大和市下鶴間に公所(ぐぞ)の鎮守「浅間神社」はある。創建年代は不詳であるが一説には源頼朝の創建と伝えられている。昭和50年(1975)国道16号線建設に伴い現在地に移転。文亀神名録に「鶴間神社」と呼ばれていたこと、相模81社の巡拝所の一つとして鶴間郷=相模原/大和/町田の総鎮守と記載がある。貞享元年(1684)再建の棟札が記されているが、現存のものは宝永4年(1707)のものである。この棟札に「富士浅間大菩薩」とあるところから、300年前すでに「浅間神社」と呼ばれていたと。祭神は木花開耶姫命、併祭神は大己貴命、表筒男命。大和市の鶴間という地名には源頼朝が富士裾野の巻狩り帰路に鶴間の地で鶴が舞うのを見て「鶴舞の里」と名づけ、それが転じて「鶴間」という地名になったと伝説がある。国道16号線「つきみの入口」を境川方向に進む坂途中に当社はある。境内地の広さは4384㎡、「鳥居」鳥居を潜ると正面に神明造りの「社殿」、左に社務所がある。境内は緑の樹木に覆われて「子之神社」、「住吉神社」、「弁財天」、「秋葉神社」、「古峯神社」が併祀されている。(1712)
相模原市南区上鶴間本町に江戸期には上鶴間村小名中和田の鎮守社で市内最古の神社「長嶋神社」はある。創建年代は定かでないが鎌倉時代頃ではないかかと推定される。近く道正山から康歴年間(1379~81)板碑が発掘、2010年に明暦3年(1657)に書かれた鮮明な「棟札」が発見されたことで裏付けされる。これまでは元禄16年(1688)に再建に関った大工の「墨書」に基づいていた。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命である。国道16号線「中和田交差点」から東の方へ数百m下った坂途にある。もう既に新年の飾り付けがなされている「鳥居」を抜けると境内には正面に茅葺屋根を銅板葺「本殿」、左に「神楽殿」、本殿の右に併祀神社で須佐能男命を祭神とする「八坂神社」、「白瀧弁財天」、「北向庚申塔」、大山不動や地神塔などの「石宮」が祀られている(1712)