イスラム諸国での近現代の立法とイスラム法の関係について説明した本。
イスラム教の聖典クルアーンによれば神がムハンマドを始めとする多くの予言者を遣わしたのは啓示によって人々の紛争を裁断するためだとされるので神の啓示は法を内包していることになるが、クルアーンには婚姻・離婚・相続と刑罰に関する規定が見られるだけで、イスラム法(シャリーア)の大部分は知識人(ウラマー)が啓示を解釈する学的努力によって導き出されたものとされています(5~8ページ)。その際、クルアーンに関連する規定がない時は、ムハンマドの言行(スンナ)に依拠しその伝承(ハディース)が法の解釈の根拠となり、クルアーンでもスンナでも解決できないことは合法的な推論に委ねられるが、ほとんどの場合ウラマーの学説は複数に分かれるそうです(9~10ページ)。よくいわれる「ファトワー」はウラマーが信者からの法律相談に応じて発行する私的な法学意見なのだとか(18ページ)。
そうすると、伝統的なイスラム法は、学説が法としての力を持ち、さまざまな知識人が考え出した意見が競いながら適用されていくということで、並立・対立する学説のどれが適用されることになるのか不安定さを孕みつつ、学者にとっては天国というかやりがいのある世界となりそうです。
イスラム圏が拡大し、時が流れて、ムハンマドの生きた時代と気候・風土が異なる場面での適用のために、法典が整備されていく過程では、分かれていたさまざまな学説から立法者による「選択」が行われて行くことになります。ある種柔軟な法解釈を可能としてきたシャリーアの原則を崩し、他を排除して1つの解釈のみを是認することでシャリーアの硬直化に道を開いたとも評価されますが、同時に、「(あることの禁止によって生じる)困難は、(禁止の)緩和を導く」とか「損害は、除去される」、「慣習は、法的判断を導き出すものである」などの一般原則を定め妥当性が図られていきます(50~52ページ)。紛争を解決するルールである以上、結局は、似たような性質を持ってくるのだなと思います。
「非ムスリムの目にどれだけ『イスラーム的』に映ろうとも、現代における体制派イスラームは、『正しい』イスラームを代弁するものではなく、むしろ多くの場合は極めてマイナーで、根拠も乏しい一つのイスラーム解釈にすぎないことに注意せねばならない。例えば、イスラームでは女性の運転が禁じられるというサウジアラビアの説は、ワッハーブ派以外では支持されておらず、サウジアラビア国内においてすら、異議が唱えられている」(101~102ページ)というあたりにも、注目しておきたいところです。
大河原知樹、堀井聡江 山川出版社 2014年12月25日発行
イスラム教の聖典クルアーンによれば神がムハンマドを始めとする多くの予言者を遣わしたのは啓示によって人々の紛争を裁断するためだとされるので神の啓示は法を内包していることになるが、クルアーンには婚姻・離婚・相続と刑罰に関する規定が見られるだけで、イスラム法(シャリーア)の大部分は知識人(ウラマー)が啓示を解釈する学的努力によって導き出されたものとされています(5~8ページ)。その際、クルアーンに関連する規定がない時は、ムハンマドの言行(スンナ)に依拠しその伝承(ハディース)が法の解釈の根拠となり、クルアーンでもスンナでも解決できないことは合法的な推論に委ねられるが、ほとんどの場合ウラマーの学説は複数に分かれるそうです(9~10ページ)。よくいわれる「ファトワー」はウラマーが信者からの法律相談に応じて発行する私的な法学意見なのだとか(18ページ)。
そうすると、伝統的なイスラム法は、学説が法としての力を持ち、さまざまな知識人が考え出した意見が競いながら適用されていくということで、並立・対立する学説のどれが適用されることになるのか不安定さを孕みつつ、学者にとっては天国というかやりがいのある世界となりそうです。
イスラム圏が拡大し、時が流れて、ムハンマドの生きた時代と気候・風土が異なる場面での適用のために、法典が整備されていく過程では、分かれていたさまざまな学説から立法者による「選択」が行われて行くことになります。ある種柔軟な法解釈を可能としてきたシャリーアの原則を崩し、他を排除して1つの解釈のみを是認することでシャリーアの硬直化に道を開いたとも評価されますが、同時に、「(あることの禁止によって生じる)困難は、(禁止の)緩和を導く」とか「損害は、除去される」、「慣習は、法的判断を導き出すものである」などの一般原則を定め妥当性が図られていきます(50~52ページ)。紛争を解決するルールである以上、結局は、似たような性質を持ってくるのだなと思います。
「非ムスリムの目にどれだけ『イスラーム的』に映ろうとも、現代における体制派イスラームは、『正しい』イスラームを代弁するものではなく、むしろ多くの場合は極めてマイナーで、根拠も乏しい一つのイスラーム解釈にすぎないことに注意せねばならない。例えば、イスラームでは女性の運転が禁じられるというサウジアラビアの説は、ワッハーブ派以外では支持されておらず、サウジアラビア国内においてすら、異議が唱えられている」(101~102ページ)というあたりにも、注目しておきたいところです。
大河原知樹、堀井聡江 山川出版社 2014年12月25日発行