タイトルから想像できるように、若くて純真なカップルの恋愛小説です。
主人公の大野君とその彼女の「ミート君」(またの名をカナリアA)の恋愛物語は、とんとんと進み39頁で半年後にHしよう(という言葉は出てこないんですが、そういう意味)と約束します。
こうなれば、それがどうなるのかという興味で読み進めるのが普通の読者でしょう。でも、ここからとんと進みません。そこから後は大野君の友達の坂本君とその蛮カラの先輩木戸さんの話が延々と続き、それが終わったと思ったら「ミート君」の過去が始まり、100頁くらい間が開いてやっとミート君から見た大野君の話が始まります。主人公2人の恋愛小説としてみる限り、40頁からそのまま138頁(145頁でもいい)に跳んでも何の問題もありません。それでも進展もなくステディなデートを重ねて問題の半年後がようやく来たら、先送りにした挙げ句、最終章は坂本君の話でおしまい。大野君とミート君は一体どうなったの?
大野君とミート君のデートの話は、確かにほんわかとしたり爽やかだったりしてその部分の読み味はいいんですが、恋愛小説で進展・行方を見せずに、じらした挙げ句に放り出されると、読み終えたときはやはり「何だこれ?」って言いたくなります。
ミート君が大野君とつきあい始めるきっかけのところで「だって私はもみじ饅頭をもらったのだ。これがもし、ういろうとかだったら断ったかもしれない。きび団子だったら、私はサルでもキジでもないと抗議したかも知れない。だけど、もみじ饅頭をくれるような人の誘いを、断れるわけがなかった。」(146頁)という表現があります。私は、こういうのあまり好きじゃありません。名古屋人とか岡山人への差別じゃない?これ。もし作者が広島県民だったらこの本ぶん投げてやると思って作者のプロフィールを見たら岐阜県出身。岐阜県民の自己卑下だったのね。でもつきあわされる岡山県民は・・・
中村航 小学館 2006年11月20日発行
(この発行日付、ひどくない?)
主人公の大野君とその彼女の「ミート君」(またの名をカナリアA)の恋愛物語は、とんとんと進み39頁で半年後にHしよう(という言葉は出てこないんですが、そういう意味)と約束します。
こうなれば、それがどうなるのかという興味で読み進めるのが普通の読者でしょう。でも、ここからとんと進みません。そこから後は大野君の友達の坂本君とその蛮カラの先輩木戸さんの話が延々と続き、それが終わったと思ったら「ミート君」の過去が始まり、100頁くらい間が開いてやっとミート君から見た大野君の話が始まります。主人公2人の恋愛小説としてみる限り、40頁からそのまま138頁(145頁でもいい)に跳んでも何の問題もありません。それでも進展もなくステディなデートを重ねて問題の半年後がようやく来たら、先送りにした挙げ句、最終章は坂本君の話でおしまい。大野君とミート君は一体どうなったの?
大野君とミート君のデートの話は、確かにほんわかとしたり爽やかだったりしてその部分の読み味はいいんですが、恋愛小説で進展・行方を見せずに、じらした挙げ句に放り出されると、読み終えたときはやはり「何だこれ?」って言いたくなります。
ミート君が大野君とつきあい始めるきっかけのところで「だって私はもみじ饅頭をもらったのだ。これがもし、ういろうとかだったら断ったかもしれない。きび団子だったら、私はサルでもキジでもないと抗議したかも知れない。だけど、もみじ饅頭をくれるような人の誘いを、断れるわけがなかった。」(146頁)という表現があります。私は、こういうのあまり好きじゃありません。名古屋人とか岡山人への差別じゃない?これ。もし作者が広島県民だったらこの本ぶん投げてやると思って作者のプロフィールを見たら岐阜県出身。岐阜県民の自己卑下だったのね。でもつきあわされる岡山県民は・・・
中村航 小学館 2006年11月20日発行
(この発行日付、ひどくない?)