伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

ケモノの城

2017-03-27 23:02:24 | 小説
 長期監禁とその間のレイプ・暴行・拷問、被害者の親族を巻き込んだ恐喝、殺人、死体遺棄を繰り返す犯罪者と、その正体を追いきれない警察という設定で、現代社会の闇を描いたと思われる警察小説。
 読んでいて、作者の出世作の「ストロベリーナイト」もそうでしたが、犯罪/犯罪者の鬼畜の所業ともいえる残忍さ、グロテスクさを描き出す想像力というかおぞましさへのキャパシティには驚きます。その原動力が、犯罪/犯罪者への憎しみなのか、作者の趣味/嗜好なのか、心配になってしまうほど。
 グロテスクな犯罪、本当に腹立たしい憎むべき犯罪者を描き出しながら、「人間は、怖いのではないか。自分が被害者になるのはむろん怖いが、同じくらい加害者になるのも怖いことだ。自分の中にも犯罪の芽はあるかもしれない。今は大丈夫でも、でもいつ、自分も犯罪者になってしまうか分からない。だから知りたいのではないか。自分と犯罪者の何が違うのか。犯罪者になる者とならずに済む者と、その境界線はどこにあるのか。そして一番怖いのは、その境界線がないことだ。」(200ページ)と担当警察官に考えさせています。そのあたりの人間の心の闇、がテーマと考えるべきでしょうか。
 ミステリーとしては、最後にもちろん捻りを入れるんだろうな、と思いながら読むのですが、その捻りに無理があるというか捻りの根拠となる作為の動機が描かれず、エンディングも「藪の中」的な終わり方で、もやもや感が残ります。
 「武士道ジェネレーション」(2015年7月)の「東京裁判史観」/「自虐史観」批判から、この作者がいつからそのような方向に踏み出したかに興味を持ちましたが、2014年4月のこの作品では、(長期間の取調べで被疑者が疲れ果てて罪を認めるのをそういった捜査手法が冤罪を生むと主張する学者や弁護士がいると、人権派弁護士を非難している217ページあたりは、警察の協力を得ないと書けない警察小説の作者が警察寄りの視点になるのはふつうとして)「領土問題というのは、攻められる側が諦めたときに終わりがくるのだと思う。当然といえば当然だ。攻める側、領土がほしい側はいつまででもちょっかいを出し続ける。手に入るまで、しつこくしつこく。それに疲れて『もういいや』と思ってしまったら。攻められる側、領土を守る側は終わりだ。負けが確定する。」(125ページ)という記述が唐突に入るのが目につく程度です。たぶん尖閣諸島や竹島を想定して書いているのでしょうけど、この記述だと北方領土でロシアから見た日本政府を表現したものともいえて、まだニュートラルと考えることもできるレベルです。


誉田哲也 双葉社 2014年4月20日発行
「小説推理」2013年6月号~2014年2月号連載
コメント
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