世界中に4万人もの従業員を抱える大コンツェルンのマイヤー機械工業の元代表取締役ハンス・マイヤーが殺害された刑事事件で、少年時代に親友の祖父であるハンス・マイヤーにかわいがられていた駆け出し弁護士カスパー・ライネンが、そうとは知らずに国選弁護人となってしまい、動機を語ろうとしない被疑者の弁護に難渋するという設定のリーガル・サスペンス小説。
著者の狙いは、リーガル・サスペンスと言うよりも、ナチス戦犯の刑事訴追を巡って、障害となるような法改正がその点を意識して議論されることなく行われ法の欠陥による不正義が生じていることの告発にあったようです。リーガル・サスペンスとしてはもう少し裁判の場での展開を見たかったところですが、その法の欠陥と不正義を印象づける点では、それが明らかにされたところで迅速に結末に至るこの作品の構成は効果的に思えます。
併せてラストシーンも、中盤の14(128~140ページ)の描写ですでに感じさせるところではありますが、コリーニの57年に及ぶ悲しみと懊悩を考えさせる味わいのあるものになっていると思います。
他方において、弁護士としては、弁護士倫理というか、弁護士の行動について考えさせられます。それと知らずに被害者が自己の知人・恩人である事件を受任してしまった弁護士が、悩みながらも、その事実を被疑者・被告人に告知してそれでも被疑者・被告人が弁護を希望する限りは、弁護人として活動し続ける、ベテラン弁護士マッティンガーの助言とライネンの選択、これはいいでしょう。しかし、弁護人となった後に、被害者の孫(死んだ親友の姉)ヨハナと肉体関係を持つ、これはどう考えても駄目でしょう。さらには、被害者の孫(唯一の親族)として公訴参加するヨハナの代理人のマッティンガー弁護士から饗応を受け、被害者側の企業マイヤー機械工業から(弁護をやめてくれれば報酬を出すという賄賂提供を断ったのはいいのですが)ホテル宿泊等の利益を受けることも、問題があります。作者は現役の弁護士でありながら、利益相反を始めとする弁護士倫理上の問題について、ライネンが悩む姿も描かず、何らの問題点の指摘もしていません。ドイツ赤軍派の弁護で有名になりその後大家となって今ではマイヤー機械工業などの大企業を主な顧客とするベテラン弁護士マッティンガーについても、ウクライナ人の若い愛人に股間で奉仕させるシーン等が描かれているように、作者は弁護士に倫理観を求めていないのでしょうか。批判的な問題提起がなされているのであれば、それはそうとして理解できるのですが、現役の弁護士に、弁護士はそういうものであるかのような描き方をされると、それでいいのかという思いを持ち、どこか寂しく感じます。
原題:DER FALL COLLINI
フェルディナント・フォン・シーラッハ 訳:酒寄進一
創元推理文庫 2017年12月15日発行(単行本2013年、原書2011年)
著者の狙いは、リーガル・サスペンスと言うよりも、ナチス戦犯の刑事訴追を巡って、障害となるような法改正がその点を意識して議論されることなく行われ法の欠陥による不正義が生じていることの告発にあったようです。リーガル・サスペンスとしてはもう少し裁判の場での展開を見たかったところですが、その法の欠陥と不正義を印象づける点では、それが明らかにされたところで迅速に結末に至るこの作品の構成は効果的に思えます。
併せてラストシーンも、中盤の14(128~140ページ)の描写ですでに感じさせるところではありますが、コリーニの57年に及ぶ悲しみと懊悩を考えさせる味わいのあるものになっていると思います。
他方において、弁護士としては、弁護士倫理というか、弁護士の行動について考えさせられます。それと知らずに被害者が自己の知人・恩人である事件を受任してしまった弁護士が、悩みながらも、その事実を被疑者・被告人に告知してそれでも被疑者・被告人が弁護を希望する限りは、弁護人として活動し続ける、ベテラン弁護士マッティンガーの助言とライネンの選択、これはいいでしょう。しかし、弁護人となった後に、被害者の孫(死んだ親友の姉)ヨハナと肉体関係を持つ、これはどう考えても駄目でしょう。さらには、被害者の孫(唯一の親族)として公訴参加するヨハナの代理人のマッティンガー弁護士から饗応を受け、被害者側の企業マイヤー機械工業から(弁護をやめてくれれば報酬を出すという賄賂提供を断ったのはいいのですが)ホテル宿泊等の利益を受けることも、問題があります。作者は現役の弁護士でありながら、利益相反を始めとする弁護士倫理上の問題について、ライネンが悩む姿も描かず、何らの問題点の指摘もしていません。ドイツ赤軍派の弁護で有名になりその後大家となって今ではマイヤー機械工業などの大企業を主な顧客とするベテラン弁護士マッティンガーについても、ウクライナ人の若い愛人に股間で奉仕させるシーン等が描かれているように、作者は弁護士に倫理観を求めていないのでしょうか。批判的な問題提起がなされているのであれば、それはそうとして理解できるのですが、現役の弁護士に、弁護士はそういうものであるかのような描き方をされると、それでいいのかという思いを持ち、どこか寂しく感じます。
原題:DER FALL COLLINI
フェルディナント・フォン・シーラッハ 訳:酒寄進一
創元推理文庫 2017年12月15日発行(単行本2013年、原書2011年)