大学4年になると、卒論のためのゼミを選択しなければなりません。私は人の噂をたよりに、一番簡単に単位をくれるという理由でM先生のゼミを選択しました。私と同じ魂胆の学生が多かったようで、教室は学生であふれゼミの様相ではありませんでした。
M先生のゼミは「教化学」という分野で、仏教をどのように人々に伝えていくか、という学問です。それはそれなりに興味がありました。というよりも、他の分野は難しそうで、仏教くさかったのです。
4年生の秋、M先生から「11月に教化学大会があるから参加してみてはどうか」という誘いをうけました。
「教化学大会」は、曹洞宗教化研修所という機関が主催する、年に一度の教化学の研究発表会というものです。何故先生から誘われたのか、何故自分がその気になったのかは分からないのですが、私は参加してみてもいいなと思ったのです。
ブルーのブレザーを着てネクタイを締めて行ったことを今でもはっきり覚えているということは、自分なりに緊張感を持っていたのだと思います。
2日間にわたる発表会に出席しているのは、教授や大学院生や研修生など、学者やまじめな人ばかりです。私も、突然にまじめな学生になったようなふりをして座っていました。
そこへ、大会の特別講師として登壇されたのが、弟子丸泰仙老師でした。
弟子丸老師は、サラリーマン生活の後51歳で出家、2年後坐蒲一つを持ってフランスに渡り、ヨーロッパ禅センターの基礎を築いた伝説の人。
その老師が、来日していた合間をぬって特別講義に来てくれたのでした。
その時の私は、弟子丸老師がどんな人かも知らず、ただその場にいたのですが、老師が壇上に立たれた時、そのオーラともいうべき雰囲気に、魂がひきずられるような気持ちになりました。
「ああ、こんなお坊さんがいるのか」「こんなお坊さんにならなってもいいな」と思ったのです。それが、お坊さんという仕事を肯定的にとらえることができた最初だと思います。