心に決めた期日は迫ってきました。それでもなかなかお経点検は通りません。
もう明日が最終期限だという時に、私は無謀な行動に出ました。
「許可しないならしなくてもいい、俺はもう勝手に下りる」と荷造りを始めたのです。同寮の仲間は心配しながらも遠巻きに見守っていました。そこへ、難民キャンプで一緒だった修行僧の宮垣君がやって来ました。
「なにやってるの、バカなことはやめなよ。お経一つぐらい一晩徹夜したら覚えられるよ。今晩つきあってやるから」と言うではありませんか。
確かに、許可なく下山したとなれば、修行歴は白紙になり、曹洞宗の和尚として住職になるには今一度どこかで修行しなければならないことになります。
「宮垣君がつきあってくれると言うから、それじゃあ気を取り直して今晩一晩だけ頑張ってみるか。それでもだめだったら下りよう。」
その晩、約束通り、就寝時間後に宮垣君が来てくれ、人目のつかないところでお経の練習をはじめました。宮垣君は最初は一緒につきあってくれたのですが、途中から眠ってしまいました。それでも何とか一晩かけて苦手なお経を覚えることができ、次の朝の点検を無事通過することができたのでした。
その時はそれほど感じませんでしたが、後から考えれば、あの時宮垣君が顔を出してくれなかったら、おそらく、まともな和尚には成れなかったと思います。そう考えれば宮垣君は観音様の出現だったのかもしれません。
ともあれ、ようやく、修行を終えて、永平寺の山門から正式に送行することができるようになりました。晴れて行脚の一歩を踏み出すことができたのです。