なあむ

やどかり和尚の考えたこと

雲水道中記ー永平寺から最上へー 3

2009年11月03日 12時54分36秒 | 雲水道中記

「海外開教師」、お釈迦様や道元禅師の教えを、まだ届いていないところへ届け広める、そんなダイナミックな仕事があったんだ、そんな仕事のお坊さんならやってみてもいい、と、そう思いました。
20070629gatukou しかし、そのためにどうすればいいのかということを真剣に考えたわけでもなく、ただぼんやり過ごしていました。年末近くのある日、教化学大会を主催した教化研修所の機関誌が送られてきました。それを見ると、研修所の3つのコースの中に「海外開教コース」というのがあるではありませんか。「そんなところで勉強すれば海外に行けるのかな」と思いながら、しかし、今から3年間の研修期間を親が許してくれるとも思えず、気になりながらも何の行動を起こすこともありませんでした。
正月に山形に帰り、「いよいよ永平寺だな」というような話題をイヤな思いで聞いていました。どうせダメだろうと思いながら、教化研修所の機関誌を「こんなのがあるんだけど」と無造作に差し出しました。「何だこれ」と言いながら見ていた両親が、「お前こごさ入りだいのが」と聞くので、「入れるなら行ってみてもいいかなと思う」と言うと、「ようやく4年間が終わってあど1年すれば帰ってくると思っでだ」「今から3年間?そりゃ無理だ」と。「どうせそうだ」とあきらめて寝ました。
次の朝母親が「お前、昨日の話、本当に行ぎだいのが」「ゆんべ、父ちゃんと寝ながら、義道がはじめて自分から勉強したいって言うんだから、何とかならねえべがってしゃべったんだ」
「受げるだけ受げてみだら」と言うではありませんか。
がぜん元気が出ました。