鎌倉市小町大路に面した一角に布教の始まりとされる場所に「日蓮上人辻説法跡」の石碑と「日蓮腰掛石」がある。この辺は屋敷町と商業町が重なる場所であり日蓮宗(法華宗)を開き建長5年(1253)、鎌倉に移り住んだ日蓮は松葉ヶ谷に草庵をむすび小町大路この辻に立って道行くその民衆、往来する多くの人々に熱心に法華経の訓えを説き、布教に努め「煩悩菩薩」、「生死即涅槃」、「南妙法蓮華経」を唱えていたという。この辻説法跡碑は日蓮信者の田中智学が建てたものである。この一帯周辺は本覚寺、妙法寺など日蓮宗のお寺が数多く残っている。昨年11月完成、12月に落慶式が行われた日蓮宗、全国初の布教施設「立正安国」の額を掲げた「六角堂」、「展示室」できていた。堂内には日蓮聖人像が奉られ参拝できる。今日の日本にも大きな影響を与え続ける鎌倉仏教の巨人・日蓮上人のその布教の始まりの原点がここからであったことを教えられる。(2206)
相模原市鵜野森に 相模原市南区鵜野森に日蓮宗鎌倉妙本寺の末寺の「福寿山幸延寺」はある。創建は天正2年(1533)。本尊は三宝祖師と鬼子母神。当寺には多くの「開元通宝」、「朝鮮通宝」など約60種、2万枚の古銭が寺宝として収蔵されている。また平成14年度に相模原市の調査において中国唐の開元通宝(620年)、北宋の皇宋通宝、煕寧、元宝、元豊通宝、明の永宣徳通宝(1433)など11866枚が確認されている。この古銭は非公開であり、伝えでは開基の大谷伊織が天正18年(1590)の小田原城攻略の際にこの旧家の祖先が持参して埋めたものとされる他、地下埋蔵銭は備蓄銭とする説や信仰上の行為であるという説がある。当寺は町田駅周辺のビルが見渡せる鵜野森の高台にあり、「山門」を抜けると境内の正面には入り母屋づくりの「本堂」、右に庫裏がある。境内には数十株の「アジサイ」が植栽され程よく開花している。本堂左に「金色大明神」と「愛敬稲荷」が祀られている。またすぐ隣には鵜野森の鎮守「日枝神社」が鎮座している。(2206)
相模原市の中央区松が丘1丁目・南区上鶴間8丁目間、南区大野台4丁目・南区上鶴間本町1丁目間の総延長10.5kmの距離の「相模緑道緑地」はある。昭和23年~昭和38年迄の16年間をかけ、相模原開発畑地灌漑事業として畑に水を引くための用水路等の施設を築造したもので通称「畑かん水路」と呼ばれる水路敷きを神奈川県が「緑道」として整備され、平成14年度~平成20年度にかけて市に移管された。相模緑道緑地は「東幹線用水路」(中央区松が丘1丁目・南区上鶴間8丁目間)と「東幹線用水路大野支線」(南区大野台4丁目・南区上鶴間本町1丁目間)を整備したものである。「さがみの仲よし小道」は「西幹線用水路」を整備したものである。相模緑道緑地はアスファルトやブロック舗装による歩行者・自転車の通路のほか、ベンチや屋根付き日よけ等の休憩施設が各所に設けられている。そして緑道の両サイドに花壇には「サツキツツジ」、「ドウダンツツジ」、「アジサイ」、「キンモクセイ」等の植栽などされ四季を彩る。一割歩いただけでも数百株の「アジサイ」が咲き誇り美しい「アジサイロード」のようである。「ノウゼンカズラ」や黄色の「ルドベキア」や「ユリ」も可憐な花姿を見せてくれていた。(2206)
川崎市多摩区長尾、多摩川を眼下に見下ろす丘陵の一角に天台宗寺院「長尾山妙楽寺」は鎮座している。当寺は中世初期には存在し「吾妻鏡」にも登場する源家累代の祈祷所「長尾山威光寺」と関連し「威光寺」、「長尾寺」とも言われる。源頼朝が鎌倉幕府草創期に弟の全成を威光寺院主として派遣し、所領を安堵するなど同寺を厚く保護した。幕府の所在する鎌倉の外郭の境界線として、多摩川とその右岸丘陵の軍事的位置を重視したことによる。当寺は通称「あじさい寺」と呼ばれており寺域境内に植栽された30種類近い約1000株の色とりどりのアジサイで埋めめ尽くされ梅雨期の代表花らしく美しく咲き誇っている。毎年6月の第3日曜日には「長尾の里 あじさいまつり」が開催されて多くの鑑賞客が訪れ賑わった。(2206)