相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「鶴岡八幡宮」に君が代に詠まれている「さざれ石」がある!!

2022-06-18 10:24:26 | 神社
古都鎌倉の象徴「鶴岡八幡宮」の「源氏池」の畔には、国歌「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠まれている畳半畳くらいの大きさの「さざれ石」が置かれている。「さざれ石」は石灰岩が長い年月を経て二酸化炭素を含んだ雨水で溶解され生じた乳状液が小石を凝結して岩のように大きくなった石である。正式名称は「石灰質角礫岩」。当宮の「さざれ石」は60年前の昭和36年(1961)、岐阜県春日町で「小林宗一」氏が発見、昭和52年に岐阜県の天然記念物に指定されている。昭和56年(1981)に発見者の小林宗一氏のご子息「文治」氏より奉納された。毎年、正月15日には「さざれ石」の前で左義長神事が行われるという。なんとも希少で貴重な石を拝むことができた。(2206)
 
 
 
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長谷の花の寺、四条金吾の石碑が目を惹く「四条山収玄寺」

2022-06-18 07:26:56 | 寺院
鎌倉市長谷、鎌倉大仏方向の通りに日蓮宗寺院「四条山収玄寺」は鎮座している。当寺は江戸時代に「四条金吾」の屋敷跡に妙詣尼が「収玄庵」を開いたのが興りである。 創建は文政年間(1818~1829)。本尊は十界曼荼羅。四条金吾は北条氏、江間光時の家臣であり医術にも造詣深く鎌倉、佐渡、身延にと終始一貫して日蓮聖人に給仕し法華信者の鑑として大聖人より厚い信頼を受けていた。日蓮宗立宗当初から中心的門徒で鎌倉武士「四条金吾」は日蓮捕縛の報に自らも切腹覚悟で龍の口の刑場に向ったほど信心篤き武士であった。大正12年(1923)に日慈が本堂を再建、戦後「収玄寺」に改称した。多くの人が行き交う大仏通り左側に一際目を惹く東郷平八郎の揮毫の「四条金吾邸址」の石碑が建っている。「山門」を抜けると正面に日慈が1923年に再建の銅葺屋根が美しい「本堂」がある。堂内には日蓮上人と四条金吾夫妻像が祀られている。四季の花木や野草が咲き乱れ手入れが行き届いた境内は今、程よい本数の幾種かの「あじさい」によつて美しく彩られ「花の寺」らしい寺域となっている。(2206)
 
 
 
 
 
 
 
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