伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

数学を使えばうまくいく アート、デザインから投資まで数学でわかる100のこと

2017-03-05 21:12:22 | 自然科学・工学系
 音楽や美術、文学その他の芸術・技術等において、数学が大きな役割を果たし、また果たしうるということについて論じた本。
 広範な分野について、数学的な検討がなされ、意表を突かれるというか、感心するというタイプの本です。
 しかし、それほど数式が羅列される場面はないとはいえ、論じられる数学的な議論を、きちんと検証する、正しいと納得できるまで読み込むことは、通常の読者には困難です。著者の議論/主張が、数学的に正しいかについては、本来はそれぞれの主張をていねいに追ってみる必要があるのでしょうけれども。
 例えば、正三角形の各頂点から各辺を半径とする円弧を描いた、要するに各辺を円弧で膨らませた形の「ルーロー三角形」と円の関係、実質的/技術的には両者を断面とする金属製のふたを製造する場合に必要な材料の量を論じているところで、「正三角形の一片の長さ、すなわち円弧の半径にして一定になる幅が
w の場合、ルーロー三角形が囲む面積は 1/2 (π-√3) w2 となる。幅 w の円盤だったら、その面積はもっと小さい 1/4πw2 となっただろう。このことから、一定の幅の蓋を作る必要がある場合、π-√3=1.41 のほうが 1/4π=0.785 よりも大きいため、断面が円形ではなくルーロー三角形をした蓋を使ったほうが材料の無駄を少なくすることができる。」と書かれています(64ページ)。いや、これ、いくらなんでもおかしいでしょう。普通に考えて「幅 w の円盤だったら、その面積はもっと大きい 1/4πw2 となっただろう。このことから、一定の幅の蓋を作る必要がある場合、1/2 (π-√3) =0.705 のほうが 1/4π=0.785 よりも小さいため」のはず。こういうのを見つけてしまうと、その数学的考察の正確性をどこまで信じてよいのか、不安になります。
 一つの記事の中にどれだけの誤植があるかを、2人の校正者に別々に校正をさせた結果から(統計的に)推定するという議論で、校正で見落とされている間違いの数は、1人目の校正者だけが見つけた間違いの数と2人目の校正者だけが見つけた間違いの数を掛け、それを2人ともが見つけた間違いの数で割ったものとなると論じています(208~209ページ)。これも、説明と数式を追っている分には、ほぉーっと思うのですが、おそらくその推定を利用するためには2人の校正者の能力と誠実さを前提にする必要があり(2人とも無能か怠惰だった場合、現実には大量の間違いを見落としていても、2人とも自分だけが見つける間違いは多くないため、推定は過少評価になると考えられる)、さらに現実には見つけやすい間違いと見つけにくい間違いがあるはずで、見つけにくい間違いは2人とも見つけられない可能性が高くなるので、現実には見つけにくいタイプの間違いの推定が過少評価になりやすいという欠陥を抱えているように、私には感じられました。
 後者で前提にされる「独立性」は曲者で、理論的にあるいは説明を受ける分には独立の事象と見えるものが現実には独立でないことがままあります。原発の大事故の確率は、さまざまな「独立」の事象の確率を掛け合わせることで、とても小さく計算されます。しかし、現実には独立している別々の機器が火事や地震で一気に故障したりしますし、検査や補修はいくつかの機能を不作動状態にして行いますのでそこに作業ミスが重なると予想外の機器不作動が同時に生じたりします。故障で運転状態がおかしくなることで運転員・作業員が動揺して通常なら考えにくいミスをするということもあり得ます。「独立」の事象を前提とする数学的考察は、原発事故の確率を現実より小さく見せるという役割を発揮してきました。数学的考察は、便利でまた説得力を持ちやすいものですが、そういった疑いの目/批判的検討が不可欠でもあります。


原題:You Didn't Know About Maths & The Arts
ジョン・D・バロウ 訳:松浦俊輔、小野木明恵
青土社 2016年11月15日発行(原書は2014年)
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