相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

武相卯歳観音霊場四十八ヶ所の一寺「中和山泉龍寺」

2017-12-28 11:15:18 | 寺院
相模原市南区上鶴間本町に曹洞宗総持寺(鶴見)の孫寺寺院「中和山泉龍寺」はある。創建は享禄年間(室町末期)。元は浄土宗「西光庵」であったが日洲と雪天透瑞が曹洞宗に改宗。本尊は釈迦牟尼仏。国道16号線、上鶴間本町のバス停「上鶴間本町高校入口」より北東へ400m進むと板塀に囲まれた所が泉龍寺域である。「山門」を抜けると、左右には阿吽の形相をした仁王像が置かれてる「仁王門」を抜けると正面に「本堂」、右手に鐘楼、左手に昭和61年完成の高さ15mの「三重宝塔」が聳え塔内には十一面観世音菩薩と十二支守本尊仏が安置されている。市内で三重宝塔がある寺院は当寺だけである。三重宝塔の横には「観音堂」、右手に「鐘楼」、右奥の「白山稲荷辨天堂」前に小さな庭と池がある。「延命地蔵」、「六地蔵」、「相模七福神」の像がある当寺は武相卯歳観音霊場四十八ヶ所の17番札所である。(1712)


















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公所(ぐぞ)の鎮守「浅間神社」

2017-12-27 15:24:02 | 神社
大和市下鶴間に公所(ぐぞ)の鎮守「浅間神社」はある。創建年代は不詳であるが一説には源頼朝の創建と伝えられている。昭和50年(1975)国道16号線建設に伴い現在地に移転。文亀神名録に「鶴間神社」と呼ばれていたこと、相模81社の巡拝所の一つとして鶴間郷=相模原/大和/町田の総鎮守と記載がある。貞享元年(1684)再建の棟札が記されているが、現存のものは宝永4年(1707)のものである。この棟札に「富士浅間大菩薩」とあるところから、300年前すでに「浅間神社」と呼ばれていたと。祭神は木花開耶姫命、併祭神は大己貴命、表筒男命。大和市の鶴間という地名には源頼朝が富士裾野の巻狩り帰路に鶴間の地で鶴が舞うのを見て「鶴舞の里」と名づけ、それが転じて「鶴間」という地名になったと伝説がある。国道16号線「つきみの入口」を境川方向に進む坂途中に当社はある。境内地の広さは4384㎡、「鳥居」鳥居を潜ると正面に神明造りの「社殿」、左に社務所がある。境内は緑の樹木に覆われて「子之神社」、「住吉神社」、「弁財天」、「秋葉神社」、「古峯神社」が併祀されている。(1712)










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市内最古の神社「長嶋神社」

2017-12-27 11:48:06 | 神社
相模原市南区上鶴間本町に江戸期には上鶴間村小名中和田の鎮守社で市内最古の神社「長嶋神社」はある。創建年代は定かでないが鎌倉時代頃ではないかかと推定される。近く道正山から康歴年間(1379~81)板碑が発掘、2010年に明暦3年(1657)に書かれた鮮明な「棟札」が発見されたことで裏付けされる。これまでは元禄16年(1688)に再建に関った大工の「墨書」に基づいていた。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命である。国道16号線「中和田交差点」から東の方へ数百m下った坂途にある。もう既に新年の飾り付けがなされている「鳥居」を抜けると境内には正面に茅葺屋根を銅板葺「本殿」、左に「神楽殿」、本殿の右に併祀神社で須佐能男命を祭神とする「八坂神社」、「白瀧弁財天」、「北向庚申塔」、大山不動や地神塔などの「石宮」が祀られている(1712)










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山門で親鸞聖人が見守る「富鶴山本弘寺」

2017-12-26 21:55:59 | 寺院
相模原市並木に浄土真宗東本願寺派寺院「富鶴山本弘寺」はある。ホームページには「親鸞聖人のみ教えを聞法する場の本弘寺」とある。創建は定かでないが、東本願寺報によると本弘寺五十周年記念法要とあるので昭和40年頃の創建かと推察される。本弘寺の別院が秦野市渋沢に在るらしいので一度足を運びたい。本尊は阿弥陀如来。親鸞聖人像が見守る「山門」を抜けると掃き清められよく手入れされた境内のその奥に「本堂」がある。本堂横の小さな藤棚の休み処にて「愚かなる我が身知れよと涙する阿弥陀の大悲の深き尊さ」、「足るを知らざる者は富めりといえど貧し。足るを知る者は貧しいといえど富めり」の教えの真意を自分に問いかけてみる。(1712)






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武相卯歳観音霊場のひとつ「境国山定方寺」

2017-12-26 18:35:22 | 寺院
大和市下鶴間に曹洞宗寺院「境国山定方寺」はある。開創は慶長15年(1610)。開基は竹峰了嬾。現在地には元禄3年(1690)に移転。当初は現在地東側の境川沿いに創建された。跡地は「定方寺公園」となった。江戸時代末期に開いた寺子屋は明治20年(1887)迄続いた。本尊は釈迦如来像。「山門」を抜けると正面に「本堂」がある。本堂前には先の大戦で亡くなった檀信徒を弔う(鎮魂供養)と世界恒久平和を祈念し昭和50年に建てられた「平和観音像」がある。また境内の片隅にはご神体は狐に乗った女神像で疱瘡や吹出物に霊験があり信仰篤い「瘡守稲荷堂」がある。当寺は武相卯歳観音霊場47番札所で本尊は正観世音菩薩。「新編相模国風土記稿」には「境國山ト号ス 曹洞宗 武州都筑郡奈良村 松岳院末 中興開山竹峯ト云フ 三尊弥陀ヲ置ク」とある。(1712)










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