相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

鎌倉最古の厄除け神社「八雲神社」

2022-06-28 08:55:50 | 神社
鎌倉市大町、常栄寺の先、左手に鎌倉最古の厄除の神社、大町の鎮守「八雲神社」はある。鎌倉の4つある八雲神社の一つで「八雲さん」「お天王さん」の愛称で親しまれている。疫病が流行した際、源義家の弟・新羅三郎義光が鎮めるため京都祇園八坂社から勧請して祀った神社で、創建は永保年間(1080)。祭神は須佐之男命、稲田比売命、八王子命、佐竹氏の御霊の4柱である。室町時代には佐竹屋敷の祠が合祀され「佐竹天王」とも称され、江戸時代には将軍より朱印も賜り「祇園さま」として尊崇された。紅葉に彩られた「鳥居」を抜けると参道には厄除け祈願の赤い旗が幾本も並んでいる。正面に昭和5年(1930)に再建された「本殿」、右奥に社務所がある。御神木の根元には「義光手玉石」や「寛文10年銘の庚申塔」、諏訪社、稲荷社、於岩稲荷社、御嶽三峰社の境内社が祀られている。(2206)
 
 
 
 
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さわやかな涼感のある「アガパンサス」の花と一会!!

2022-06-28 07:26:33 | 公園・庭園
今、最も目にする草花が公園などの花壇やコンテナの植え込みに利用されている鮮やかなオレンジ色の「ヒメオオギスイセン」と爽やかな涼感のある花を多数咲かせ、立ち姿が優雅で美し「アガパンサス」、ギボウシである。やや厚みのある革質の葉が茂る様は南アフリカが原種の花だけに力強さを感じる。交配などにより300以上の園芸品種あるというポピュラーな花である。花形も花筒の「短い盃状」のものから「細長い花」のもの「星形」のように切れ込みの深いものや、「ラッパ状」の花形など、バラエティーに富んでなんとも可愛らしい花である。(2206)
 
 
 
 
 


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ハイビスカスのような「ムクゲ」が開花!!

2022-06-27 09:21:26 | 
近くの公園で夏の暑い盛りに涼やかな花を沢山つけるアオイ科の落葉低木の「ムクゲ」がふくよかな花を十数輪つけ咲き始めた。「ムクゲ」は非常に強健な花木であることから道路脇の街路樹として重宝されている。「ハイビスカス」のような南国を思わせる花である。「槿花一日の栄」「槿花一朝の夢」と言ったムクゲを冠した諺がある。これは「ムクゲ」の花が1日で萎んでしまうことを栄華の儚さに掛けた言葉である。一日で終わるものの「ムクゲ」の花は次々に咲くのでその実感がないがなんとも涼やかな花姿をしている。(2206)
 
 
 
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古都鎌倉の象徴「鎌倉八幡宮」の煌びやかさ!!

2022-06-27 07:28:21 | 神社
鎌倉市雪ノ下、古都鎌倉の中心に三大八幡宮の一つ、源氏の氏神、鎌倉武士の守護神で「鎌倉八幡宮」とも呼ばれる鎌倉の象徴、相模国一宮の「鶴岡八幡宮」はある。三大八幡宮(宇佐神宮、石清水八幡宮)の一つの当宮の創建は康平6年(1063)と凡そ千年近く前である。明治3年(1870)の神仏分離までは「鶴岡八幡宮寺」であった。主祭神は応神天皇、比売神、神功皇后である。国指定史跡となっている境内には「若宮」、本宮へと続く大石段の下にある朱色の「舞殿」、「直会殿」、61段の勾配ある「大石段」を上り切ると「八幡宮」の額が掲げられた朱色の「楼門」、その奥に「拝殿」へと繋がった「本宮」がある。「流権現造り」の「本宮」をはじめ全体が朱色で統一された建物群はいかにも煌びやかで、優美で古都鎌倉の象徴とでもいうべき荘厳さである。宮内左側には豪華な神輿が何台(基)も並んでいる。数年前台風で倒れた大石段前の御神木「イチョウ」も新しい枝が出て随分大きくなっていた。(2206)
 
 
 
 
 
 
 
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日親ゆかりの日蓮宗寺院「叡昌山妙隆寺」

2022-06-26 11:56:27 | 寺院
鎌倉市小町に中山法華経寺を旧本山とする「鍋かむり」で知られる日親ゆかりの日蓮宗総寺院「叡昌山妙隆寺」は鎮座する。創建は至徳2年(1385)。この一帯は鎌倉幕府の源頼朝御家人の千葉常胤の子孫「胤貞」の別邸「千葉屋敷」跡に祖先追福のため七堂伽藍を建立が興りである。中山法華経寺の日英上人が開山。足利将軍家の日蓮宗への改宗を目論み、永享12年(1440)立正治国論を著して直訴を試みたが投獄され、拷問を受けた際に灼熱の鍋を被せられたまま説法されたことから「鍋かぶり上人」、「鍋かぶり日親」と呼ばれている。本尊は釈迦牟尼仏。日蓮聖人辻説法跡地前の右手に位置し「寺号標」(寺門)から参道中ほどに構えられた「山門」を抜けると正面に入り母屋づくりの「本堂」、その左手に「寺務所・札所」がある。「本堂」右手には百日寒行をした「血の池」跡が残されている。当寺は鎌倉七福神の寿老人を祀っている。(2206)
 
 
 
 
 
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