人生そのものが思いつきで生きてきたようなものなので、何か物事を始めるのはいつも唐突なのです。
何を始めるのかと言えば、永平寺から松林寺まで歩いて帰ってきたことを、今一度振り返り、ブログに連載で書いてみようかと思いました。今唐突に。
この旅の様子は、記録用にと歩きながら書いた道中日記に『行雲流水』という名前をつけたものが一つと、それを寺報に連載したもの、更に文章を少し付け足してまとめた『やる気があるのか』のものがあります。
しかし「歩いて帰ろう」とした動機や、そこに至るまでの周辺の事柄には触れていないので、今一度振り返ってみようかと思いました。道中のことも、改めて思い出せば、また違った風景が見えてくるかもしれません。前の文章を参考にしながら、それにはとらわれず、綴ってみようかと思い立ったのでした。まさに思いつき。果たしてどうなることやら。
題名は『雲水道中記ー永平寺から最上へー』。迷いながら・・・はじまりはじまり。
お寺の長男として生まれてしまった境遇を恨みながらも、そこから飛び出す思い切りもできず、抵抗はしながらも駒澤大学仏教学部禅学科へと入学しました。
もう人生を半分投げたような状態で、大学では仏教の匂いを極力避けて、坊さんの友だちも作らず、髪の長い方へ長い方へと近寄っていきました。
自らもアイパー(今の人に分かるのだろうか)をかけ、もちろん私服を着て(禅学科の多くは寮に入り学生服だった)都会の匂いのする女性の尻を追いかけていました。
サークルは当初「広告研究会」(もちろん全員一般学生)に入部し、アート班というデザインやレタリングを担当する分野で楽しんでいました。
その後、部の先輩に反発して退部した同級生4人で「駒沢オリジナル・ソサエティ」というサークルを立ち上げ、後輩をいっぱい入部させ、またまた楽しい学生生活を謳歌していました。
4年生になり、卒業すれば、親の望み通り、永平寺などで修行をして、山形に帰って役場かどこかに勤めて、法事や葬式を待っているようなつまらない和尚の道を歩くことになるのだろう、と憂鬱になっていました。
そんなある日、気持ちの転機となるような出会いがありました。今から思えば、あの出会いが人生を変えたのかもしれません。