭神は大国魂大神である。境内には三間社流造銅板葺の「本殿」に「拝殿」、「神楽殿」、「宝物殿」、「中雀門」、「回廊」、「手水舎」、「鼓楼」、「随神門」、「忠魂碑」、「日露戦没記念碑」、「相撲場」と、本殿両脇には国内著名の神、「六所」(小野大神、小河 大神、秩父大神、杉山大神、金佐奈大神)を奉祀している。目を惹く数々の文化財が存在しその一つ一つについて由縁とか歴史とか主旨を紐解いてみなければならない。先日12月23日は「天皇誕生祭」が催された。また4月から5月にかけて催される例大祭「くらやみ祭り」は大勢の人で賑わう。(1512)
江東区富岡に富岡八幡宮の別当で高野山真言宗寺院「大榮山永代寺」(金剛神院)はある。創建は寛永元年(1624)、本尊は大聖歓喜天である。長盛の開山により永代島に創建、江戸時代には富岡八幡宮の別当としてまた「江戸六地蔵」の一寺として栄え、深川一帯でも指折りの大寺院であったが、明治期の神仏分離により廃寺となる。深川不動尊の門前(仲見世)に位置し「本堂」と「地蔵堂」がある。当寺は御府内八十八箇所第68番札所でもある。(1512)
府中市本町に真言宗の名刹「本覚山妙光院」(寺号は真如寺)はある。創建(開山)は貞観元年(859)。本尊は延命地蔵菩薩像。「仁和寺」(京都)の門末で江戸時代には28の末寺を擁する真言宗道場であった。八王子城主「北条氏照」から送られた2通の礼状や「徳川家康」や「家光」から賜ったという寺宝もあり、江戸幕府より寺領15石の御朱印状を拝領しており時の有力者の信仰篤い寺であったことが窺える。大国魂神社前の通りを東京競馬場方向に下った左側に位置し「門柱」、「山門」を抜けるとその正面に「本堂」、北側には境外仏堂の「金比羅堂」がある。「金銅蓮華形磬」は都の重宝に指定されている。当寺は多摩八十八ヶ所霊場23番札所でもある。(1512)
国分寺市西元町の医王山国分寺の観音堂の横に「本村八幡神社」はある。創設(伝)は元和年間(1615~1625)。祭神は応神天皇。国分寺村に神社がなかったことから本多氏の屋敷神の八幡宮を国分寺の敷地を借りて遷し国分寺村の鎮守とした。緑豊かな森のような地に佇む朱色屋根をした「社殿」は享保5年(1720)に建立された。境内には{「忠魂碑」や「慰霊碑」、「土師竪穴住居跡」がある。境内社として祓戸神社、榛名神社がある。当社の例大祭はすごく大大鼓、神輿、それに彫物が見事な山車が巡幸する。今はその賑やかさはなくひっそりとした神域となっていた。(1512)
東京国分寺市に真言宗豊山派、武蔵国国分寺の後継寺院「医王山国分寺」はある。日本最大の寺院であった武蔵国分寺は奈良時代(8世紀頃)に聖武天皇の詔により全国の60余ヶ国に国営寺院を配置するよう命じられ建てられた「国分寺」、その一寺「武蔵国国分寺」の後継寺院にあたる。武蔵国では武蔵国府(府中市)から北へ2kmの国分寺市が選ばれた。創建は本堂が1733年に建立、それ以前と推定される。本尊は薬師瑠璃光如来/十二神将。現在の「本堂」は昭和62年に改築されたものである。境内には「薬師堂」と「仁王門」(新田義貞建立)、「文化財保存会館」や「万葉植物園」(万葉集より当時の歌人たちが題材にした160種の植物)がある。境内前には風格ある江戸時代建築様式の「楼門」(板金葺、東久留米から移築 )が堂々と構えられている。また近くには奈良時代武蔵国の政治・文化の中心として栄えた武蔵国分寺跡(国史跡)の「金堂、講堂、中門、七重塔」、武蔵国分寺尼寺跡が残されている。(1512)