「蜜蜂と遠雷」の後日談(芳ヶ江国際ピアノコンクールの入賞者によるコンサートツァーが行われている時期という設定)2編と前日談4編からなる短編集。
前日談の方は、ナサニエル・シルヴァーバーグ(芳ヶ江の審査員、マサルの師匠)と嵯峨美枝子(芳ヶ江の審査員)のなれそめ、課題曲「春と修羅」の作曲にまつわるエピソード、マサルがナサニエル・シルヴァーバーグに師事するに至る経緯、ユウジ・フォン=ホフマンが風間塵を見いだした瞬間が描かれています。
長編小説シリーズが完結した後に「外伝」が書かれるような、そういうイメージの作品集です。「蜜蜂と遠雷」を読んで、まだしばらくこの世界に浸りたい、余韻の楽しみたいという人のニーズに応えるもので、おそらくは作者もせっかくあれだけ作り込んだ世界をもう少し書きたいという思いで書いているのでしょう。当然のことながら、「蜜蜂と遠雷」を読んでいない読者には、何のことかわからない話です。
この本を通じて、なぜか風間塵は、浜崎奏の言葉(会話)の中で1か所「風間くんも?」とある(156ページ)のと、ユウジ・フォン=ホフマンが名前を聞いたときに「Jinn。なるほど、精霊の名は彼にふさわしい。」とつぶやく(186ページ)以外は、すべて、会話体の、それも風間塵本人に呼びかけるときでさえ「風間塵」と表記されます。風間でも塵でもジンでもなく。他の人は、ほとんどが名(First name)で、残り一部は姓(Family name)で表記されているのに、何故なんでしょうね。
本編ではマサル・カルロス・レヴィ・アナトール、栄伝亜夜、風間塵とともに主要なコンテスタントとして扱われていた高島明石は、この短編集では一度も登場しません(明石に触れた場面もありません)。この短編集、1ページの字数も少なくて薄い。やっとこさなんとか1冊の単行本にしたという印象を持つ程度の分量です。作者に明石に対する愛/思い入れがあれば、もう1編短編を追加してもよさそうなものですが。

恩田陸 幻冬舎 2019年10月1日発行
前日談の方は、ナサニエル・シルヴァーバーグ(芳ヶ江の審査員、マサルの師匠)と嵯峨美枝子(芳ヶ江の審査員)のなれそめ、課題曲「春と修羅」の作曲にまつわるエピソード、マサルがナサニエル・シルヴァーバーグに師事するに至る経緯、ユウジ・フォン=ホフマンが風間塵を見いだした瞬間が描かれています。
長編小説シリーズが完結した後に「外伝」が書かれるような、そういうイメージの作品集です。「蜜蜂と遠雷」を読んで、まだしばらくこの世界に浸りたい、余韻の楽しみたいという人のニーズに応えるもので、おそらくは作者もせっかくあれだけ作り込んだ世界をもう少し書きたいという思いで書いているのでしょう。当然のことながら、「蜜蜂と遠雷」を読んでいない読者には、何のことかわからない話です。
この本を通じて、なぜか風間塵は、浜崎奏の言葉(会話)の中で1か所「風間くんも?」とある(156ページ)のと、ユウジ・フォン=ホフマンが名前を聞いたときに「Jinn。なるほど、精霊の名は彼にふさわしい。」とつぶやく(186ページ)以外は、すべて、会話体の、それも風間塵本人に呼びかけるときでさえ「風間塵」と表記されます。風間でも塵でもジンでもなく。他の人は、ほとんどが名(First name)で、残り一部は姓(Family name)で表記されているのに、何故なんでしょうね。
本編ではマサル・カルロス・レヴィ・アナトール、栄伝亜夜、風間塵とともに主要なコンテスタントとして扱われていた高島明石は、この短編集では一度も登場しません(明石に触れた場面もありません)。この短編集、1ページの字数も少なくて薄い。やっとこさなんとか1冊の単行本にしたという印象を持つ程度の分量です。作者に明石に対する愛/思い入れがあれば、もう1編短編を追加してもよさそうなものですが。

恩田陸 幻冬舎 2019年10月1日発行